墜落
エレベーターに乗ってすぐ。
タルタロスが何十年、いや、何百年前に作られたのかは知らないが、錆びついたエレベーターに乗った死神衣装の悠馬は、一抹の不安を抱えていた。
まず一つ目。
自分の目指すべき階層が何階なのか、全くわからない。
死神にタルタロスに行け。と言われたため、何か意味があるんだろうと勝手な判断をした悠馬だったが、目的の階層も、そして誰を探しているのかもわからないため、どこを目指せばいいのか決めかねている。
悠馬は現在、行き先も目的も聞かずにタルタロスへと訪れたことを、後悔していた。
そして二つ目。
このエレベーター、かなり古い。
ギシギシと金属が軋むような音と、ガタガタと動くエレベーターの駆動音。
地下へと下っていくごとに身体にまで振動が伝わってきて、壊れかけのエレベーターという単語がふさわしい音を響かせている。
「まさか使われてない…なんて言わないよな…」
もしかすると、数百年前から使われてないんじゃないか?と思ってしまうほど、古びているエレベーターの内部。
電気はオレンジ色で、エレベーターの細部すら見渡せないほどだし、階層ボタンはなぜかダイヤル式だ。
加えていうなら、カビ臭いし大きな蜘蛛までエレベーターの中にいる。
絶対に掃除はされていないだろう。
そんな予想を立てる悠馬は、とりあえず50階層、つまりは警備員が配置されている最下層から徐々に階段を上っていこうと考えている。
階段を登るのに何時間かかるのかはわからないが、2時間もあれば階段を登りきれるだろう。
「ま、エレベーターが使えれば問題ないしな」
このエレベーターで登ることが出来れば、すぐに地上へもたどり着けるだろう。
余裕を見せた悠馬が口元を緩めた、ちょうどその時。
バキンという、金属の弾けたような音が響き、エレベーターの上に直撃したような音が響き渡る。
「…なんか落ちてきたのか?」
先の展開が読めた気がする。
なんとなく、これから何が起こるのかを悟った悠馬は、全身が冷たくなっていくような感覚と、そして大きく軋み始めたエレベーターを見て、悲鳴をあげた。
「おい、おいおいおいおい!」
フリーフォールじゃないか。
金属音が聞こえてからわずか数秒。
急降下によって、まるで宙に浮いているような浮遊感を感じる悠馬は、辺りを見回す。
「死ぬ…!これは死ぬ!」
今が何階だったのかはわからないが、降下速度的に、20階程度だったのは間違いないはず。
つまり悠馬は、30階相当のビルから落下していることになる。
「ふざけんな…!死ぬ!これは死ぬやつだ!」
どんな異能を持っていたって、30階、推定100メートル以上の高さから落下すれば、即死は免れない。
慌てふためく悠馬は、氷や炎、雷を纏いながら、自身の異能で防御体制へ入ろうとする。
「あ、ゲートあるじゃん。問題ねえな」
忘れてはいけない。
バースとの戦い、セントラルタワーから紐なしバンジーをしたことを思い出した悠馬は、先ほどの焦りはどこにいったのかというほど余裕な表情で、右手を伸ばす。
ゲートさえあれば、なんの問題もない。
フリーフォールだろうがなんだろうが、ゲートで地下1階に戻ればいいだけなのだ。
あとで佐藤にエレベーターの点検は怠らないようにとでもクレームをつけておこう。
「ゲート」
そんなことを考えながら、悠馬が使用したゲート。
安全な場所に、数秒前までいた地下1階に戻ることのできる、唯一の異能。
「あれぇ…?」
しかしゲートは、悠馬の願いとは裏腹に、発動しなかった。
「は?なんで?」
確かに、体力を消耗したような脱力感はある。
それはゲートを使った時と同じ脱力の仕方で、間違いなくゲートを発動させているはずだ。
ならばなぜ、どうして?
そこまで考えたところで、悠馬はある可能性を思い出した。
今の時代、犯罪者にただの手錠は通用しないケースが多い。
その理由は単純で、炎やその他の異能で、簡単に破壊できるし、わざと捕まってタルタロスへ訪れ、手錠を壊して回るような輩もいるかもしれないからだ。
そのため、現代の手錠には、異応石という特殊な石が混ぜ込まれているのだ。
異応石というのは、主に異能を無効化する効果を持っている。
その性質は石の密度などによって変わりもするが、手錠の場合は手錠をつけている人間が、完全に異能を使えなくなるほどの力を持っている。
そしてここはタルタロス。
国際指名手配犯や大物犯罪者が収容されているこの空間では、異応石がふんだんに使われていても、なんらおかしくはない。
むしろ大犯罪者を捕らえているのだから、このくらいが妥当だろう。
「ウッソだろ…」
ようやく答えにたどり着いた悠馬。
彼が考えている間も、加速し続けていたエレベーターは、鉄が削れるような不快な音を響かせながら、なおも加速していく。
ゲートも使えない、炎でも氷でも、雷でも闇でも助からないときた。
そこから必然的に導き出される答えは、1つだけ。
「次回、暁悠馬死す。なーんちゃって…」
人間、理解が及ばなくなると、訳のわからないことを言い始めるものだ。
「って!そんなこと言ってる場合じゃねえよ!」
ついに自分に自分でツッコミを入れ始めた悠馬。
悠馬が一人漫才を終えた直後、エレベーターは地面へと到達したのか、グシャッという鈍い音を立てて、悠馬をぺしゃんこにした。
***
数秒前。
「あわわわわ…」
佐藤は失禁しそうなほど焦っていた。
スーツを着ていた佐藤は、足をモジモジとさせながら全身を震わせ、額からは大量の汗が流れ出ている。
なぜ、彼がこんなにも焦っているのか。
それは今、エレベーターが不快な音を立て、急降下を始めたからに他ならない。
佐藤はエレベーターの点検を、自身が就任してから怠ってきた。
その理由は、犯罪者を取り扱う施設に、そんなに高い点検費を払う必要があるのか?こんなところに金を割くくらいなら、予算が足りてない部署に割り当てるべきだ!などという、妙な正義感が働いたためだ。
部下からも、エレベーターの状態がやばいなどという報告は受けていなかったし、十数年間報告がないのなら、全く問題はないのだろう。そんなことすら思っていた。
その結果がコレだ。
日本支部で2番目の権力者、異能王から直接冠を賜りし者、日本支部冠位であり覚者である死神が乗り込んだエレベーターが大破。
この国の最高戦力とまで言われる死神を、自分の浅はかな判断で殺してしまうのだ。
「まずい…!」
マズすぎる。言い方は悪いかもしれないが、これが普通の警備員だったら、まだ許されていたのかもしれない。
しかし乗り込んでいたのは死神。
絶対に総帥はブチギレるだろうし、下手をすると償いをしろと言われて、紅桜家に殺されてしまうかもしれない。
いや、それはまだマシな方だろう。
佐藤の妄想は飛躍する。
もし仮に、どこかの国と繋がっていて、死神を殺したと勘違いされでもしたらどうなるか?
答えは単純、家族も両親も紅桜を筆頭とする裏組織に捕獲され、拷問をされるはず。
「ひ、ひぃぃぃ…死神さん、生きていて下さい!お願いしますぅ!いや、エレベーター止まってください!神さまぁ!」
まだ墜落した、エレベーターが最下層へ到達していないことに願いを込めた佐藤は、両手を合わせて、天を仰ぐ。
まぁ、実際は地下なのだから、天など見えないのだが。
そんな佐藤の願いも空しく、程なくして響いてきた、爆発にも近い炸裂音。
ドゴォン!と、遙下の階層での出来事のはずなのに、耳を塞ぎたくなるほどの大きな音。
終わった…
「ぁぁぁ…」
床をビチャビチャに濡らしながらその場にうな垂れた佐藤は、半泣き状態になりながら、声にもならぬ声を漏らした。
***
「うぅっ…」
どれくらいの時間が経過しているのだろうか?
体感的にはそこまで時間が経過していないようにも感じるが、気絶していたため、よくわからない。
崩れたエレベーターの中から手を伸ばした悠馬は、ゆっくりと再生していく自分の身体を見つめ、安堵のため息を吐いた。
「そういえば…再生するんだったな…」
あまりに急な事態で、自身が再生という恩恵を得ているのも忘れていた。
しかし、悠馬の再生は、少しだけ速度が遅くなっていた。
その理由は間違い無く、美月とゴッドリンクをして、再生の力を与えた影響だろう。
今までのようにすぐに痛みから逃れられる状態とは違い、治るまでの数分間、ひたすら激痛が走り続ける。
頭が冴えてくると同時に、感じ始める痛みに顔を歪めた悠馬は、完全に再生しきっている右手でその場から這い出そうとする。
「なんだ…ここ…」
イモムシのように這い出た悠馬は、エレベーターの墜落した最下層、推定地下60階層を目にし、驚きの声をあげる。
悠馬の目の前に広がっている光景。
それは、まるで大聖堂を牢獄にしたような空間だった。
悠馬の乗っていた墜落したエレベーターが真ん中にあり、そこを囲むようにして、円状の大聖堂のような空間。
エレベーターから5メートルほど離れた空間には囲うようにして牢が張り巡らされ、囚人がエレベーターを使えないようになっている。
張り巡らされたステンドグラスには、奇妙な羽の生えた人間と、青色に輝く剣を携えた勇者のようなものが描かれている。
そして上層へと登る階段は…
なかった。
「…60階より下ってことか…?」
エレベーターがどこまで続いているのか、そして階段がどこまで続いているのかは知らないが、看守がいる場所は確実に階段があるはず。
つまりここは、看守すら訪れない、60階層以下であることはほぼ確定だ。
階段がない、エレベーターが壊れた。
「…今日はとことんツいてないな」
彼女の実家に訪れて、いきなり木刀で戦わされたり、彼女の父親が突然逮捕されたり、暮戸の胸糞話を聞かされたり、エレベーターが壊れたり…
色々ありすぎる1日だ。
すでに日付は変わっているものの、それに気づいていない悠馬は、怪訝そうな表情でため息を吐く。
「てかまじでここどこよ」
話を戻そう。
現状の階層が明確にわかっていない悠馬は、変な方向を向いている足を見て、右手で地面を叩く。
足の再生は少なくとも、あと10分以上かかることだろう。
階段を探すにしろ、壊れたエレベーターを登るにしろ、足が必要になるのは確実なため、10分以上は身動きが取れない。
佐藤の言った通り、60階より下には人がいないかもしれないという言葉は、どうやら事実だったようだ。
あれだけ派手な音を立ててエレベーターが墜落したというのに、野次馬のようにこちらを見にくる輩も、安否を心配する声も投げかけられないあたり、人が存在していないのだろう。
「…この場に協力者はいない…ゲートは使えないし、平面を登っていけるような異能はあいにく持ち合わせていない…」
早くも、登る手段について考え始める悠馬。
「そもそもここ、異能使えるのか?」
つい先ほど、墜落中のエレベーターの中では異能が使えたものの、60階層以下ともなると、異応石もかなりの質になるんじゃないのか?
もしかすると、この空間にいるだけでも異能が使えなくなってしまうかもしれない。
その可能性を危惧した悠馬は、自身の保有している炎の異能を全身に纏わせようとする。
しかし悠馬の使った異能は、全身にマッチ程度の炎を発生させたものの、それ以上の大きさになることはなかった。
その炎の大きさは、レベル3.4程度と言ってもいいだろう。家庭用のガスコンロレベルだ。
「……まじで言ってんの?」
表情を険しくして、今にも暴れだしそうな表情を浮かべる悠馬。
エレベーターは壊れ、階段は見当たらない。挙句に異能もろくに使えないときた。
これは明らかな詰みだ。
階段がないなら、必然的にエレベーターのあった吹き抜けの空間を登っていくしかない。
当然のことだが、おそらくその空間にハシゴやそういった類のものは用意されていないだろう。
なにしろエレベーターが壊れるレベルだ。そんなボロいエレベーターが、今の時代に作られたわけがないし、タルタロスなら脱獄の可能性も考えてハシゴなんて作らないだろう。
最後の可能性は、隠し階段があることを願うくらいだ。
囚人に気づかれないようなところに、隠し階段でもあれば、それなりに疲れるだろうが地上への脱出も可能となる。
「見つかればいいな…」
絶望的な状況で、願望を口にする悠馬。
彼は先程から…いや、最初からこのタルタロス地下(?)層に、自分以外の人物が存在していることに気づきもしなかった。
ここはタルタロス地下第100層、堅牢の間。
佐藤の言った通り、食事も何も提供されずに、すでに時は数百年ほど経っている空間。
大聖堂のステンドグラス、その真下の十字架に繋がれるようにして、悠馬の様子を伺う何者かの姿が、そこにはあった。
寒くなってきましたね…




