暮戸の思惑
年齢は60代ほどだろうか?
真っ白なバスローブのようなものを羽織った、体型がかなり肥満気味の男。
ニヤリと笑った口から見える歯は銀色が多く、指には装飾過多であろう、多くの指輪がつけてある。
いかにも悪役富豪という表現が似合いそうなその男、赤坂暮戸は、肉のついた顔をニヤリと笑わせると、横でぐったりとして、ピクリとも動かない女を見る。
彼女の髪は美しいほどに真っ黒で、そして肌の色は、病的なほど白い。
彼女は異能祭で悠馬と出会い、そしてデートをした、朱理だった。
そんな彼女の苦しむ姿を見るのが楽しいのか、動かなくなった朱理を見つめる暮戸は、グラスに注いであるワインをグイッと飲む。
「人形めが…何をしても鳴かんつまらん女だ。まぁいい…数日もすれば新しい女が2人も手に入る。オマエが鳴かずとも、その2人が鳴いてくれるだろうさ」
いつもは朱理が鳴かなければ、殴る蹴るの暴行を加える暮戸。
しかし今日は、やけに上機嫌なご様子で、事後はなにをするわけでもなく、葉巻を口にする。
「出てけ。隣の部屋で身体でも洗っておれ。ワシの奴隷」
「…はい」
葉巻に火をつけ、煙を吐き出しながら、用の済んだ朱理を追い払う。
トボトボと、一糸まとわぬ姿で去って行く朱理を眺めながら下品な笑みを浮かべた暮戸は、1人になるや否や、下品な声で笑ってのける。
「げひゃひゃひゃ!やっと!ワシの欲しいものが全て手に入る!」
美哉坂の宗介は、本当にバカだ。
自分がワシに嵌められているとも知らずに、ワシが援助をする代わりに娘を差し出せと言ったら、喜んで差し出してきおった。
マヌケだマヌケ。兄が自分を嵌めたと勘違いし、本当に罠に嵌めた張本人と手を組む、バカだ。
当初の予定では、美哉坂の宗介の嫁も抱くつもりだったが、自殺してしまったのではしかたがあるまい。
繋ぎ役の美哉坂の朱理だけで勘弁してやったわ。
しかし、鳴かん女を抱くのは今日までよ。
当初の計画、宗介と組み上げた計画がついに実行段階へと移行した暮戸は、葉巻をふかしながら、笑い声を漏らす。
「げひゃ…ワシが欲しかった女が…2人も同時に手は入るのだ…!」
人間の欲望というものは、際限がない。
特に政治家などという、この世の中の屑のような職業に就くものは、自分の利益のことしか考えていない者がほとんどだ。
口では国民のために〜などと言っているが、その実、国民のために彼らがしてくれたことは何かあっただろうか?
有言実行している政治家は少ない。
暮戸はその中でも、トップクラスの屑だった。
自分の利益が最優先、この国のことなんて、どうなったっていいと本気で思っている。
自分の欲しいものを、好きな女を抱ければいいと、本気で考えているのだ。
ただそれだけの理由で政治家に成り上がり、幾人もの他人の人生を滅茶苦茶にしてきた。
人生を狂わされたのは、何も宗介や朱理だけではない。
彼らのように、過去に暮戸に協力し、そして消えていった人間は、いくらでもいる。
その過程で生まれたのが、赤坂加奈だ。
もう誰の子供かなんて、暮戸は覚えていない。
「あの気に食わん娘が消えて、美哉坂の朱理を何も考えず抱けて清々するわい」
自分の娘だというのに、事あるごとに反論し、警察に証拠品を持っていこうとする。
まぁ、その全てを暮戸はもみ消してきたのだが、加奈のとる行動に、暮戸は毎回ヒヤヒヤしていた。
そんな邪魔者である加奈が異能島へと消え、大嫌いな家に戻ってくることはない。
そのことを知っている暮戸は、こうして朱理を好き放題扱い、1人での生活を満喫しているのだ。
「明日…美哉坂の優梨にプロポーズする!」
優梨は既婚者だが、頭が良く切れる。
自分が今置かれている状況を、そして娘が何の傷を負うこともなく救える状況があったとするなら、まず間違いなく、下がってくるはずだ。
どれだけクズと罵られようが、優梨は間違いなく、大切な娘を守るのを最優先に考えることだろう。
総一郎と離婚して、すぐにでもプロポーズを承諾することだろう。
十数年前の選挙妨害がようやく実を結び、優梨だけでなく、美人な娘まで味わうことができる。
「げひゃひゃ…完璧じゃ。今から心踊るわい」
権力者である総一郎も同時に屠ることができ、宗介からは感謝され、朱理に優梨、夕夏を手に入れることができる。
暴力団へとけしかけ、これからは警察にバレないように、バレても揉み消すよう贔屓にしてやるという契約で、嘘の情報をでっち上げさせた。
それなりの証拠も用意したし、総一郎が助かるということは、まずありえないだろう。
暴力団と裏で繋がっているのは暮戸なのだが、その罪さえ全て総一郎へとなすりつけるご予定の暮戸は、やけに上機嫌だ。
「ワシがあの女…美哉坂優梨に惚れたのは、19年前。まだ総一郎が、総帥候補になる前じゃった」
独り言のように、過去の出来事を思い出す暮戸。
「あの凛々しくて美しい女を…何としても手に入れたいと…ずっと思っておった…何年かかっても、殺すことなく手に入れることだけを考えておった」
「生憎すぐに結婚してしまって、十数年も待つ羽目になってしもうたが…まぁ、こうして優梨を手に入れることができるのだから、ワシも大した強運よのぉ!」
優梨が手に入る。
すでに勝ち誇っている暮戸は、明日からのことを考え、まるで小学生のようにウキウキとしている。
「まずは娘の前で抱いてやるのも悪くないのぉ…いや、逆の方が反応が面白いか?」
「美哉坂の夕夏も、若き日の優梨を見とるようで、教え甲斐がありそうだしのぉ…ああ…考えておるだけでも堪らんなぁ」
1人で妄想に耽る老人。
この場に悠馬がいたら間違い無く、首を切り落とされ、市中引き回しされていたことだろう。
クズさがここまできていると、一周回って清々しくも感じてくる。
憎しみや怒りといった感情は湧き上がらずに、ただ1つ言えるのは、早く死んでくれ。という一言だけだ。
「げひゃひゃ!待ってろよ!美哉坂の優梨!美哉坂の夕夏!すぐにワシのものにしてやるからのぉ…!」
暮戸の下品な声が、室内に響き渡る。
***
一方、その頃。暮戸の隣の部屋では…
「うぅっ…ぐっ…汚い…汚い…!」
シャワーの水を垂れ流しながら、大粒の涙を流す少女の姿があった。
腰よりも下まで伸びた長い髪を揺らしながら、皮膚が真っ赤になるまで、暮戸に触れられた場所を、弄ばれた場所を、何度も何度も擦って洗う。
一部からは洗いすぎて、血が流れ出るほどだ。
「やっぱり…あの時…あの人にありのままの事実を告げて…助けを求めるべきだったんです…!なのに私は…!」
それができなかった。
幾度となく脳裏に出てくる、そして夢の中にすら出てくる、悠馬の面影。
それは、異能祭で唯一、外の世界で知り合った人物だからなのだろう。
「誰でもいいんです…誰でもいいから!私を…私を助けてください…」
父親はあてにならない。こんな生活もう嫌だ。もう懲り懲りだ。限界だ。
今にも狂いそうなほど、大きく目を見開いた朱理は、その場は倒れこむと、狂ったように笑い始める。
「あは、あはははははははは!最高ですよ♪ええ!こんな世界、壊れて仕舞えばいいんですよ!私だけ救われない世界なんて、必要ありません」
自分だけ救われない世界。
自分と同年代の人間は青春を謳歌しているというのに、自分は檻の中で、閉じ込められた空間で、勝手な外出も許されず、中年の好きでもない男に毎日毎日犯され続ける。
彼女の精神はとうに限界を迎えていた。
異能祭の時、悠馬に見せていたあの表情ですら、ただの仮面。
自分ですら自分を見失っている朱理は、事切れたように笑いを止めると、無表情になり闇を展開させた。
「見ていますか?夕夏。小さい頃約束しましたよね。一緒にどこかへ出かけようと?」
過去のことを思い出しているのか、ボソボソと話を始める朱理。
目はどこを向いているのかもわからず、意識を失っているのかもしれない。
「あの世、なぁーんてどうですか?私は行き先がこの世界でなければ…私が救われる世界であれば…何処へだって行きますよ?だって私たち、友達じゃないですか」
逃げ出したい。ここではないどこかへ。
自分が救われる空間へ。
心ここに在らず。ありもしない妄想を繰り広げる朱理は、その場に倒れ込み、シャワーの水を浴びながら、ピクリとも動こうとしない。
「誰も返事をしてくれません。ここは1人。誰もいないんですね」
現実逃避を図るが、それもあえなく失敗。
ようやく意識を取り戻したのか、真っ暗な瞳を動かした朱理は、異能祭の時、悠馬と出会った時のような表情を浮かべると、上体を起こし鏡を見つめる。
「…不細工な顔ですね。さっさと死ねばいいのに。このビビリ」
自分を見つめ、自分を罵倒する。
美しい容姿を持っているというのに、それすらもわからなくなっている朱理は、真っ黒なオーラを放出する。
彼女は悠馬や美月と同じく、闇堕ちだ。
その理由は、もう、言わずともわかってもらえるだらうが、長年好きでもない男に犯され続け、暴力を振るわれ続けた結果だ。
彼女の歪んだ精神と、感情は、暮戸と宗介が作り上げたと言っても過言ではない。
「…ああ。でも…」
「もし私が救われる日が来るのなら…」
「私を救ってくれた人を好きになるのも…いいのかもしれませんね」
ありもしない妄想。
ただ、自分を救ってくれる人なら誰でもいい。好きになりたい。
お姫様のような、鳥籠の中で王子様を待つような妄想を繰り広げる朱理は、色のなくなった瞳で鏡を見つめる。
「そんな日が来るといいのだけど…あり得ませんよね」
胸糞回です…




