美哉坂邸へのご訪問
8月某日。
一体なにをどう間違ったら、こうなるのだろうか?
夕暮れ時。オレンジ色に染まった、人気のない道路を歩く悠馬は、心の中で呟く。
ひぐらしの鳴き声が響く人気のない道路。
ここは旧東京だ。
第5次世界大戦で少なからず被害を受けた日本支部は、被害の少なかった東京の一部を新東京とし、被害の多かった場所を旧東京と定め、旧東京の復興を後回しにした。
まぁ、要するに、こっちの復興は間に合わないから誰か買って整備してくれ。みたいな感じだ。
終戦から3年ほど経過していることもあってか、旧東京もかなり綺麗に片付いている。
唯一おかしなところがあるとするなら、通りすがる人すらいないというところだ。
「人、少ないよね」
「うん。少ないな」
悠馬が不思議に思っていることに気づいたのか、横を歩く夕夏が声をかける。
真っ白なワンピースに身を包んだ夕夏は、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ここら辺、お父さんが全部買っちゃってさ…だからここ全部、私の家の敷地なの」
「なるほど…」
どおりで人がいないわけだ。
旧東京の復興が後回しにされたということはつまり、金持ちは買って復興の手伝いをしてくれ。などという意味も込められていたのだろう。
当時旧東京は安く売られていたと聞いたことがあるし、前総帥ならば、責任も感じて率先して買っても仕方のないことだ。
「じゃあ、時間があったら、この辺散歩しない?夕夏に案内してほしいな」
「うん!案内するね!」
悠馬とのお出かけの約束。
はやくも明日の予定が決まった夕夏は、嬉しそうに笑顔を浮かべると、スキップを始める。
「それにしても…緊張するな…」
夕夏の父親からの唐突なお呼び出し。
悠馬は花蓮の両親との面識はあるため、花蓮のご両親からのお呼び出しならあまり緊張もしなかったかもしれないが、今回は違う。
面識も一切ない、そして夕夏からはかなり過保護だと聞かされている、彼女の父親からのお呼び出し、だ。
しかも規律に厳しかったと言われる前総帥。
別に悪いことをしたわけでもないが、絶対にキレられる、怒鳴られるといった恐怖を感じている悠馬の表情は、かなり引きつっていた。
これでいきなり、「娘はやらん」とか「別れろ」「くたばれゴミクズ」などと言われたら、メンタルもやられてしまうことだろう。
夕夏の父親から発されるであろう、様々な罵倒。
なにしろ夕夏の父親は、夕夏をお金持ちと結婚させたかったらしい。
有名な会社の社長から、大金持ち。それなりに権力を持った人間たち。
何か問題を起こしても、すぐに揉み消すことができるような、刈谷クラスからそれ以上の人間とのお見合いを勧めていたらしい。
だというのに、夕夏が連れて行こうとしているのは、普通の高校生。
大した財力もなければ、大企業の社長の息子でもない。
なんなら闇堕ちだ。
自分のことは、自分がよく知っている。
「安心して。悠馬くんのことを悪く言ったり、別れさせようとするなら、私、本気で怒るから」
不安そうな悠馬を、真剣な眼差しで見つめる夕夏。
彼女の瞳には、ようやくできた彼氏を、好きな人を、親の勝手な都合で失いたくないという決意のようなものが滲み出ていた。
「ありがとう。でも、俺の問題は俺がなんとかするから」
夕夏に頼ってばかりいては、良いところのない男だと思われてしまうかもしれない。
自分の問題は自分でなんとかすると決めている悠馬は、ちょうど目の前に見えてきた、大きな和風の建物を見て、立ち止まる。
「…もしかして、あれが夕夏の実家?」
「うん。無駄に大きいの」
大きい。大きすぎる。
遠目から見ると、神社かな?などと勘違いをしてしまいそうなレベルだ。
石でできた数百段にもなる階段と、そして真っ白な塀。入り口を飾る大きな門。
見えるだけでも、花蓮の寮と同じくらいの大きさはありそうだ。
その圧倒的な雰囲気に飲み込まれる悠馬は、これからどんな事態が待っているのか、何が起こるのかという不安に苛まれる。
「さ、登ろ?悠馬くん」
「は、はい…お邪魔します…」
「もう!そんなにかしこまらなくて良いよ!私たち、その…恋人なんだし…」
夕夏にそんなことを言われながら、一段一段、階段を登っていく。
なんだかわからない恐怖を感じながら歩みを進める悠馬は、若干混乱しているように見える。
「あ、鏡花さん!」
階段を眺めながら歩いていた悠馬は、夕夏の声を聞いて、顔を上げる。
夕夏の視線の先にいるのは、Aクラスの担任教師兼総帥秘書の、千松鏡花だった。
夕夏に鏡花〝さん〟と呼ばれているあたり、今は催眠の異能を使っていないオフ状態。
つまりは、夕夏が知っている総帥秘書の鏡花としてここにいるのだろう。
鏡花先生と言いそうになった悠馬だが、夕夏のさん付けを聞いて、早々に他人のふりをすることを決め込む。
「久しいな。夕夏。随分と可愛らしく成長した。学校はどうだ?して彼は?」
「すっごく楽しいよ!彼は悠馬くん!私の、か、彼氏…!」
完全に他人のフリをして、話を始める鏡花。
「オイお前、白々しいぞ!」などとツッコミを入れたくなるレベルの対応だ。
平日は第1のAクラス担任として、夕夏の生活や、彼女がどれだけ異能島を満喫しているのかも知っているくせに…
そしてちゃっかり、悠馬のことについても話させようとしているあたり、嫌味を感じる。
照れながら答えた夕夏に笑みを浮かべた鏡花は、良かったな。と答えると、夕夏の頭を撫でる。
「今日は寺坂総帥も来ている。先に挨拶をしておいたほうがいいだろう。では、私は少し用があるから、お暇させてもらうよ」
「いってらっしゃい、鏡花さん!」
まるで姉妹みたいだ。
鏡花から指示を受けた夕夏は、笑顔で鏡花に向けて手を振る。
門を抜けて、階段を下って行く鏡花は振り向きもしなかったものの、夕夏は最後まで、手を振ることをやめなかった。
「さ、行こ?」
「うん」
門を抜け、大きな和風の建物を目にする。
ぱっと見は旧式の古い建物のように見えるが、よくよく見て見ると、最新鋭の設備で作られている、和風の建物だということがすぐにわかる。
さぞお金をかけて建てられたのだろう。
夕夏に続く悠馬は、玄関へ入るや否や、目を見開く。
玄関も大きい。
前総帥という仕事柄からも、様々なお客人が来ることを想定しているのだろう。
悠馬の寮ほどの大きさ。靴は軽く100足以上並べられるだろうというレベルだ。
そして出迎えてくれる、能面の置物。少し怖い。
「悠馬くん、心の準備はいーい?」
「うん、大丈夫」
いきなり斬りかかられても、多分大丈夫だろう。
そう心の中で何度か繰り返した悠馬は、靴を綺麗に並べると、夕夏の後に続く。
靴を脱いで廊下へ上がると、延々に続いているようにも見える廊下。
おそらくこの家、とんでもない数の部屋があることだろう。
直進するほど1分。懐かしい木の香りが鼻を抜け、雅な装飾が施された襖を眺めながら歩く。
間にあった分かれ道を抜けて、右に曲がる。
綺麗なフローリングは、きちんと掃除が行き届いていることをすぐにわからせてくれるほど、輝いている。
複雑に入り組んだ分かれ道を抜け、大きな襖へとたどり着いた夕夏は、背後で興味深そうに辺りを見渡す悠馬を見て、にっこりと笑みを浮かべる。
「行くよ。悠馬くん」
「う、うん…」
一度ため息を吐いて、深呼吸をする夕夏。
「ただいま戻りました」
大きな声を上げて、ゆっくりと襖を開く。
襖を開くと同時に、涼しい風と、そして畳の香りが廊下へと吹き抜け、悠馬は目を細めた。
「おお。夕夏、帰ったか。それと…」
怖い。目力怖い。
多分、悠馬が普通の高校生だったら、ほぼ確実に気絶していたはずだ。それほどに、前総帥の目力というものは、他人のソレとは異なっていた。
とてつもない勢いで悠馬を睨みつける、夕夏の父親、総一郎。
まるで品定めをしているように、鑑定をしているように眉間にしわを寄せ、じっと見る。
そんな父から悠馬を守ったのは、夕夏だった。
悠馬よりもほんの少し前に立っていた夕夏は、悠馬の前に手を伸ばすと、父親を睨みつける。
「私の彼氏をそんな目で見ないで」
「な…カレ…カレ…カレ…夕夏の…」
彼氏を連れて来い。といったのは自身のはずなのに、どうやら夕夏の口から彼氏という単語が出たのは、かなりショックだったようだ。
今にも崩れ落ちそうにバランスを崩した総一郎は、動揺を隠しきれない様子で、カレを連呼している。
そんな総一郎を見て、苦笑いを浮かべる人物がいた。
悠馬と夕夏、2人よりも先にこの場へと訪れていた現総帥の、寺坂だ。
総一郎の向かいに座っている寺坂は、総一郎がこうなることも予想はしていたのだろう、黙ったままお茶を飲んでいる。
「は、はじめまして。暁悠馬です。夕夏さんとは、結婚を前提に、真剣にお付き合いをさせてもらっています」
「け、ケッ…コケッ…」
もはや彼には、前総帥としての威厳はなかった。
というよりも、パニックになりすぎて、鶏になっている。
悠馬の口から、結婚を前提などという単語が出て来ることは予想していなかったのだろう。
結婚と言い切れずに、コケッと言っている。
「総一郎さん、落ち着いて深呼吸を…」
「すー…はー…」
危うく過呼吸気味だった総一郎。
そんな彼を見かねて、寺坂が深呼吸を促すと、総一郎は言われた通り、深呼吸を始める。
なんだこれ?漫才か?
出だしは思っていた通り、総一郎に鋭く睨まれ、罵倒をされるのだろうと思っていた悠馬だったが、案外そうでもないらしい。
思っていたのと違う夕夏の父親を見ている悠馬は、変な汗が流れはじめていた。
「暁悠馬くん。君のことは知っている」
「光栄です」
「して…結婚を前提に…などと言っているが、その言葉は冗談では済まされんぞ?君は自分の秘密も、過去も打ち明けてその場に立っているのか?まさか何も話してない…などとは言わんよな?」
想定していた問いかけ。
前総帥ともなれば、悠馬の過去は知っていて当然…いや、当時は総一郎が総帥だったのだから、知っていなければおかしいだろう。
真剣な表情。まるで尋問をしているように悠馬を見つめる総一郎の眼差しは、鋭いものだった。
「私、全部知ってる」
「ん?」
悠馬が口を開く前。
しんと静まり返った室内に響いたのは、夕夏の声だった。
「全部知ってるから!悠馬くんの過去も!異能も知った上で付き合ってるの!だから追い払うような真似はやめて!」
総一郎の尋問にも近い質問。
どうやら夕夏には、総一郎が遠回しに「娘とは別れろ」と言っているように見えてしまったようだ。
ご機嫌斜めの夕夏は、目を細め、父親を侮蔑するような視線で睨み付けると、「恥ずかしい発言はやめてよ」と吐き捨てる。
「ゆ、夕夏がそういうなら…」
なんかオネエみたいな口調になったぞこのオヤジ。
ニワトリからオネエに進化した総一郎。
薄々感づいてはいたが、夕夏の父親である総一郎は、親バカのようだ。夕夏が怒るとすぐに凹む。
幼い頃から、同学年の男子と遊んだことはないと言っていたし、お嬢様学校に通わせ、男との接触を控えさせてきた。
その上、お金持ちとの交際を勧めるような父親なのだから、娘が可愛くて可愛くて、そして大事で仕方がなかったのだろう。
それが夕夏にとってありがた迷惑だとも知らずに、呑気なものだ。
「まぁ、全てを夕夏に告げているのなら、良しとしよう。しかし、だ。私にだって、色々と考えがある」
再び空気の重くなる、室内。
総一郎以外、誰も話そうともしない空間で、彼は話を続ける。
「そう簡単に、はいそうですか。娘をよろしくお願いします。という事にならんのは、君にもわかるだろ」
「はい」
当然だ。
どんな親だって、高校1年生の娘が彼氏を連れてきて、結婚を前提に〜などと言われたところで、子供の戯言として冷たく扱うのが当然だ。
それに、総一郎は悠馬のことを知っているわけじゃない。
悠馬がどんな性格なのか、どんな人間性なのかも知らないのに、即日承諾。というのは難しいだろう。
こういうのはじっくりと話して、打ち解けていくしかない。
今日は自分と話をしたいから、呼び出された。
悠馬はてっきり、自分がどんな人間なのか、そこを見極められるために、色々と話をさせられるのだろうと思い、この場に臨んでいた。
しかし、悠馬の想像とは裏腹に、ニヤリと笑った総一郎は、白い歯を見せながら、予想だにしない提案をした。
「剣で語ろうじゃないか。私は取り繕う男が大嫌いだ」
「え"…」
告げられた、衝撃の提案。
彼女の家で、彼女の父親と真剣勝負。
そんな展開、望んでもいないし、想像もしていなかった悠馬の口からは、情けのない、驚きの声が漏れた。
現実世界と季節が真逆という…




