セラフVS使徒
想像以上に体力を消耗した。
怒りに身を任せ、様々な異能を使いすぎたせいか、脱力感を感じている悠馬は、片膝をつくとゲートを発動しようとしていた。
今から潜水艦まで行けば、まだ間に合うかもしれない。助けられるかもしれない。
悠馬の中には、まだそんな期待があった。
いや、期待するしかなかった。
大切な人を、大好きな人を失うことだけはもう嫌だ。
3年前のあの出来事だけで、十分過ぎた。
半ば現実を受け止めきれずにいる悠馬は、汗を流しながら黒いモヤのようなゲートを展開した。
ゲートというのは、そう何度も、安安と使っていい異能ではない。
移動距離にもよるが、場合によっては鳴神以上に燃費が悪いし、ゲート使用後は、脳内に激痛が走る。
これで本日4度目の使用となる悠馬の負担は、計り知れないものだ。
さらに言えば、今日使っている異能はゲートだけではない。炎に氷、雷に闇。
自身の持っている全ての異能を使用した悠馬の体力は、ほとんど残っていないと言ってもいいだろう。
気を抜けば意識を失ってしまいそうな状態、まるで空を飛んでいるかのように、頭がふわふわする状態でゲートを開いた悠馬は、重い足取りで、そのゲートを渡ろうとした。
しかしそれは、うまくいかなかった。
いや、失敗させられた。
セントラルタワーの屋上。
風も強く、そして照らすものもない視界の悪い状態の空間に、大きな振動が伝わってきたためだ。
「くそ…こんな時に地震かよ…」
余裕があれば、地震のことなど気にせずにゲートの中へと飛び込めた悠馬だが、今はそうではない。
下手をすると、ゲートの位置が狂って、地面に埋まる、若しくは変なところへ移動してしまうかもしれない。
そうなれば、もう動けない。
5度目のゲートは、ほぼ不可能だ。
「カカカカカカッ…ぎょぎょ暁闇…おまeを殺…!」
「!?」
大きな振動。それは地震などではなかった。
突如として現れた、数十メートル級のムカデのような何かが、悠馬を襲う。
***
なぜムカデのようなものが、突如として現れたのか。
その原因は、2分ほど前に遡る。
「こんなところで…死んでたまるかァ!」
悠馬から見捨てられたバースは、地面へと到達する直前で、最大火力の雷を放出した。
異能島の道路の下には、鉄骨が敷いてある。
その理由は、並大抵の異能で、地盤を変形させないよう、そして振動系の異能で、沈下を防いだりするためのものだ。
バースはそれを、自身の異能を使って反発させようとしたのだ。
ある程度の衝撃は受けるだろうが、今の自分にできる、最低限の抗い。
このまま死ぬのが御免のバースは、最後の悪あがきをした。
バリッ!と、地面と反発するようにして生じた、バースの雷。
しかしそれは、ある程度の勢いは殺せたものの、完全に勢いを殺すことはできなかった。
ドシャッ!と、鈍い音を立てるバースの肉体。
「カ…」
目も当てられないような悲惨な光景の中、バースは虚ろな瞳で、空を見上げていた。
もう体は動かない。
幸い、まだ意識はあるが、身体のあちこちが痛くて、言うことを聞かない。
多分、全身の骨も折れているだろう。
身動きなんて取れないバースは、あとは死を待つのみ。
助けなど来ないであろうその空間で、ゆっくりと瞳を閉じたバースは、ポケットに入っている、ある物を思い出す。
「どうせ死ぬなら…」
奇跡的なことに、まだ動く左手で、ポケットを弄る。
その手の動きは、あまりにも遅く、赤子がオモチャを触れているような、そんなスピードだった。
そうしてようやく、ポケットから出てきたもの。
それは、結界事件で益田が使った、そして合宿で神宮が使った、死神が手に入れた注射器と、全く同じモノだった。
バースは異能島へ来る以前の任務で、偶然この注射器を手に入れていた。
もちろん、最初はこれを、点数稼ぎの材料として、アリスへと献上するつもりでいた。
しかしながら、バースはある噂を聞きつけ、この注射器を渡すことをやめたのだ。
その噂というのは、この注射器を使えば、セラフ化できる。
人類でも最上位の、神にも等しき力を手に入れることができると、そんな話を聞いたからだ。
もちろん、半信半疑だった。
そんな力が安安と手に入るなら、誰も苦労はしない。
誰だって最強の力を手に入れることができるじゃないか。
そんなことを考えていたバースだったが、結局彼自身、その噂話を信じ、こうして隠していたのだ。
どうせ死ぬなら、ここで一か八かの賭けに出よう。
セラフ化できれば、きっと生き永らえることだって出来るはずだ。
このどうしようもない現状を、打開できる筈だ。
そう思ったバースは、神にも祈るような気持ちで、注射器を身体に刺す。
「く…ふ…」
神がいるなら、助けてくれ。
そんな祈りにも近いバースの願いは、なんの偶然か、それとも運命なのか、聞き届けられることとなった。
それが神の仕業なのか、それとも悪魔の仕業なのか、定かではない。
身体の細胞が作り変えられていくような感覚。
つい先ほどまでの激痛が、そして言うことを聞かない身体が嘘だったかのように軽くなったバースは、真っ赤に染まった世界を見て、1人笑ってみせた。
「カカカッ…ここここれがセラフ…!かかかみの領域ぃ!」
その姿は、セラフなどではない。
ムカデのような、人の形ではない何か。それは間違いなく、使徒のそれだった。
しかし、そんなことに気づいていないバースは歓喜していた。
先ほどの痛みが嘘のように引き、体は自由に動く。
ついさっきまでの自分とは思えないほど、生まれ変わったと勘違いするほど動きやすくなった体は、今すぐにでも、暁闇に復讐できそうなほどだ。
「あああいつ…殺して…俺俺俺がたたいちょ…」
その独り言は、もはや人の声などではなく、壊れかけの機械のようなものだった。
しかしそれに気づかず、セラフだと完全に勘違いをしているバースは、なんの迷いもなく、自分の姿を確認することもなく、セントラルタワーの壁面を登り始めた。
***
そして現在。
肌色の肌がムカデのように幾つも重なり、そしてムカデであるなら、足であろう部分に、気味が悪いほど人間の腕が並んでいる。
そんな気色の悪い光景を目にした悠馬は、痛む頭でゲートを中断し、神器、クラミツハを構える。
「どこまで俺の邪魔をすれば気がすむんだよ…クソ野郎」
得体の知れない生物。
つい先ほどの発言を聞いて、この生物がバースなのでは?と考えた悠馬は、表情を歪めながら愚痴をこぼす。
「kさま…ろす!ころ…!俺がさik……nよ!」
もはや、何を言っているのかは聞き取れなかった。
しかしながら、言葉は聞き取れずとも、こちらへと向いている殺意は、すぐに感じ取ることができた。
一直線に向かってくるバース、使徒に向かって刀を向けた悠馬は、黒い雷を纏いながら、綺麗な一閃を見せた。
「雷切…黒雷」
一刀両断される、バースの成れの果て。
ムカデのような硬い装甲をイメージしていたものの、人間のような肌の柔らかさが、ますます気味の悪さを感じさせる中、悠馬は息を荒くしながら、刀を鞘に収める。
「はぁ…はぁ…くそ…もう…」
限界だ。
体力だって、そうは残っていない。
悠馬の身体が悲鳴をあげる中、そして悠馬が油断をしていた瞬間。
バースの成れの果ては、その隙を見逃さなかった。
「kたばr!」
「っ…!」
一刀両断されながらも、2つに分裂して襲ってくる、成れの果て。
それはもはや、ホラー番組で出てきそうな、都市伝説でありそうな、本当に不気味な光景だ。
神器で斬っても再生する化け物。
悠馬はなけなしの体力で、それに対応できる手段を考えていた。
雷はダメだ。バースは雷の異能持ち。ダメージは与えられない。
いや、そもそも、分断して動き始めるのだから、それらを全て破壊する必要があるのかも知れない。
炎や氷という答えが出てくるものの、そう簡単には行きそうにないことを鑑みた悠馬は、歯を食いしばって、叫び声をあげた。
「セラフ化ッ!」
セラフ化。
本来の悠馬でも、体力がマックス時に使用して、2分持つかどうか。
そんな僅かしか使えない異能で、ごく限られた時間で勝敗を決めなければ…いや、あの成れの果ての化け物を消さなければならない。
出来れば数秒でケリをつけて、ゲートを1回使えるだけの体力を残しておきたい。
悠馬にはもう、心の余裕などなかった。
早く終わらせないと、まだ息のあるかも知れない2人が死んでしまう。
早く終わらせないと、自分の体力が尽きてしまう。
最速、最短で終わらせなければならない。
悠馬がフルパワーで使用したセラフ化は、彼の瞳の色を翠へ、そして髪を真っ白へと変容させ、白銀のオーラを放つ。
オーラに触れたバースの一部分、ムカデのような成れの果ての一部分は、まるで砂になったかのように、風に舞って消えていく。
「っ…」
これならいける。
そう悠長に立っていることも、挑発することもできない悠馬は、セラフ化でバースに対応できると結論づけると、走り始める。
鳴神は使用しない。いや、もうできない。
体力的な問題で、すでに限界を迎えつつあった悠馬は、セラフ化だけを頼りに、次々と襲い来るバースの成れの果てを白銀のオーラで消滅させた。
「これで…終わりだ!」
触れるまでもない。
全自動で揺れ動く白銀のオーラに触れて消えていく成れの果て、そのラストを見送った悠馬は、歪む視界の中、膝を折る。
「ゲート…」
悠馬がそう呟き、数秒の時間が経過する。
静寂に包まれた屋上では、それが無限のようにも感じた。
「ゲート!ゲート!ゲート!クソ!クソが!なんで…!どうしてだよ!」
悠馬はすでに、体力の限界を迎えていた。
当然の結果だ。
残りの体力がわずかだったというのに、勝敗を急ぎ、セラフ化を使用してしまった。
勝つためにはその方法しかなかったのかもしれないが、必然的にゲートが使えなくなるのは、目に見えていた。
瞳に涙を溜める悠馬は、1人地面を叩き、叫び声をあげる。
「なんでいっつも…俺ばっかり!失わなくちゃいけないんだ!なんでなんだよ!」
いつも失ってきた。
大切なものは、ほとんど失った。
だからようやく手に入れた大切なものが。幸せな空間が消えていくのは、本当に怖いものだった。
「カカカッカカカッ!gyoうaん!kす!」
泣き叫ぶ悠馬の耳に聞こえてくる不快な声。
「え…」
背後から聞こえてきた声に振り返った悠馬は、ムカデのような生物から攻撃をくらい、まるでスーパーボールのように跳ねながら、地面を転がった。
どうして。
さっき、完全に倒したはずだ。
砂のように消えていくのだって確認した。
吹き飛ばされながら、なぜバースが生きているのか、その謎を考える悠馬は、屋上の片隅。
そこにある、ムカデの一部分のようなものを発見する。
「…まさか…」
死角に隠れて、あの分体のようなものが肉体を再生させていたのか?
悠馬の手から離れ、セントラルタワーの屋上から落ちていく神器。
必死に手を伸ばすが、それを取り損ねた悠馬は、タネがわかったところで、為すすべはなかった。
異能はもう、使えない。
いくらレベル10、それなりに鍛えているといえど、体力がなくなればレベル1と同義。
ただの赤子同然だった。
異能で反撃をしてこないことを好機と見たのか、分裂して襲い来る、バースの成れの果て。
その攻撃をモロにくらう悠馬は、血しぶきを上げながら、地面を転がった。
「……花蓮ちゃん…俺…」
死ぬかも知れない。
血まみれになった自分の全身。
赤く染まった景色を眺めながらそう呟いた悠馬は、それでもゆっくりと立ち上がると、もう動けないと判断して油断しているのか、攻撃を加えてこないバースの成れの果てに噛み付く。
「お前が…邪魔だ…!」
最後まで抗うことを辞めなかった悠馬。
しかし、抗ったところで、結果は目に見えていた。
結局、何をしたところで、使徒VS生身の人間。という勝負の勝敗は、最初から決まっている。
セラフVS使徒ならば、セラフが勝利を収めたものの、生身の人間では、天と地がひっくり返ろうが、状況が好転することはない。
悠馬がまだ動けたことに驚いたのか、それとも、必死に抗う悠馬が面白かったのか。
分裂したバースの成れの果ては、執拗に悠馬へと攻撃を加えるのか、サッカーボールのように悠馬を吹き飛ばし、遊び始める。
「kkkk…!」
もはや人のものではない笑い声。
バグった機械のような音などではなく、人の言葉が理解できていない、そして発せないような、不気味な笑い声だけが、セントラルタワーの最上階に響き渡った。




