全力全開
嵐でも直撃しているのかと錯覚するほど、激しく揺れ動く木々。
新緑色の葉は風に耐えきれなかったのか、次々と宙を舞い、渦を巻きながら遠くへと消えて行く。
その中で挑発的な笑みを浮かべる少女、花咲花蓮は、オーラに気圧されて一歩後ずさったアメリカ支部兵の元へと、一歩一歩、着実に歩み寄る。
その姿はまさに、弱者と強者のそれだ。
「デルタ!」
「ああ!舐めるなよ!」
黒髪の男に名前を呼ばれた金髪の男、デルタは、眉間に皺を寄せると一気に加速し、花蓮の懐へと入り込む。
美月との戦いで見せた、一撃必殺の異能である。
「それがアンタの異能?少し残念。っていうか、拍子抜けよね。悠馬がすごく心配してきたから、私も全力全開でやろうって気になったけど…結界を使うまでもなかったのかしら?」
懐へと入り込み、拳を向けてくるデルタを眺めながら、焦るそぶりもなく煽る花蓮。
その姿は、慢心しているというよりも、落ち着いてデルタの攻撃を分析しているように見えた。加えていうなら、花蓮の煽りは平常運転だ。
しかしデルタは、その言葉を慢心からの煽りだと判断した。
「痛い目見せてやる!」
「それ、こっちのセリフなんですけど」
拳が花蓮へと直撃する寸前、デルタの拳は見えない壁にでもぶつかったのか、ほんの数センチ、あと数センチの距離で、止まってしまう。
それと同時にデルタの右腕は、ナイフで表面を削り取られるように、皮膚がバリバリと剥がれ、血を吹き出した。
「ぐぅっ…!」
「当たらないわよ。そんな攻撃。だって相性悪すぎるもの」
デルタの異能は、身体強化のそれに近い異能であって、炎を纏ったり、氷を放ったりする異能とは全くの別物だ。
対する花蓮の異能は、六大属性にも選ばれている、風の異能。
風の異能の使い方は様々あるが、今花蓮がデルタに向けて使用したように、触れようとしてきた相手を切り裂く。ということも可能なのだ。
つまり何が言いたいかというと、その気になった花蓮には物理的な攻撃はほとんど当たらない。
当たる前に風で押し返されて、挙句切り裂かれるという、とんでもないこともできるのだ。
そのため、肉体を使用するデルタの物理的な異能と、物理的な攻撃をほぼ無効に出来る花蓮の異能は、極めて相性が悪い。
「調子に乗るなよッ!」
そんな、花蓮の純粋な忠告など耳にもしない黒髪の男。
周囲を探せばどこにでもある砂を自在に操る男は、地面に手を置くと、その砂を花蓮へと向けて一気に放った。
それはまさに、砂の雪崩。砂漠で砂が崩れ落ちてくるような光景だった。
「それも相性悪そうね」
落ち着いて断言した花蓮は、その場で仁王立ちしたまま、風で散って行く砂を見届ける。
「チッ…こいつ間違いなく」
「ああ…六大属性持ちだ…」
薄々感づいてはいたのだろうが、自分たちの異能を容易く相殺してみせた花蓮の異能が、六大属性の風であることを察し、表情を引き締める。
残念なことに、彼らは六大属性、しかも風という異能との相性が極めて悪い。
砂で攻撃をしようが、物理的な攻撃をしようが、風によってそのどれもが無効化されてしまう。
炎や雷、そして聖や闇など、六大属性のうち4つになら対応をしている黒髪の男の異能、砂は、氷と風にはめっぽう弱い、特に風の異能は、絶対に戦闘を避けたい異能の1つでもある。
「そっちが攻撃してこないなら、私が攻めてもいいんだけど」
警戒した様子で、距離を詰めてこない2人を見た花蓮は、威圧的な態度で一歩前へと踏み出す。
「デルタ!バース副隊長、若しくはイーサンに連絡を…!」
「やっている!しかし、どちらも電波取得圏内にいないのか、応答がない…!」
すでにアダムに倒されている黒人の大男、イーサンと、そして現在、悠馬と戦っているであろうバース。
当然のことながら、現状2人が無線で救援を呼んだところで、助けに訪れる人物はいない。
「それじゃあ、アンタたち、1発ずつ殴らせなさい♪」
そんな戸惑う2人を見て、いつになく無表情な笑みを浮かべた花蓮。
「くそ…!こんな女子生徒に…負けてたまるか!」
「恨むなら、生まれ持った自分の異能と、私の大切な友達に手を挙げた自分を恨みなさいよ。往生際が悪いわよ」
黒髪の男が、最後の防衛ラインと言わんばかりに作り上げた、砂の壁。
それを驚くこともなく見届けた花蓮は、その砂の壁にゆっくりと歩み寄ると、人差し指で軽く触れてみせる。
「消し飛びなさい」
花蓮がそう告げると同時に、呆気なく崩れ去る、砂の壁。
「レベル10…」
1番の力作だったのか、呆気なく崩れ去った砂の壁を見届けた黒髪の男は、ボソリと花蓮のレベルを推測し、呟いた。
彼らだって軍人だ。その所属年数はまだまだ浅いものの、それでも国家を守るため、そして世界の平和を守るために日々訓練を続けてきたのだ。
それなのに、異能島に通う、ただの学生に負けてしまう。
そんな可能性があるとするなら、自分よりもレベルが上の人間と当たってしまった時くらいだ。
レベルが互いに8.9の2人は、自分たちに為すすべが、そして勝機が完全になくなったことを悟り、両手をあげる。
「話を聞いてくれ。俺たちは…」
「聞いてあげない。弁明は警察署でどうぞ」
デルタが弁明しようとしたが、それを強引に遮った花蓮は、聞く耳を持たないのか少しだけ愉快そうな笑みを浮かべ、そして風の異能を纏い彼らの懐へと入り込む。
「あ、言い忘れてたけど。私、筋力ないから。異能使って殴るわよ?」
最後に放たれた、衝撃の一言。
最悪、殴られておしまいだろう。などという甘い考えをしていた2人は目を見開き、そして腹部に走った衝撃をモロに感じながら、背後にあった木々に激突した。
「かはっ…」
「ぐ…」
容赦のない一撃。
いくら軍人といえど、流石に耐えきれなかったのか、起き上がることすらせずに、ピクリとも動かなくなった2人を見つめる花蓮は、「ふー…」と一度ため息を吐いて、両手を腰に当てた。
「とりあえず1発ずつ。あー、スッキリした!」
満足そうな声をあげた花蓮は、雑木林の隙間から見える夜空を見上げ、続けて小さな声を漏らした。
「悠馬は…夕夏は大丈夫かしら…」
***
薄暗くなった、船室。
その中で、虚ろな瞳を必死に開けている人物がいた。
今にも瞑ってしまいそうな瞳を、何度も大きく開き、それを何度も繰り返す。
「結界…クロノス…」
首元をナイフで切られているジャクソンは、切られた箇所を自身の手で押さえ、掠れた声で結界を唱えた。
ポタポタと流れる、血液。
自分の血で出来た赤い水たまりを一度目にしたジャクソンは、何か悟ったような表情で、瞳に映った2人の少女を見る。
完全に誤算だった。
まさかバースがあれほどの野心家で、上司にも手をかけるような人物だったとは。
自分の認識の甘さが、今回の事件を引き起こしてしまった。
自分なら、新入りの兵士たちをきちんと育てれる。ジャクソンの心の中には、少なからずそんな自惚れがあった。
だから今回は、副隊長ですら、新人のバースを抜擢したのだ。
しかし結果はこの有様。
部下であるはずのバースに手をかけられて、任務を1パーセントも進めることもできず、目の前にいる女子生徒2人に、重傷を負わせてしまった。
ジャクソンの命だって、そう長くはない。
この3人の中で、唯一急所に怪我を負っているジャクソンは、虚ろな瞳で、2人を見つめる。
「私には…これくらいしかできない…」
ジャクソンの異能は、視認した物体、対象の動きを遅くさせるという異能だ。
その使い方は、相手の行動を遅くさせる他にも、血の流れを遅くさせるといった、延命的な使い方もある。
加えて、彼の結界はクロノスだ。
時間の神であるクロノスの力もあり、ジャクソンの異能は、本来の数倍、対象の速度を遅くさせるものとなっていた。
そんな異能を自分のためではなく、見ず知らずの、今日初めて出会った2人に使用したジャクソン。
自分のために使っていれば、間違いなく延命だってできたはずだ。
バースが訪れた時だけ死んだフリをして、助けを待つこともできるはず。
しかしこれは、彼なりのケジメでもあった。
自らの失態は、自ら責任を持って対処する。
バースの処罰はできないだろうが、2人を殺してしまう失態を、なかったことにする。
最初に、危害を加える気は無いと約束したジャクソンなりの、2人に対する思いやりだ。
「…私は…軍人に向いてないな…」
歪む視界の中で、2人を眺めながら、自嘲気味に呟くジャクソン。
彼の表情は、すでに生気など感じられず、かなり青ざめていた。
そう長くは無いのだろう。
「せめて…この娘たちだけは…」
薄れゆく意識の中、最後にそう呟いた彼は、まるで電源が切れたように、操り人形の糸が切れたように動きを止めると、その場で倒れ込んだ。
「その願い。聞き届けようじゃないか!なぁーんて、まぁ、クロノス、お前はよく頑張ったんじゃないか?」
薄暗い部屋の中。赤い水たまりが広がっているその空間に現れた人物は、ジャクソンに一度だけ礼をすると、美月の元へと歩み寄る。
「あーあーあー…俺の狙ってた娘なのに…こんなにひどいことしちゃって…あれだね!うん!あのバースとかいうヤツは、クラミツハに消してもらうことにしよう!」
そんな物騒なことを呟く人物。
金色の髪に、エプロンをまとっているその人物は、約1ヶ月前、美月が噂を聞いて訪ねた雑貨店の店主、ヘルメスだった。
「ごめんね。お姉さん。残念だけど、意識のない人とは契約できないんだ。だから俺に出来ることは、君に幸運を授けることだけ。どうにかこの幸運で、死地を脱出してほしい」
血を流す美月へと、光り輝く何かを送り込んだヘルメス。
それは彼の言う通り、幸運なのかもしれない。
何が起こるのかはわからない、きまぐれな力。
しかしながら、結界として契約もしていない神が、人に授けられる恩恵と言えばこの程度だ。
彼女に幸運を与えると同時に、体力を消耗したのか、半透明に消えかかるヘルメスは、自分の身体を見つめながらため息を吐く。
「こりゃあ流石に、しばらく商売はできないだろうな…絶対怒られるし…」
人の世界で、契約もしていない神が好き勝手した。
それは神の世界では、ルール違反だったようだ。
怒られるのがよっぽど嫌なのか、渋い顔を見せたヘルメスは、美月の横、亜麻色の髪をした少女を見つめ、そしてしゃがみこんだ。
「おい、おいおいおい。へいへいへい。まさか…椿?椿だよな?」
完全に想定外。と言いたげに、額に手を当てたヘルメスは、瞬時にピンク色の髪になった夕夏を見て、ニッコリと笑ってみせる。
「ヘルメス…お前か。なんで実体化している?神々の実体化は許されてないはずだろう」
「そう言う貴女こそ、人の身体で何やっちゃってるんですか?世界最大のイレギュラーさん。え?何?まさか人の身で、結界に昇格しました。なんて言わないよね?」
「バカか。それが出来てるなら、とっくにあんな雑魚は消してる」
夕夏とは全く違った口調に、髪色、そして瞳の色。
彼女が決して口にしないような発言をした、椿と呼ばれた人物は、根元から千切れた鎖に繋がれている手を見て、呆れたため息を吐き出す。
「ていうか、こっちも状況が知りたい。数カ月前か?急に目覚めたら、この女の身体の中にいて。思い通りに身体は動かせないし、こいつの感情が昂らないと、声をかけることすらできないし…挙げ句、今だって話をするのがやっとだ」
「うーん…あれじゃない?その彼女の身体が、死んだ椿の身体のDNA、そして異能に限りなく近いものだったから、何かの拍子で、覚醒した、とか?」
夕夏の人格の中に、過去に生きていた人物の人格が入っている。
過去に何かあったのか、ヘルメスと知り合いのご様子の彼女は、あからさまにぶすくれた表情で目を瞑る。
「はぁー…ってことは、私は刑務所生活となんら変わらない…やっぱり、あの時もうちょっと脅して、自殺させておくべきだったのか…?いや、感情を昂ぶらせて、私が人格を奪うっていう手も…」
「やめときなよ。椿、その身体は他人のものなんだよ。この世界に、君の居場所はないんだ」
物騒な話を始めた椿に向けて、鋭い眼差しを向けたヘルメス。
その視線には、彼女の身体を使って、勝手なことをするな。という忠告も混ざっているように感じた。
「まぁ…そうだな…私もまだ、ほとんど眠っているような状況だし、後のことは完全に覚醒した後に考えればいいか…」
面倒なことは後回し。
悠馬と同じような発言をした椿は、消えかけのヘルメスにニヤリと笑みを浮かべ、口を開く。
「死ぬなよ、ヘルメス」
「こっちのセリフでしょ。それ。じゃあ、お元気で」
懐かしい人物と話せて満足なのか、その場から消えていくヘルメス。
その姿を見送った椿は、満足したのか、それとも限界が来たのか。
彼女はその場に倒れ込んだ後、亜麻色の髪に戻り、そしてピクリとも動かなくなってしまった。
かわいい女の子に蹴られたいです




