アリスの思惑
時は遡り、世界会合が開催された翌日。
アメリカ支部ハワイ島、その一角にある軍事施設の中には、低身長のアメリカ支部総帥、アリスの姿があった。
大きく開けた窓からは、青色の海が見え、室内の床は赤いカーペットで覆われている。
ライトはシャンデリアで、机も古い味こそ出しているものの、高級そうなオーラを漂わせ、その上には仕事で使うであろう、デスクトップのパソコン、そして複数の書類が積まれていた。
そんな中を、深刻そうな表情で歩き回るアリス。
仕事に手がつかないのか、それとも何か、マズい出来事でも起こったのか。
眉間にしわを寄せているため、おそらく後者なのだろう。
アリスはつい昨日行われた、世界会合の話し合いに出てきた、暁闇について考えていた。
3年前、日本支部で起こったテロ事件。
その主犯は、悪羅百鬼と、それに便乗した日本支部解放軍。
第5次世界大戦中ということもあり、日本支部の対応が遅れてしまい、悪羅百鬼を除いた生存者は1名のみ。
日本支部が悪羅、そして日本支部解放軍の対応に遅れる中で、唯一生き残り、そして史上初めて、悪羅との戦いの末生き残った人物。
それが暁闇だ。
日本支部でも、その他の支部でも暁闇は、異能王を差し置いて悪羅を止めた人物として英雄視されている。
正義の執行者、悪を屠る者etc…数え出せばキリがないほどの異名を持っている暁闇。
アリスは今、その暁闇について真剣に考えていた。
3年前、アリスだって、史上初めての悪羅との戦いにおける生存者が現れたと聞いて、歓喜したものだ。
近い将来で、悪羅が逮捕される。ようやくこの長い戦いに終わりが来るのだと。
しかしその暁闇が闇堕ちだと知った日から、アリスはある不安を抱いていた。
ロシア支部冠位の漆黒に、大罪人の悪羅。
闇堕ちといえば、頭のネジがどこか1つ飛んでいて、何をしでかすかわからない。
世の中で闇堕ち=犯罪者という考えが多いように、総帥をしていれば、闇堕ちが起こす犯罪の数というのが、どうしてもわかってしまう。
結論から言うと、闇堕ちした人間の犯罪率はかなり高い。
もちろん、闇堕ちする原因が何らかの精神的なショックで、その大抵が大切なものを失って反転するのだから、復讐心、憎しみといった感情が増幅しているため仕方のないことなのだが。
それでも、仕方のないこととして片付けるには、目に余るというか、なんというか。
国を引っ張っていく立場のアリスからして見ると、闇堕ち=危険因子なのだ。
そんな闇堕ちの暁闇が、再び悪羅と合間見えた。
もし仮に、暁闇が悪羅に唆されていたら?
3年前と違って、気が変わっていたら?
気まぐれで世界に敵対する存在になっていたら?
アリスの中には、そんな不安があった。
しかも今回、暁闇はセラフ化まで使用したという。
セラフ化を使えるということはつまり、その辺の軍人などよりも遥かに強い、アメリカ支部で言うなら、各軍の隊長格や、総帥、もしかすると冠位に匹敵する力すら手にしているかもしれないのだ。
「マズすぎる…」
暁闇が悪羅側に寝返る可能性を払拭できないアリスは、爪を噛みながら、苦い表情を浮かべる。
いくら暁闇が危険だからと言えど、暁闇が学生として国際法で守られている以上、下手な接触はできない。
アメリカ支部というのは、支部になる以前の名残からか、異能王の次に力を持っている国家だ。
異能王が不在の時は、アメリカ支部が先頭を走って、他の支部を引っ張ってきたし、他の支部も援助してきた。
異能王が動かないのなら、アメリカ支部が動かなければならない。
この件について、まったく興味を示さなかった現異能王のエスカのことを思い出しながら、ため息を吐く。
「あの男は、異能だけだ…世界を統括するほどの頭を持ち合わせていない」
本当に頭のキレる人物ならば、昨日、ロシア支部の漆黒が指摘したように、暁闇の危険性について真剣に議論していたはずだ。
他の支部だって、アリスと同じく、暁闇が危険因子に変わる可能性を考えていたと言うのに、エスカはそのことを考えていないように見えた。
異能王が動かない以上、アメリカ支部が動くしかない。
そう結論付けたアリスは、赤いカーペットを歩き、デスクトップのパソコンが置いてある机の椅子に腰掛けると、パソコンを操作し、メールを送信する。
「…やるしかない。この世界のためにも、この世界を守る側として、やらなければならない」
椅子に座り、顔を手で覆ったアリスは、独り言を呟く。
この世界をよりよく導くために、自分は何をすればいいのか。
アリスはいつも、そのことについて考えていた。
悪羅の排除、オクトーバーの排除、あのお方の特定。
それが出来れば良いのだが、残念なことに、そう簡単に事は運ばない。
だから悪羅もオクトーバーもあのお方も、いまだに捕まえれていないのだ。
そんな中、できる事はただひとつ。
地道に外堀を埋めて、危険因子を減らしていくことだけだ。
ちょうどコンコンという扉を叩く音が聞こえたアリスは、ゆっくりと目を開くと、顔を覆っていた手を離し、口を開く。
「入っていいぞ」
「失礼します」
アリスが入室を許可すると同時に、ゆっくりと開く扉。
中に入ってきたのは、年齢的には40代前半ほどだろうか?金髪に青い瞳、そして体格のかなり良い、渋い人物だった。
「久しいな。ジャクソン隊長。こうして顔を合わせるのは…戦争以来か?」
「はっ。お久しぶりです。アリス総帥。そうですね、私がハワイ島へ配属されたのが3年前なので、戦争以来になります」
深々と頭を下げながら、話をするジャクソンと呼ばれた人物。
彼はアリスが知っているアメリカ支部軍に所属するメンバーの中でも、飛び抜けて優秀な人物だ。
第5次世界大戦では、共に死線を潜り、数々の仲間が朽ちていく中、隊長としての責務をきちんと果たした男。
彼の采配がなければ、どこかの戦地で負けていたに違いない。
アリスはジャクソンのことを信頼している。
もちろん、それはジャクソンとて同じだ。
互いに死線を潜り、生き延びた。
形では部下と上司のような関係だが、アリスからしてみれば、久しぶりに古き友にあったような感じだった。
「ところで…本日の要件は…」
感傷に浸っているアリスを引き戻す、ジャクソンの声。
わざわざメールで呼び出したのだから、よっぽどのことなのだろうと考えているジャクソンは、近況などはすっぽかして、いきなり本題へと入った。
「ああ。そうだな。ジャクソン隊長。任務だ。日本支部異能島にいるはずの暁闇の調査を頼みたい」
「あの日本支部の暁闇、ですか?」
不思議そうに、アリスの言葉を繰り返すジャクソン。
彼の認識では、暁闇といえば、日本支部のピンチを救ったヒーローのような人物。
悪羅に唯一対抗できた人間で、将来軍人になるだろうなどと、勝手に考えていた。
そんな彼の調査を今頃、なぜ?どうして?
「暁闇が悪羅と再び接触した。今度はセラフ化も使ったと聞くし、放っておくわけにはいかない。ジャクソン隊長、調査後お前の判断で、暁闇が悪羅側に寝返ると思った場合、その場で暁闇の首を落とせ」
「アリス総帥…正気ですか?貴女は今、自分が何を言っているのか、きちんと考えていますか?」
今のアリスの発言は、立派な国際法違反だ。
他国へと不法侵入し、国際法で守られている子供を勝手に調べ上げ、自分の独断と偏見で殺すか生かすかを決める。
とてもまともな人間が取るような手段とは思えない。
況してや国を引っ張っていく立場である総帥ともなると、尚更だ。
「わかっている。ちゃんと考えた。…だが。暁闇が本当に寝返った場合…一体アメリカ支部に、どれだけ対抗できる人間がいると思う?悪羅と互角に戦い、セラフ化すら使いこなす子供だぞ?」
一体アメリカ支部で、何人が暁闇に対抗できるのか。
その質問をされたジャクソンは、黙り込む。
もし仮に、暁闇が寝返ったのなら、アメリカ支部で対抗できる人間は、10人程度だろうか?
まずは、ジャクソンと同じ隊長が11人と、アメリカ支部に所属している、戦神、炎帝の覚者2人。後は総帥のアリス。
単純に考えて、14人しか、暁闇に対抗できる力を有していない。
もし暁闇が寝返ったとするなら、ゾッとする話だ。
対応が遅れてしまえば、国の1つや2つ、本当になくなってしまうかもしれない。
そう考えると、アリスの判断は正しいのだろう。
「もうわかっていると思うが、これは極秘事項だ。日本支部にも、異能王にも気付かれずに、遂行する必要がある。…気付かれた時は、私が責任を持つ」
「…わかりました」
国際法を破る覚悟。
アリスが悩んで出した結論なのだと判断したジャクソンは、それ以上は何も言わずに、1つ返事で承諾する。
「ありがとう。感謝する」
「いえ。これも仕事なので。…ところで、編成はどうしますか?移動手段も気になるところですが」
暁闇の調査へ向かうのはわかったが、問題はそこまでの過程だ。
本来、軍に所属している人間は、そう簡単に国境を跨ぐことは出来ない。
理由としては、今アリスがしているような極秘裏の暗殺や、他国へ旅行に行った際に、酒に酔った勢いで暴れてしまうような輩がいるため。
そんな理由もあってか、他の支部へ移動する際には、その国の総帥の許可が必要となるのだ。
国の主である、総帥の許可というのは、そう簡単に降りないし、降りたとしても監視の目はついてくることだろう。
つまり、極秘裏に暁闇の調査も、殺害も行えないことになる。
「ちょうどステルス製の潜水艦が出来上がっていただろう。あれを使え。編成はジャクソン、お前の判断に委ねるが、上限人数は5人だ。それ以上大掛かりになると、色々と面倒になる」
「5人…ですか」
5人で暁闇を倒せ。
それは、簡単に言って仕舞えば、5人で悪羅を倒せと言っているようなものだ。
悪羅と実力が同じと噂される暁闇を、覚者の手助けも、総帥の手助けもなく、隊長1人と、その仲間達4人で処理する。
「最悪、調査だけでもいい。消せないと判断した場合、即座に撤収し、私に報告をしろ。危険因子じゃないとしても、報告だけは忘れるなよ」
自分の手に余ると判断したら、撤退を許可された任務。
その点だけで言えば、かなりまともな任務なのかもしれない。
「はっ。それと最後に…」
「なんだ?」
「もし仮に、暁闇を殺害した場合。後処理はどうするおつもりで?異能島は警備も厳重。気付かれるのは時間の問題でしょう」
異能島の警備上の問題。
監視カメラが無数に設置されている島で、いくら隊長のジャクソンと言えど、1つのカメラにも映らず任務を行う、なーんてことは不可能だ。
「大丈夫だ。日本時間の7月24日、夜の20時から翌6時まで、異能島は全カメラを一時的に停止させ、点検を行うそうだ。その時間帯を狙う…亡骸は海にでも流せ」
「時間がないですね…わかりました。すぐに編成に取り掛かります」
「ああ。頼んだぞ」
日本支部異能島の内部情報を手にしていたアリスは、監視の目がなくなる時間帯をジャクソンに話し、去っていく彼を見送る。
「失礼しました」
最後に一度だけ礼をして、去っていくジャクソンを見届けたアリスは、背後にあった窓ガラスの方へと振り向くと、そこから見える青い海を見て、長いため息を吐いた。
「はぁ…」
今回の任務には、かなりのリスクが伴う。
もし失敗でもしたら、アメリカ支部の地位は失墜することだろう。
それでも、どこかの国がやらなければならないことなのだ。
未来の犯罪者を育成するくらいなら、悪に染まりきる前に、駆除を。
「ジャクソンが無理だと判断した場合、戦神を投入せざるを得ないな」
アメリカ支部隊長のジャクソンでも、暁闇に太刀打ちできないと判断した場合、戦神に頼るしかない。
7月24日の監視カメラの点検期間を終えれば、次はいつ、どのタイミングで兵を送れるのかわからない。
その点、戦神は学生。
編入という形で日本支部の異能島へと入学させてしまえば、後はスムーズに片付けてくれるはずだ。
あくまでも、暁闇が危険因子だった場合の時の話なのだが、念には念を入れて確実なプランを考えるアリスは、海を眺めながら、だらしなく椅子に座り込む。
「頼んだぞ…ジャクソン隊長…」




