第32話 ベスドム・フレンチの賭け
フレンチステーションのたくさんある噴射ノズルが少しずつ稼働し、帝国領へと向かい始めていた。
「ドミニークスは疲弊している。トムラーは滅んだ。帝国は女帝のため統率力に乱れがある。今こそ、帝国を討ち果たし、新しい銀河系を作り出す必要がある」
大ホールに兵士を集め、ベスドムは熱っぽく語っていた。彼は兵士達を見渡して、
「いいか、この闘い、決して負けるわけにはいかないのだ。死んで行った多くの兵達のためにも、銀河の民のためにも」
「おーっ!」
大ホールに兵士達の掛け声が響いた。ベスドムは満足そうに笑みを浮かべた。するとそこへ側近が歩み寄り、耳打ちした。ベスドムは仰天して、
「何!? それは本当か?」
「はっ。マリアンヌ様が居室でお待ちです」
「……」
ベスドムは苛立たしそうな顔をした。
(あの女、何を考えておるのだ? カタリーナ・パンサーなど捕えて来たら、ジョー・ウルフがここに来るではないか。そうなったら……)
ベスドムはハッとした。
(まさか彼奴、 ジョー・ウルフを使うつもりでは……。それは失敗しているのだぞ……)
ベスドムは歯ぎしりした。
ジョーは宇宙港に来ていた。フレッドとバルトロメーウスも一緒である。
「ジョー、悪い事は言わねえ。あの女と戦うのはやめた方がいい。10年前にフレンチと帝国の間で起こった七日間戦争を知っているだろう?」
フレッドが尋ねると、ジョーは自分の小型艇をカタパルトに移動させながら、
「ああ。知っている」
「あの時の戦いで、百万の兵を差し向けた帝国軍が、たった5万のフレンチ軍に惨敗しているんだ。その最大の原因があのマリアンヌだ。あの女は、たった1人で1万人の兵を殺したと言われている。多少の誇張はあるにせよ、並の人間じゃねえことは確かだ」
しかしジョーは、
「どんなに相手が強くても、カタリーナを見殺しにする事は出来ねえ」
と言い、小型艇のハッチを開き、中に入って行った。バルトロメーウスが顔を入れて、
「俺も行くよ、ジョー」
「いや、俺1人で行く」
小型艇はカタパルトに載せられた。エンジンが始動し、ジョーの小型艇は宇宙へと飛び立って行った。
「ジョー、大丈夫かな……」
バルトロメーウスが呟くと、フレッドは、
「大丈夫だって言いたいところだが、相手が相手だからな……」
2人は顔を見合わせた。
ベスドムが居室に入ると、ソファにカタリーナが寝かされており、その横にマリアンヌが座っていた。彼女はベスドムを見て、
「この女、誰だか知っているわね?」
「ああ。カタリーナ・パンサー。ジョー・ウルフの恋人だろう」
ベスドムはカタリーナに近づいて見下ろし、
「この女をどうするつもりだ?」
「この女を使ってジョー・ウルフに帝国を叩かせるのよ」
「それは以前ビスもやった事だ。しかし、失敗した。ジョー・ウルフに脅迫は通用しない」
ベスドムが言うと、マリアンヌはサッと立ち上がり、
「私のは脅迫じゃない。私はジョー・ウルフがこちらの言う事を聞かない場合、本当にこの女を殺す。それはあの男にもわかるはず。フフフ……」
「この女を殺してしまったら、奴は我々の言う事を聞く理由がなくなるぞ」
ベスドムの反論をマリアンヌはバカにしたような顔で笑い、
「以前のジョー・ウルフならそうかも知れない。でも今は違う。ちょっと感傷的になっているのよ。昔の仲間に会ったのでね」
「……」
何も言わないベスドムを見て、マリアンヌはさらに続けた。
「それに、ジョー・ウルフは私が叩きのめしたわ。あの男もどちらが上なのか、よくわかっているはずよ」
マリアンヌは自信に満ちていた。
ジョーの小型艇はジャンピング航法をし、フレンチ領に入った。いつもならすぐに現れるパトロール艇が来ない。ジョーは宇宙服を着込んで辺りを見回した。遥か前方に、光の点滅が見えた。レーダーにも大きな物体が映っている。
「何だ?」
ジョーはもう一度前を見た。
( まさか……。フレンチステーションか? )
確かにそうだった。ジョーの小型艇に接近しているのは、フレンチステーションであった。その信じられない程大きな人工物は、まさに動く要塞そのもので、帝国との決戦のためのフレンチ軍の切り札であった。
「フレンチが何かしようとしているのか……」
ジョーはまさか自分がその企てに巻き込まれるとは思っていなかった。
帝国親衛隊長であるアウス・バッフェンは、ホテルの一室で隊員からの報告を受けていた。
「なるほど。あのマリアンヌがカタリーナ・パンサーを連れ去ったか。それでベスドムはジョー・ウルフに何をさせようとしているのだ?」
「はっ、はっきりとはわかっていませんが、どうやら帝国との戦争に利用するつもりのようです」
「そうか」
バッフェンはニヤリとして、ソファから立ち上がった。隊員が、
「あの如何致しましょう?」
「別に何もする必要はない。帝国には私が連絡しておく。お前はバルトロメーウス達の見張りを続けろ」
「はっ!」
隊員は敬礼して部屋を出て行った。バッフェンはソファに戻り、
「フレンチの方からしゃしゃり出て来るとは、嬉しい限りだ 」
と呟き、ニヤリとした。
ジョーはフレンチステーションの誘導灯に導かれて、ステーションのハッチの一つから中に入り、格納庫の片隅に着地した。ハッチが閉じられ、格納庫内に空気が補充された。ジョーは宇宙服を脱ぎ、小型艇から出た。
「むっ?」
すると通路の方から人影が2つ近づいて来た。マリアンヌと軽身隊員だった。マリアンヌは、左肩にカタリーナを担いでいた。
「良く来たね、ジョー・ウルフ」
「カタリーナを返してもらおうか」
マリアンヌは狡猾な笑みを浮かべて、
「カタリーナは俺の女だ、心から愛している。この通り頭を下げるから、返してくれ。そう言ったら返してあげるよ」
ジョーの眼がギラッと光った。マリアンヌは笑いながら、
「男にはあんたの凄みは確かに通用するでしょうよ。でもね、私には通用しないよ。それに私はハッタリが大嫌いでね。するのか、しないのか、はっきりしてもらおうか」
「しないと言ったらどうするつもりだ?」
ジョーは穏やかな顔で尋ねた。マリアンヌはニヤッとして右手の爪を立て、
「こうするのさ!」
とカタリーナの左腿に突き立てた。カタリーナは睡眠薬で深く眠らされているらしく、呻き声も上げない。黒い軍服に鮮血が飛び散った。マリアンヌは得々としてジョーに目を転じた。しかしジョーはピクリとも動かず、全く狼狽えた様子はなかった。これにはマリアンヌも拍子抜けしたのか、
「カタリーナを殺さないと思ってるのかい?」
「そうだ」
「私はそんなに優しくないよ、ジョー・ウルフ」
ジョーはフッと笑い、
「カタリーナを殺してみろ、あんたは俺を操れなくなる。そうなればあんたの目的は達成できない。あんたは俺を操るためにカタリーナを連れ去ったんだろう? だからあんたにカタリーナは殺せない」
「しかし、私はビスとは違う。あんたにも愛する者を失った悲しみを味わわせてやる!」
「てめえのような化け物の口から、愛なんていう言葉を聞かされるとは思わなかったぜ、マリアンヌ」
マリアンヌの爪がさらに伸び、高々と振り上げられた。マリアンヌはカッと目を見開き、
「カタリーナを殺して、お前を発狂させてやる! 口では何と言おうと、お前はカタリーナを愛しているのだ!」
と言うと、ザクッと爪をカタリーナの太腿に突き刺した。しかしジョーは身じろぎもしなかった。血が飛び散り、マリアンヌの顔にかかった。彼女はジョーを見て、
「この爪には毒が塗ってある。放っておけば、カタリーナは48時間後に死ぬ。助けて欲しければ、我々と一緒に帝国と戦うのだ」
と言い放った。ジョーは、
「てめえはたった今ハッタリは嫌いだと言ったはずだ。だが今ハッタリを言った。情けねえ奴だな」
「ハッタリなどではないぞ」
マリアンヌの爪が、隣にいた軽身隊員の眼に突き刺さった。
「ギャーッ!」
軽身隊員はのたうち回り、やがて痙攣を起こして動かなくなった。マリアンヌはニヤリとして、
「どう? これでも信じないのかい? カタリーナにはこいつより少量の毒を注入したから、まだ効果は現れていないけどね」
と言った。ジョーは肩を竦めて、
「わかった。ハッタリじゃないようだな。言う通りにしよう」
マリアンヌはジョーのその言葉に至上の喜びを感じていた。
「私はジョー・ウルフを屈服させたぞ! ストラードが手こずり、狸が怯え、トムラーが逃げたジョー・ウルフをな!」
ジョーはその間無表情に一点を見つめたままでいた。
一方ジョーを追ってフレンチ領近くまで来たフレッドの艦は、フレンチステーションが帝国領へと動いているという情報を入手していた。
「何て事だ。一歩遅かったようだな。ジョーも今頃捕まっちまってるだろう」
操縦席でフレッドが言うと、バルトロメーウスは副操縦席で、
「どうするんだ、じいさん?」
「どうするも何も、儂らも帝国領に向かうしかあるまい。戦争が始まれば、その隙に乗じる手はいくらでもあるさ」
「そうだな」
フレッドの艦は大きく左に転針し、帝国領を目指した。
帝国の宮殿にある謁見の間で、皇帝エリザベートはそわそわしていた。情報部の長官が来て、フレンチステーション接近を知らされたからだ。
「それで、帝国には勝算はあるのですか?」
「はい、陛下」
「わかりました。ならば、迎撃部隊を差し向ける事を許可しましょう。フレンチ軍を何としても討ちなさい」
「はっ!」
長官は右手を胸に当て、深々と頭を下げた。すると影の宰相が、
「傭兵部隊対軽身隊。見ものですな、陛下」
「何ですって? 傭兵部隊を使うのですか?」
「そうです。それしか軽身隊に勝つ方法はありません」
エリザベートは悲しそうに俯いた。
(何という事だろう……。人々を殺すために生きている人達の力を借りなければ、帝国を守る事が出来ないなんて……)
フレンチステーションはフレンチ領と帝国領を隔てるアステロイドベルト宙域に来ていた。ベスドムは司令室のキャプテンシートから立ち上がり、
「良く聞け、兵士達よ! 我々にはジョー・ウルフがついている。100万の味方よりも頼もしい存在である。この戦い、我々の勝利が見えたぞ!」
と通信機に叫んだ。ステーションの各所で喚声が上がった。ベスドムはニヤリとしてシートに戻った。そして、
「マリアンヌめ。たまには役に立つ事もあるのだな」
その時レーダー係が、
「アステロイドベルトの先に帝国の巡視艇の部隊を発見。距離、40万」
ベスドムは、
「軽身隊出撃! アステロイドベルトの間隙を縫って、先制攻撃を仕掛けよ!」
と命令した。その時、マリアンヌが司令室に入って来た。ベスドムはマリアンヌを見て、
「ジョー・ウルフの方、大丈夫だろうな?」
「もちろん。奴とて所詮は好きな女の命は大事なんですわ。カタリーナの命を助けるため、あの男は必死で戦います。我々のためにね」
マリアンヌはニヤリとした。
ジョーはステーション内で小型艇に乗り込み、待機していた。彼はどうするつもりなのだろうか?
遂にフレンチの軽身隊がアステロイドベルトを越えて帝国の巡視艇に攻撃を開始した。しかし軽身隊は巡視艇の中に傭兵部隊がいる事を知らなかった。
「フレンチめ。トムラー同様、消えてもらうぞ」
指揮をとっているのは帝国情報部長官である。傭兵部隊は宇宙服姿で小型のブースターを背負い、格納庫で待機していた。
「軽身隊をひきつけておけ。傭兵部隊、第一陣出撃!」
と長官は命令した。ハッチが開かれ、傭兵部隊が出撃した。
宇宙にいくつもの光が散りばめられて行った。
影の宰相、ベスドム、マリアンヌ。多くの人々の様々な思惑が、銀河の大海原で交錯していた。