第22話 ケン・ナンジョーの最期
ジョーの顔色は元に戻らなかった。カタリーナの目から涙が溢れ出た。
「ジョー!」
カタリーナはジョーの顔を抱いて叫び続けた。
「この街には医者はいないんだ。輸血の器具なら揃えられるが、肝心の献血する人間が……」
老人は悲しそうに言った。カタリーナはジョーの顔を撫でながら、
「絶対助ける! 私が、必ず助ける!」
「……」
老人はカタリーナの言葉を聞き、胸が締め付けられた。しかし彼には手の施しようがなかった。
「とにかく、この人の血液型を教えてくれ。この近辺にいる奴で同じ血液型の人間を探してみる」
カタリーナは力なく頷き、ジョーの胸のポケットからIDカードを取り出し、老人に手渡した。老人はそのカードに記された血液型を見て愕然とした。
「こ、これは、何十万人に1人って奴か……」
ジョーの血液型は特殊で、ほとんど同じ血液型の人間はいない。元軍医である彼には、それがはっきりとわかった。
「器具を持って来る」
彼はそれでも一縷の望みを託し、輸血をする準備を始めた。
「?」
カタリーナは背後に気配を感じて振り返った。そこにはルイが立っていた。
「貴方は……」
彼女は涙に濡れる目をルイに向けた。ルイは、
「言葉を交わすのは初めてかな、カタリーナ・パンサー」
ルイは跪いてジョーを見た。
「銃で撃たれたのか。どれくらい経っている?」
「まだ30分も経っていないわ」
「ケン・ナンジョーか?」
「ええ」
ルイはジョーの瞳孔反応や首筋の脈拍を診た。ルイはその時ジョーから何かの力を受けた。ジョーもルイから何かの力を受けた。
「脈は少し弱っている程度だ。助かる」
「本当?」
「嘘をついてどうなる。ジョー・ウルフは並の人間ではない。助かる。いや、助かってもらわねば困る」
ルイはカタリーナを見て力強く言った。するとジョーが薄目を開いて、
「俺は死なねえよ」
「ジョー!」
「気がついたのか?」
ジョーはニヤリとして、
「あんまり耳元ででかい声を出されたんで、目が覚めちまったよ」
「大丈夫、ジョー?」
カタリーナがジョーの顔をさすった。ジョーはカタリーナの手を触って、
「大丈夫だよ。俺は並の人間じゃないからな」
「ジョー」
ルイはカタリーナを見て思った。
( ジョー・ウルフ、お前は幸せな男だな。こんないい女が一緒にいてくれる。カタリーナに比べれば、テリーザは何と愚かな女か! )
「器具が揃ったぞ……」
老人が駆け戻って来たが、ルイに気づいて絶句した。ルイは老人を見てニヤリとし、
「さっきはいい情報をありがとう」
「ハ、ハハ……」
「とにかく、その器具をよこせ。私がやる」
ルイは手早く器具をジョーに装着し、自分にも繋いだ。
「この男の血液型は私と同型だ。ライセンスセンターで確認している。よもやこんな身近に同じ血液型の人間がいるとはな」
ジョーはルイを見て、
「礼は言わねえぜ、ルイ」
「バーの時のお返しだ。これで貸し借りなしだな」
ジョーは目を伏せてフッと笑った。ルイは血液が管の中を流れて行くのを見ながら、
「何故奴に撃たれた?」
「奴があそこまで腐った奴だとは思わなかったのさ」
「なるほど」
ルイは心の中で、
( ケン・ナンジョー。貴様にジョーは殺させん。貴様は私が始末する )
と決意した。
「ケン・ナンジョーはまた来るだろうな」
ルイが言った。するとジョーは、
「ああ。しかし、両手を撃ち抜いたから、もう銃は撃てねえよ」
「お前は噂よりずっと甘い男だな」
ルイの指摘にジョーは苦笑いした。
「そうかい?」
「ケン・ナンジョーも昔は帝国軍の軍人だった。一通りの戦闘は経験しているはず。今のお前にはケン・ナンジョーを倒す事は出来ない」
ルイがそう言うと、ジョーは目を開いて、
「あんたがやるっていうのか?」
「そうだ。標的を横からさらわれないうちにな」
カタリーナはルイに好感を持ったが、彼がジョーを助けてくれたのは、結局のところ自分のためなのだと思うと、複雑な気持ちだった。
ブランドール・トムラーは、軍本部の居室で側近から報告を受けていた。
「やはりしくじったか、あの男は」
「はい。いかが致しましょう?」
ブランドールはスッと背を向けて、
「放っておけ。奴は間違いなく消される。奴の後ろに私がいる事を知られる前に、死んでもらった方が良い。私はジョー・ウルフやルイ・ド・ジャーマンと争うつもりはない」
「はっ」
側近が退室すると、ブランドールは椅子に座り、
「ドミニークスへ全力を傾注したい今、ジョー・ウルフやルイ・ド・ジャーマンとは事を構えたくはない」
と呟き、肘掛けのボタンを押した。スクリーンが天井から下がって来て、それにベスドム・フレンチが映った。
「ベスドム、お互いのために協力することに依存はないな?」
「もちろんだ。貴様がドミニークスに仕掛ければ、我らも仕掛けよう」
「うむ」
ブランドールとベスドムはニヤリとした。
ルイは輸血をすませると立ち上がった。カタリーナはハッとして、
「急に立ち上がって大丈夫なの?」
「大丈夫だ。私もジョー・ウルフと同類らしくてね。さっきジョー・ウルフの脈を診た時、何かを感じた」
「俺もだ」
ジョーが起き上がって言った。カタリーナはジョーに手を貸して彼を立ち上がらせた。
「どうやら、あんたが帝国を追われた理由は、予想通りのようだな」
「そのようだな。しかし、影の宰相は私の元婚約者の訴えで、私を帝国に呼び戻そうとしていると聞いた」
「そうすれば、余計あんたは帝国に戻りたくなくなるからだろう」
「なるほどな」
ルイは玄関に向かって歩き出した。カタリーナは彼を追って、
「ありがとう、ルイ・ド・ジャーマン」
「礼を言うのは間違っているかも知れんぞ、カタリーナ・パンサー」
「えっ?」
カタリーナはビクッとした。
(やっぱりこの人、ジョーと戦いたいからジョーを助けたのね)
ルイは振り返らずに、
「私はこの手でジョー・ウルフを倒したいから、今は助けたのだ」
言い放つと、スッとホテルを出て行った。カタリーナはしばらくルイの後ろ姿を見送っていたが、
「ルイ。悪い人ではないのに……」
ジョーのそばに戻った。
「応急処置程度の事しかできんが、治療をするぞ」
老人は言い、ジョーの傷口に薬を塗った。
「しかし、凄いもんだな。出血が止まっただけではなくて、すでに傷が治り始めているよ」
「それだけが取り柄でね」
ジョーはフッと笑って言った。
「むっ?」
ルイはホテルの前からずっと続いている血痕に気づいた。
「ケン・ナンジョーのものか」
彼は町外れまで続いているその痕を辿って行った。
ケン・ナンジョーは、町外れの木の陰に潜んでいた。血はどうにか止まったが、手はまるで動く気配がなかった。
「ジョー・ウルフめ、俺をここまでコケにしやがって!」
「命が助かっただけでもありがたいと思え」
ルイがケンのすぐ後ろで言った。ケンはギョッとして振り向いた。
「ルイ、貴様……」
ルイはストラッグルを取り出して、
「貴様のようなクズを私の手で始末するのは気が重いが、ジョー・ウルフを貴様の汚いやり方で殺されたくはないのでね。死んでもらおうか」
「……」
ケンはグッと歯を食いしばった。ルイはケンの軍靴の爪先からナイフが飛び出すのを見逃さなかった。
「どこまでも卑怯な男だな、貴様は!」
ルイはナイフをサッとかわし、ストラッグルでケンの左耳を吹き飛ばした。
「ウワァァッッ!」
ケンはその痛みで地面を転げ回った。ルイは蔑むような目でケンを見て、
「ここでこのままのたうち回って死ね」
ケンの両足の甲を撃ち抜いた。
「グワァァッッ!」
ケンは虫のように転げ回り、絶叫した。
「私はジェット・メーカーも軽蔑しているが、貴様は奴以下だな」
「ううっ」
ルイはホルスターにストラッグルを戻し、立ち去ろうとした。するとケンが、
「ル、ルイ、た、頼む。止めを……。俺はこのままじゃ……」
「黙れ! この街のバーで貴様のせいで死んだ無関係な者達は、そんなことすら言う事も出来なかったのだ。その者達に詫びに行け」
ルイはそのまま立ち去ってしまった。
「く……」
ケンは激痛の中、次第にその動きを止め、とうとう絶命した。
ジョーはカタリーナと老人に手を貸してもらって部屋に戻り、ソファに横になった。老人はカタリーナに目配せをして部屋を出て行った。
「ルイ・ド・ジャーマンていい人ね」
「そうか?」
ジョーはニヤリとした。カタリーナは赤くなって、
「べ、別に変な意味じゃないわよ」
ジョーは声を立てて笑い、
「俺は何も言ってねえぜ」
カタリーナはますます赤くなった。そしてやっと、
「とにかく、傷が治ったらここを離れましょう。ケン・ナンジョーはともかく、軽身隊がまだいるとしたら……」
「そうだな」
ジョーは目を瞑った。カタリーナは窓に近づいた。街に夜明けが訪れていた。
「私達、とうとう徹夜をしてしまったようね」
カタリーナが振り向くと、ジョーは寝息を立てていた。カタリーナはニッコリした。
「やっぱり貴方は素晴らしい人だわ。私には勿体ないくらい……」
朝日がカタリーナの黒髪をキラキラと光らせた。
トムラー軍は全軍をクワトナ星系に集結させつつあった。ブランドールは旗艦のブリッジから、
「良いか、ドミニークス軍との戦いは我々の存亡がかかっているのだ。何としてもドミニークス軍の中枢に乗り込み、狸の首を討ち取るのだ」
全艦隊に呼びかけた。側近が、
「閣下、発進準備完了致しました」
「うむ。全艦発進せよ。目標、ドミニークス軍中枢!」
トムラー軍の大艦隊が、ついにドミニークス軍の領域に向かって進撃を開始した。