第17話 影の宰相の罠
帝国中枢部にある宮殿の大会議室に、帝国軍幹部、枢密院幹部、秘密警察署長、親衛隊隊長が集まり、作戦会議が開かれていた。
「諸君、我々はエフスタビード軍とドミニークス軍が戦うように事を運び、その上で両軍を叩く事にする。異義はないな?」
影の宰相の声が尋ねた。一同は、
「はい」
宰相は続けた。
「ならば作戦を説明する。小部隊をエフスタビード領に差し向け、奇襲作戦を展開し、その上でドミニークス軍に同盟による援軍の出陣を要請する。ドミニークス軍は当然絶好の機会と考え、軍を繰り出すだろう。そしてドミニークス軍とエフスタビード軍が接触したら、我が部隊は戦線を離脱し、両軍の対戦を見守る。そこまでは何とでもなろう。しかしこの先は微妙だ」
「とおっしゃいますと?」
枢密院の幹部が尋ねた。宰相は、
「ドミニークス軍がどこまで本気でエフスタビード軍と戦うかだ。連中が帝国を倒すために、一時結託しようものなら、本来の軍隊を持たぬ帝国はひとたまりもない」
「はァ、確かに。しかしドミニークスとてバカではありません。帝国とエフスタビードとどちらを先に倒すべきかはわかりましょう」
軍の幹部が意見を述べた。すると枢密院の幹部が、
「それより、ドミニークスにこの作戦を見破られる恐れはありますまいか?」
すると宰相は、
「その心配は大いにある。しかし、この作戦、罠とは言っても一つ間違えば立場が逆転する。ドミニークスは立場の逆転を狙って、敢えて罠にかかるに違いない。奴は罠を破る力を持っている。奴がこの機会を見逃すはずがない。それに急がねばならぬ。大マゼラン雲のブランデンブルグ公国が、この銀河系を狙っているという情報があるのだ。何としても連中が攻めて来る前に、銀河系を統一しなければならん」
一同は「ブランデンブルグ公国」の名を聞き、顔を見合わせた。その国の恐ろしさは、誰もが知っているのだ。
「それは確かに心配な事です。今、ブランデンブルグ公国が銀河系に攻めて来ようものなら、あっと言う間に攻め滅ぼされてしまいます。2億5000万の兵と、1兆以上と言われている数々の兵器を駆使するブランデンブルグ公国に対抗するためには、銀河系統一は不可欠です」
親衛隊隊長であるアウス・バッフェンは、一同を見渡して言った。宰相はさらに、
「とにかく、奇襲作戦を決行する。すぐに準備に取りかかれ」
「はっ!」
一同は一斉に立ち上がった。
ジョーはフレンチステーションのすぐそばまで来ていた。ステーションからの攻撃は意外に弱く、彼は易々と中に突入できた。
「妙だな。何か企んでいるのか?」
ジョーは小型艇を進めながら、コンピュータで周囲を調査した。
「ジョー・ウルフめ。罠とも知らず、こちらに向かっているようだな」
大型スクリーンに映るジョーの小型艇の様子を見ながら、ビスドムが言った。カタリーナはムッとして、
「貴方なんかにジョーが倒せるものですか! ジョーは不死身よ」
「不死身がどうかは私が戦って決める」
ビスドムは手袋を取った。彼の手は金属だった。カタリーナはギョッとして、
「サ、サイボーグ?」
「サイボーグなどと言う下等なものではないよ、カタリーナ。人工皮膚だ。絹のようにしなやかで、鋼鉄のように頑丈だ。ジョー・ウルフが例えビリオンス・ヒューマンだとしても、私には勝てない」
ビスドムはニヤリとしてカタリーナを見た。カタリーナの額を汗が伝わった。
( ジョー、来てはいけないわ。来たら、殺されてしまう! )
カタリーナは心の中でそう叫んだ。
「どこだ、バカ親子め!」
ジョーは銃座を出してストラッグルを連射し、あちこちを破壊していた。ベスドムは別室でこの様子を見ていたが、
「ビスドムめ、ジョー・ウルフとステーションを引き換えにするつもりか?」
と呟いた。
「ジョー・ウルフ、私はこの先にいる。早く来い」
ビスドムの声がステーション内に響いた。ジョーはストラッグルをホルスターに戻し、
「そこか!」
小型艇を着地させて降り、目の前の扉に近づいた。扉は自動的に開き、その向こうに椅子に縛り付けられたカタリーナが見えた。
「カタリーナ!」
ジョーはカタリーナに駆け寄った。その時、
「危ない、ジョー!」
カタリーナが叫んだ。
「何!?」
ビスドムの右ストレートがジョーの顔面に炸裂した。ジョーはそのまま後ろに飛ばされ、壁に激突して崩れるように床に落ちた。
「もう終わりか。その程度か、ジョー・ウルフ?」
ビスドムは勝ち誇ってジョーを見下ろしていた。ジョーはゆっくりと立ち上がった。
「ほォ。まだ立てるのか? では止めだ!」
ビスドムの右がまたジョーの顔面を捉えた。ジョーはもう一度壁に叩きつけられて崩れ落ちた。
「終わったな」
ビスドムはカタリーナの方を見てニヤリとした。ところが何故かカタリーナは嬉しそうにこちらを見ている。
「何だと?」
ビスドムはハッとしてジョーを見た。しかし遅かった。今度はジョーの右ストレートが、ビスドムの顔に炸裂し、ビスドムは部屋の中央まで吹っ飛ばされた。
「ジョー!」
カタリーナは部屋に入って来たジョーを見て涙ぐんだ。
( ジョーが、ジョーが来てくれた……)
「ジョー、大丈夫?」
「ああ。俺はそんな簡単に殺されやしねえよ」
鼻血と口の中の出血はすでに止まっており、ジョーは残りの血を拭い、吐き出した。ビスドムはようやく立ち上がってジョーを見た。
「さすがだな、ジョー・ウルフ。ビリオンス・ヒューマンというのは本当のようだな」
「何!?」
ジョーはビスドムが自分の秘密を知っているのに気づき、目を見開いた。カタリーナは目を伏せて、
「ごめんなさい、ジョー。私、つい……」
ジョーは憎しみの目をカタリーナではなくビスドムに向けた。
「そういうことを言って俺の動揺を誘うつもりか、ゲスヤロウ。ジェット・メーカーと同レベルだな」
「あんな雑魚と一緒にされるとは、心外だな」
ビスドムはジョーに突進した。
「ビリオンス・ヒューマンとは、遺伝子的に優れた人間の事だ。つまりは、全てにおいて通常の人間を上回っているという事。だが、それも生物としてに過ぎないのだ!」
「何が言いたい?」
ジョーは身構えた。ビスドムはニヤリとして、
「私はそんなものを遥かに凌駕した存在なのだよ!」
ジョーにパンチを繰り出して来た。しかしビスドムの拳は虚しく空を切った。
「何!?」
そこにはジョーはいなかった。
「どこ狙ってるんだよ!」
ジョーの右ストレートがビスドムの顔面にヒットした。
「グハァッ!」
ビスドムはまるで無防備状態のままこれを喰らい、部屋の壁まで飛ばされて激突した。
「バカな。そんなはずはない……」
ビスドムは唖然としてジョーを見た。
「何かの間違いだ!」
彼は再びジョーに突進した。ジョーもビスドムに突進した。
「私は全てを凌駕しているのだ!」
ビスドムはそう叫びながら、ジョーに拳を繰り出した。しかしジョーはそれをまるで知っていたかのようにかわし、逆にビスドムの顎にアッパーカットを炸裂させた。
「ウゴワァッ!」
ビスドムは天井に激突し、落下した。彼は気を失っていた。ジョーは肩を大きく動かして息をしながら、カタリーナに近づいた。
「ごめんなさい、ジョー。私のせいで、貴方をそんな酷い目に遭わせてしまって……」
カタリーナは涙声で詫びた。しかしジョーは何も言わずにカタリーナを縛っているロープをナイフで切り、彼女を解放した。
「良かった。貴方が無事で……」
カタリーナはジョーの胸に飛び込んだ。するとジョーは、
「さァ、早く脱出するんだ。ビスドムがくたばっているうちにな」
カタリーナを扉の方に押しやった。カタリーナはジョーを見上げて、
「貴方はどうするの?」
「俺にはまだやらなきゃならない事がある」
「えっ?」
カタリーナはそのままジョーの小型艇に乗り込まされた。
「そのまま脱出できるようにプログラミングしてある。早く脱出しろ。そして、もう俺に関わるのはよせ」
「ジョー!」
小型艇はカタリーナが乗り込むと自動的に動き出した。彼女は小型艇を止めようといろいろ動かしてみたが、オートパイロットは解除できず、小型艇はそのままステーションを離脱した。
ジョーは倒れているビスドムを見下ろし、
「いつまで休んでいるつもりだ、化け物。さっさと立てよ。こっちは忙しいんだ」
「……」
ビスドムはニヤリとして立ち上がった。
「思った以上だな。ビリオンス・ヒューマン。その名前は伊達ではなかったようだ。もう少し本気で戦わないと、勝てそうにない」
「いくら本気になろうと、てめえは勝てねえよ」
ジョーはビスドムにゆっくりと近づいた。
「減らず口を叩くな! 今すぐ殺してやる!」
ビスドムは凶悪な顔になった。そして右手の爪を変化させた。まるで生きているかのように指の爪が伸び、刃物のように光った。
「この爪は触れたもの全てを斬り裂く。お前を八つ裂きにしてやる!」
「できるかな?」
ジョーが挑発した。ビスドムは右手の爪を突き立ててジョーに向かって来た。
「ほざくな!」
ジョーはほんの数センチの差で爪をかわした。ところが、
「クッ……」
かわしたはずなのに、ジョーの右頬に3本、切り傷ができた。ビスドムはニヤリとした。
「この爪は斬り裂く瞬間にさらに伸びるのだ。お前のように動きを見切る相手に有効なのさ」
「……」
ジョーは無言で右頬の血を拭った。ビスドムはさらにニヤリとして、
「そしてこんな事もできる!」
いきなり爪を伸ばし、ジョーの右肩を斬り裂いた。
「くっ。何だ、てめえは……」
ビスドムはほとんど人の身体ではなくなっているのである。
「ならば、何も遠慮はいらねえってことか!」
ジョーはストラッグルを構え、ビスドムの左胸を撃った。しかし光束は弾かれてしまった。
「バカめ、軽身隊にはストラッグルが無力なのを忘れたのか」
「てめえもあのスーツを着込んでいるのか?」
ジョーは特殊弾薬を持っていない事を悔やんだ。ビスドムはジョーとの間合いをつめ始めた。ジョーは今度は眉間を撃った。ビスドムはその衝撃で後ろに倒れたが、何事もなかったかのように立ち上がった。ジョーは戦慄した。
「化け物め!」
ビスドムはせせら笑って、
「お前には言われたくないな。私の頭蓋骨は特殊な金属でできていてね。脳は絶対に安全なのだ」
「……」
ジョーはビスドムとの距離をつめないように後ろに下がった。
「どうした、ジョー・ウルフ? 怖じ気づいたか?」
ビスドムは勝ち誇って言った。ジョーはストラッグルを下げかけた。その時ビスドムがジョーに突進した。
「そこだ!」
ジョーのストラッグルが、ビスドムの右目を撃った。
「ギャーッ!」
ビスドムは壁に叩きつけられてのたうち回った。ジョーはストラッグルをホルスターに戻すと、その場を離れ、脱出するためにハッチに走った。
ビスドムは右目を押さえながら通信機に辿り着き、
「総員、戦闘配備だ。ジョー・ウルフを逃がすな!」
と怒鳴った。
しかし所詮他の者達にジョーを止められるはずがなかった。彼はたちまちハッチに辿り着き、軽身隊用の小型艇に乗り込むと、ステーションを離脱した。
「バカ共めが。奴を野放しにするな! 必ず仕留めろ!」
ビスドムは治療を受けながら命じた。
その頃、帝国の奇襲部隊の艦隊がエフスタビード領に侵攻し、パトロール中の艦に攻撃を仕掛けた。
「何?」
メストレスは、あまりに意外な報告に耳を疑った。
「帝国が戦争を仕掛けて来たと?」
エレトレスは心配そうに、
「どうする、兄さん? ドミニークス軍も動き出すよ」
「うむ……」
さすがのメストレスも考え込んだ。
( 影の宰相の仕業だな。奴の考えそうな事だ )
「とにかく艦隊を差し向けて撃退しろ。帝国にはもはや軍隊はない。大方、巡視艇程度だ」
メストレスは部下に命じた。そして、
「謀られたな。こうなったら、死んだフリをするか」
と呟いた。
ドミニークス三世は、帝国がエフスタビード軍に仕掛けたのを知った。そして帝国が同盟に基づく援軍の要請をして来たのも知っていた。
「フフフ。影の宰相め、なかなか考えおったな。とにかく、願ってもないチャンスだ。すぐに援軍を編成して、エフスタビード軍の殲滅に向かわせろ」
彼は側近に言った。すると側近は、
「しかし罠かも知れません」
「そんなことをお前が考える必要はない。早く取りかかれ」
「はっ!」
側近は慌てて退室した。ドミニークス三世はニヤリとした。
( これで帝国は我がものだ )
彼は酒を注いだグラスを高々と掲げた。
「閣下の思惑通り、ドミニークス軍が動き出しました」
謁見室で親衛隊長のアウス・バッフェンが報告した。エリザベートは憂鬱そうな顔をしていたが、影の宰相は、
「うむ。しかし問題はこれからだ」
と答えた。