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第8話 新たな命令

 約束していたラティーファとのデートを終え、気付けばムディルの暗殺から四、五日が過ぎた。

 時間があいたことで、暗殺対象と言葉を交わしたことによる迷いについてハーフィドはそれなりに割り切った。少なくとも、自分としてはそう思った。


 だがシャクールの方はどうも違うようだった。シャクールは風邪をひいたとか用事があるとかで、しばらくハーフィドの家には来なくなったのだ。

 これまではほぼ四六時中シャクールが家にいたので、ハーフィドは妙に静かな暮らしに慣れないものを感じた。これが普通であって然るべきであるのだが、それでも違和感はある。


(これはつまり、あいつはまだあの暗殺について折り合いをつけられてないってことだよな)


 シャクールがなぜ姿を見せないのか、ハーフィドはその理由をおおよそは把握している。

 だがそれでも、ハーフィドはシャクールの迷いについてなるべく深く考えないようにした。この状況はほんの一瞬のことで、自分と同じようにシャクールも何かしらあきらめをつけてくれると信じた。


 だからハーフィドは、特に無理してシャクールに会おうとは思わずに過ごした。

 しかしそれは間違いであると、ハーフィドはすぐに知ることになった。


 ◆


「シャクールが組織を抜けるらしい」


 シャクールと会わなくなって一週間ほどたったある日、事務所にハーフィドだけを呼び出したガァニィは開口一番にこう言った。

 ブラインド越しの朝日がまぶしい中、ガァニィの言葉は何気の無い挨拶のように聞こえた。しかし、内容はまったくそうではない。


「今、何て言った? どういう情報だよ、それは」


 部屋に入ってすぐいきなり本題を切り出されたハーフィドは、ガァニィに詰め寄り問いただした。まさかという驚きがあると同時に、どこかではやはりという気持ちもある。だが、すぐに信じられることではなかった。

 ソファで新聞を読んでいたガァニィが、目を上げることなくさらりと補足する。


「情報も何も、本人がそう言ったんだ。昨日電話で。普通こういう話は直接会ってするのが礼儀だと思うんだがな。お前も何も聞いてないのか?」

「確かに最近はちょっと会ってなかった。だけど、そんな話は聞いてない」


 ガァニィは軽い世間話をするような態度をとっていた。まるで最近の若いやつは我慢が足りないとでも言いだしそうな様子だ。

 平素の薄情さを崩さない叔父を前にすると、ハーフィドはよりいっそう困惑した。シャクールは今現在ハーフィドにとっての唯一の友人であり、同志である。その関係がこんなにも適当に終わるのだろうか。


 ハーフィドが戸惑っていると、ガァニィはやっと読んでいた新聞を畳んで顔を上げた。だが本質をごまかす言葉はそのままで、冗談めかした冷たい声は変わることはない。


「そうか。ま、知らなかったならそれはそれでいい。問題はこれからだ。お前たち二人にはいろいろと……大っぴらに世間には言えないことをしてもらってきただろう? だから辞めたいと言われても、はいそうですかってわけにはいかない」


 次第に物騒さを増していくガァニィの話に、ハーフィドは嫌な予感を感じた。


「それは、どういう……」


 本当のところはその意味するところを理解していたのであるが、向き合いたくない気持ちでハーフィドは尋ねた。

 しかしガァニィはせせら笑って、あっさりと現実を突きつける。


「子供じゃないんだから、わからないふりをするなよ。殺せってことに決まってるだろ。殺すって言葉が直接的すぎるなら、始末しろっていう表現でもいい」

「俺が、シャクールを殺す?」


 ハーフィドは、思わずおうむ返しに聞き返した。想定はしていたものの、改めて告げられるとそれは簡単には飲み込めない状況だった。

 それにも関わらず、ガァニィはハーフィドに決心を急かしてさらにもう一つの選択肢を提示する。


「お前ができるなら、そうしてほしい。無理なら別のやつに頼むから、やれるかどうかの返事はいまここでしてくれ」


 ハーフィドは突然の要求に、うろたえた。考えなければならないことはたくさんあるのに、悩む時間はほとんどない。


(シャクールが組織を抜ける理由は、何となくだけどわかる。会って直接聞いたわけじゃないけど、多分本当なんだろう。だけどそんな、いきなり殺せって言われたって困る。だいたい何でそんなことしなきゃいけないんだよ。裏切るってわけでもないのに)


 命令に納得できず、ハーフィドは感情的な反論ばかり心の中で繰り返す。


 その様子を見ていたガァニィは、しばらくじっと黙っていた。そしてハーフィドが何も言えないでいると、少し真面目な声色になって口を開いた。


「シャクールが今まで見知った情報が西側やこの国の右派の連中に伝われば、我々はずいぶん不利になるのはわかるな。彼にその気がなくても、向こうが本気を出せばどうとでもなる。これは、誰かがやらなくてはならないことだ」


 この極端だけれども正しくもある理屈に、ハーフィドは何も言い返せないでうつむいた。


(あいつが本当に組織を抜けるなら、きっと殺さなきゃならないんだろう。でももし、もしも組織に残るって言ってくれたなら……)


 ハーフィドはむりやり希望的な仮定をすることで、何とか現実を飲み込もうとする。そうでもしなければ、返事ができない。


「……俺がシャクールを説得できれば、殺さなくてもいいのか?」

「ま、それくらいは許してやらないとな」


 声を震わせたハーフィドの問いに、ガァニィはソファにもたれながら高圧的に答えた。普段は気さくなふりをしてはいるが、命令を下すことに慣れたこの冷酷こそ本性なのだろう。

 ハーフィドはガァニィの前に改めて立ち、顔を上げた。


「わかった。俺があいつに真意を聞いて、それでも無理ならそのときは……やってみせる」


 大切な問いをいくつも落としたような気持ちになりながらも、ハーフィドは決意を口にした。これ以上迷ったところで、結局は逃げられないと思った。

 その答えに満足げにうなずき、ガァニィはゆっくりと立ち上がった。そしてハーフィドの肩を軽く叩いて、上司らしく微笑む。


「それじゃこの件は任せたからな」


 その叔父の顔と目を合わせる気になれず、ハーフィドは無言で背を向けて事務所を去った。


(こんなこと、間違いか何かであってくれ……)

 ハーフィドは心の中で、シャクールが考えを変えてくれることを願った。

 それは冷静に考えれば難しいことであったが、仲間を殺害する未来を避けたい一心で可能だと信じた。

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