第07話 ミーティング・1 ~エスペラントと知識~
第02節 異世界言語と魔法〔4/7〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
この世界の呪文に、意味なんかない。そもそも「言葉」の意味が、地球に比べて軽いのだから。
「例えば、あたしたちの身近に『Bacillus subtilis』という学名で分類される細菌がある。
和訳すると、枯草菌だ。
皆はこの細菌のことを知らないと思うけど、これはどれほど恐ろしい細菌だと思う?」
「枯草菌。それってぇ、枯葉剤に使われる細菌か?」
「残念だな、柏木。枯葉剤は、ダイオキシン類の除草剤のことだ。というか、ベトナム戦争で使われた毒剤が身近にあったら、さすがに問題だろう」
表情を見ると、どうやら武田は知っているらしい。本当にこいつは、というかそのお爺さんは、どれほど博識だったんだろう?
「『枯草菌』と『枯葉剤』。言葉のニュアンスを考えれば、前者は落ち葉を自然に朽ちさせる細菌のことで、後者は強制的に枯れさせる薬剤、ってことだよな?」
お。飯塚は、ニュアンスの違いに気付いたか。
「正解だ。だから枯草菌は、周り中のどこにでもある。
ちなみに、日本人にとって代表的な枯草菌は、『納豆菌』だ」
これが言葉の怖さ。『枯葉剤』という言葉とその脅威を知っている事で、それに似た文字で書かれる『枯草菌』という細菌に、脅威を感じる。けれど、「納豆菌も枯草菌の一種(Bacillus subtilis var. natto)」と知っていれば、それが自然菌の一種であることに気付く。
「言葉は、それに近い音や表記の言葉のイメージに引き摺られる。
代表的な誤用の『檄を飛ばす』も、『檄』と『激』の字が似ていることから、『刺激』の意味に勘違いされて派生したものだ。
けれど、〝エスペラント〟にそれは無い。地球でエスペラント語が普及しなかった理由のひとつには、複雑な『言葉の概念』を人工言語に織り込むことに限界があった為だろう。
だが、この世界の〝エスペラント〟なら。言語では伝えきれない概念を、〝こんにゃく〟に頼ることが出来る。その結果、この世界では言葉を駆使する努力を必要としなくなり、言い回しが単純化される。
なら。この世界で重要視されるのは、言語ではなくそこに込める想い、意思ということだ」
それが、先ほどの武田の仮説にも繋がる。
「神聖と邪悪も、どちらがどちらを〝ベルゼブブ〟だと認識するかで決まるのなら。
属性だって同じだろう。〝キュゥべえ〟は、あたしたちに『一つの属性神からしか加護を得られない』と言った。けど、それさえ『得られない』と思い込んでいるからそうだという可能性もある。
可能性を限定しない。
おそらく、それだけで出来ることはかなり増えると思うぞ」
すると、柏木が情けなさそうに口を開いた。
「そうはいってもよぉ、オレや髙月は、お前らみたいに博識じゃねぇ。今になって勉強してなかったことを後悔しているけど、けど知っていることが少なければ想像出来る幅も狭いよ。ならオレたちはかなり不利ってことだろ?」
「そんなことは無い。確かにお前ひとりでこの場にいるのなら、お前の知識の無さは〝キュゥべえ〟がつけ入る隙になるかもしれない。
けど、お前は一人じゃない。
知識はあたしらが補えばいい。
そして、知識を持つという事は、その『知っていること』に縛られるという事でもある。
つまり、『出来ること』は増えても『出来ないこと』も同じく増えてしまうんだ。更に、発想の自由さもどんどん制限されていく。
さっき、〝ルイーダの酒場〟に囚われそうになっていたあたしらをお前が解放したじゃないか。
知識の無い人間の、自由な発想っていうのは、時として知識を持つ者に天啓を齎すんだ」
例えば、あたしらにとっては「四大元素論」が既に「天動説」であり、廃れた過去の理論だという事を知っているから、簡単に否定出来る。けど、「相対性理論」を否定する発想は、簡単には思い浮かばないだろう。
「んじゃぁさ、〝キュゥべえ〟が言っていた〔亜空間収納〕も、倉庫じゃなく『四次元ポケット』をイメージする、とかも出来るのか?」
! 驚いた。確かにその通りだ。
〝キュゥべえ〟は、「ここではない、けれどすぐ隣にある『どこか』に、自分専用の倉庫を持つ」と説明していた。そこで「亜空間」なる架空の空間を漠然とイメージしていた。
けど、どうせファンタジーなら、もっと自由に発想の翼を広げて良いんだ。足りない部分は、おそらく魔法が補ってくれるはず。
「でもそれなら、魔法で『燃やせる炎』を作り出すことも出来るってこと?
さっきの武田くんの話を踏まえて、発生プロセスは魔法に頼って、それを『炎』としてこの世界に持ってくるときに、その『炎』に、例えば『鉄を熔かすほどの温度の』ってイメージする、とか」
美奈の言葉。その通りだ。
顕現した炎は、物質界の法則に縛られるにしても、顕現する瞬間までは星幽界のルールが通用する。
燃焼の三要素がない場所に「鉄を熔かすほどの温度の炎」を顕現させたとしても、すぐに冷めて消えるだろう。けど、「鉄を熔かすほどの温度の炎」を可燃物の上に顕現させたら。その魔法の炎はすぐに冷めていくだろうけど、消える前に引火温度に達した可燃物は燃え上がるはず。
ファンタジーの代表的な魔法である、炎の矢。「火を飛ばす」と考えるから、「可燃物は、燃焼温度は」って思ってしまう。けど、着弾するまではレーザーポインターの一種で、着弾した瞬間に物質的に顕現する、とイメージすれば。
電撃だって同じだ。物理学的に考えて、実現し得ないものでさえ、魔法なら実現する余地がある。何故なら、それが〝魔法〟なのだから。
「そう考えれば、〔治癒魔法〕と〔回復魔法〕も同じだね。
言葉のイメージから、〔治癒魔法〕はHPの減少を止める魔法で、〔回復魔法〕は減少したHPを回復させる魔法、って考えたけど、どうせなら〔治癒魔法〕はもっとアバウトに『怪我を治す魔法』、〔回復魔法〕は『〝アカシック・レコード〟から怪我する前の健全な身体のデータをダウンロードして、怪我したというデータを上書きする』くらいに考えて良いんじゃないか?」
飯塚、それはどこの「お兄様」だ?
それはともかく、〔解毒魔法〕も同じことが言えるだろう。
そもそも「毒」と言っても幾多の種類があるし、微生物や寄生虫、細菌、病原菌まで含めたら無数と言える。そして、現代病理学では「中毒」も病気の一種。「ヘビ毒中毒」も「砒素毒中毒」も、病気と認識されている。なら。
「状態異常を引き起こす外的要因」を「毒」と定義して、その状態異常が起こる前の時点にまで『回復』させる魔法を〔解毒魔法〕と解釈したら?
ただこの場合、「慢性中毒」には対応し切れない。「健康な状態」を定義出来ず、「症状が発覚する直前」の状態に回復するに留まるだろう。例えば寄生虫病の場合、自覚症状が出る直前の状態にまで回復したとしても、体内の寄生虫を排除することにはならない、という事だ。
そういったことを話し合って、今日のミーティングを終わらせた。
(2,981文字⇒2,801文字:2017/11/28初稿 2018/03/01投稿予約 2018/04/13 03:00掲載 2022/06/08誤字修正)
【注:「四次元ポケット」は、〔藤子不二雄著『ドラえもん』小学館てんとう虫コミックス〕のに出てくる便利アイテムのひとつです。
「アカシック・レコード」は、「この世の全ての事象が記録されている場所(物)」という、神秘学上の概念です。タイムパラドックスを解決する仮説の一つにも取り入れられ、多くのSFやファンタジーで使われています。
「お兄様」とは、〔佐島勤原作テレビアニメ『魔法科高校の劣等生』〕の登場人物、司波達也を意味するネットスラングです。なお、「アカシック・レコードからダウンロードして現在の事象に上書きする」というネタの、筆者にとっての原典は〔皆川ゆか著『運命のタロット』シリーズ、講談社X文庫ティーンズハート〕の《女帝》の象徴の力です】