第37話 道徳と権利
第07節 人間の悪徳〔6/6〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
俺たちがロウレスの町に入ったときは、既にスイザリア軍による略奪が始まっていた。
殺人、放火、略奪、強姦。
正に、人間の悪徳の見本市のような様相を呈している。
ふとある街角に視線を向けると、そこではイゴル氏が小さな女の子に覆い被さって、ズボンを下して一所懸命腰を振っていた。その向こう側に見える男性の死体は、少女の父親だろうか?
けれど、彼らは自分たちが悪を為しているという自覚はない。
正当な権利を行使していると言うだろう。
俺たちは、「自分がされたら嫌なことを他人にしてはいけない」と道徳で学んだ。
しかしここでは、「自分がされたくないことをされないように、(戦争に)勝たなければならない」のだ。「負けたのなら、されて嫌なことをされても仕方がない」と。
だからこれは、勝者の権利。一般社会や日常の街中では決して赦されないことであっても、否赦されないことだからこそ、それを今この時に限って解禁される。それが勝者に与えられた報奨のひとつという事だ。
見ていて、気分が悪い。けど、俺たちだって「同じ穴の狢」だ。
俺たちは、モビレア市で生活する為に、冒険者ギルドの庇護を求めた。
冒険者ギルドからの信頼を損なわないように、徴兵依頼を請けて出征した。
そして俺たちは直接戦闘で敵を殺したくなかったから、軍をサポートする役目を自らに任じた。
その、俺たちのサポートを受けた軍が、それにより戦闘に勝利し、その成果として眼前の略奪劇が繰り広げられているのだから、これが悪なら俺たちにもその責任があるという事だ。
そう。俺たちだって死にたくなかった。女子に人殺しをさせたくなかったし、追軍娼婦のような真似をさせたくもなかった。背命行為や利敵行為、敵前逃亡といった容疑をかけられたくなかったから、わかり易い功績を求めた。
その結果が、この眼前の光景なら。俺たちは目を逸らしちゃいけない。
けど。
「皆。皆は先に、野営地に戻ってくれ。俺はもう少し、町の様子を見て来る」
「飯塚、お前ひとりで回る気か?」
「ちゃんと見据える必要がある。けど、女子には見せたくない。そして興奮している兵士たちの前に、女子だけで放置したくない。
柏木、武田。二人には女子の護衛を頼む」
「……わかった」
そして俺は、皆と別れて一人で町の中を歩くことにした。
◇◆◇ ◆◇◆
何処も彼処も、酷い有様だ。
「止めろ、止めてくれ!」
「よし、ぎりぎりだな」
「何がギリギリだよ。まだ随分隙間があるぞ」
「ならその隙間を射抜けるか」
「よし、見てろよ? ……あれ?」
「ぐわぁ、……」
「中てんなよ。駄目じゃん」
どうやら弓兵が、射的に見立てて市民を射ている。出来る限り市民近くを射抜けば勝ちで、市民に中ててしまったら失格、というゲームのようだ。松村さんの超遠的の弓射を目の当たりにした所為か、弓兵たちのテンションが半端ない。
集団心理が彼らの良識さえ消し飛ばすさまを見て、俺は叔母さんのことを思い出していた。
◇◆◇ ◆◇◆
俺の叔母。名前を、水無月麻美という。
叔母さんが高校生の頃、俺の祖父母が死んだ。事故だったらしい。
完全に相手有責で、且つ大きな社会的事件になっていたことから、莫大な見舞金・賠償金が叔母さんとその姉である、俺の母さんの元に振り込まれた。また祖父母はかなり高額な保険を掛けており、加えて祖父は世間では大企業といわれる会社の役員でもあった為、叔母さんと母さんの二人はそれぞれ億単位の遺産を相続したのだという。
母さんは、その時は既に父さんと結婚しており、父さんの実家もそれなりの資産家だった為、億単位の遺産も普通に管理する事が出来た。
けど、叔母さんは当時、高校生だった。
事実上の保護者として母さんと父さんが名乗り出たものの、叔母さんはその後も祖父母の家で独り暮らしを続けた。
けどその周囲には、証券会社の営業だの宗教家だの慈善事業家だのが列を成し、また遠縁を自称する他人や自称友人・知人がカネの無心をし。
当時叔母さんが片想いしていた男子生徒も、金目当てで(一度は断った)叔母さんの告白をOKするに至って、叔母さんは深刻な人間不信に陥ってしまったのだ。
今ならわかる。叔母さんの周囲の人間は、決して「悪人」だった訳ではないだろう。けど、目の前に「億単位の大金」があるとわかった途端、良識の軛が外れてしまったんだ。「これくらい大したこと無い」「皆やっていること」と自己弁護し、「貰う権利がある」と都合の良い解釈をして。
そして。した本人にとっては普通のことであっても、された叔母さんにとっては冗談事じゃなく。結局叔母さんは高校を中退して引き籠り、ネットゲームとライトノベルの世界に耽溺するようになってしまったんだ。
その頃俺は、小学生。叔母さんは、俺が生まれたときから可愛がってくれていた。
俺が生まれた時、様々な事情が重なって自宅出産になったんだそうだ。その際、当時小学生だった叔母さんは助産婦さんの真似事をして俺を取り上げてくれたのだという。そして、毎年の誕生日には、なけなしの小遣いから俺にプレゼントを用意してくれていた。
でもだから。叔母さんが引き籠るようになっても、叔母さんのことは変わらず大好きだったんだ。美奈と二人で、叔母さんが熱中するゲームを一緒にやり、叔母さんが好きなラノベを読んで三人で語り合ったり、或いは叔母さんを外に引っ張り出す為にキャンプとかサバイバルとかに誘ったりもした。叔母さんの「人間不信」は、近付いてくる相手に対して示されるもので、旅先でひと時交流した相手に対しては、普通に接していた。結果猟師に狩猟の仕方を直接学べるよう交渉してくれたりもした。
叔母さんが相続した遺産の内、株の配当と預金利息だけで日々の生活を賄える。だから毎日遊んで暮らしていても、生活には困らない。
けど、やはり世間体というモノがある。否、それ以前に出会いが無さ過ぎる。20代も半ばになり、周りにいる男は漸く中学に上がったばかりの甥っ子だけ、という状況に危機感を覚えた母さんが、叔母さんに就職するように強く説得した。
それで仕方がなく、叔母さんはアルバイトの面接に向かう途上、電車の中で痴漢に遭遇する。叔母さんが被害者だった訳ではなく、近くにいた女子大生が被害者だったのだけど、叔母さんは痴漢をホームに引き摺り下ろし、駅員さんに引き渡そうとしている時に痴漢に突き飛ばされる格好で反対側のホームから転落し、運悪く駅構内に入ってきた特急列車に撥ねられてしまった。
母さんは、今でも後悔している。自分が就職を迫ったから、と。
勿論わかっている。母さんが叔母さんに就職するように言ったことと、叔母さんが列車に轢かれたことには、何の因果関係もない。それでも。
叔母さんには、もっと生きていてほしかった。
どんな形であっても。
(2,945文字:2018/01/28初稿 2018/08/01投稿予約 2018/09/08 03:00掲載予定)




