第35話 付け城
第07節 人間の悪徳〔4/6〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
「〝1〟、左前方、数30、接触まで少し」
美奈のコールが聞こえる。
行軍中、何度もゲリラの奇襲を受けている。けど、その奇襲が成立したことはない。
奇襲を警戒して、斥候部隊が先行散開しているけれど、その斥候の報告より早く、正確な情報が本陣にいる美奈の口から達せられるから。
このマキア方面派遣軍中で、最も戦闘力に劣る美奈は、だけど最も信頼出来る索敵能力を披露し、軍に貢献していた。今はもう、美奈の存在を軽んじる者は一人もいない。そしてあたしたちは、『美奈の護衛』として、直接の戦闘に携わらないことが許されている。
けど。
この世界に来て、248日目。あたしたちはここまで合計4つの村を潰しながら、マキア湾を視界に納めるロウレスの町の東方に布陣した。
今回の攻城戦は、速攻。持久戦は考えていない。籠城側の指揮官は所詮ゲリラであり、持久戦を支えるだけの指揮能力はない。が、ここは事実上の敵中であることから、現時点であたしたち派遣軍は敵に包囲されているも同然だからだ。そして、ロウレス攻略に時間を掛ければ、〝魔王〟の『ドレイク王国』軍が出てくる。
ドレイク王国軍は、数は百程度だと言われている。けど、その用兵は神速にして、疾風迅雷を体現したかのようだと言われる。北で起こった戦争では、その行軍速度は早馬より速かったとか。
俄かに信じられないけれど、話半分に差し引いてものんびり攻める余裕はない。
それゆえ、あたしたちの旅団【縁辿】は、本隊と、北と西に布陣する第二隊・第三隊に攻城兵器を届けるという任務で走り回ることになる。
ロウレスの町に、ある程度近くまで接近し、攻城兵器を展開。即座に一旦下がる。そしてその足で北に向かい、以下同文。そして西が終わったら、本陣に帰参する。
攻城櫓や破城槌などの攻城兵器それ自体は一定の防御力があるから、城壁からの攻撃が直接届く位置に展開出来れば、それ自体が付け城となり、進軍する味方の防禦拠点になる。
また、平衡錘投石機は籠城側にとって優先撃破対象となる訳だから、その分兵たちへの攻撃が薄れることになる。
言い換えると。敵の矢の届く距離に、味方の支援なく突入し、攻城兵器一式を〔倉庫〕から取り出し、そして離脱する。それを繰り返すのだ。
だから、あたしは攻撃に転じる。騎射遠的300m。おおよそ10mの高さの城壁の上を狙う訳だから、単純計算で仰角2度で直線距離は水平距離と大差ない。とはいえ和弓の理論限界に達する射程といえる。ちなみにこの時代の長弓の最大射程は200m程度。曲射に於ける実用射程は100m程度でありこれは特定の標的に命中することなど期待しないのだから、あたしが300mの距離を越えて城壁の上まで矢を届かせれば、かなりの衝撃を与える事が出来るだろう。
脱線するけど、弓と弩。射程が長いのはどちらかと問われると、弓である。理由は幾つかあるけど、一番の違いは矢と矢弾の形状。
クロスボウははじめから、近距離大威力を目論んで使用される為、クォレルは風の抵抗が最小限になるようにシャフトは短く、矢羽根も小さく作られている。しかし、射程が伸び、滞空時間が長くなると。全く風の抵抗を受けない訳ではないので、その影響がカオスになり、計算出来ない。シャフトが短い分だけその軌道が乱れ、更に標的に命中したとしても鏃から刺さってくれるとは限らないのだ。
一方弓は風に乗せることを前提に矢を放つ。だから風向きや風力によっては、その威力を保ったまま理論的限界射程を超える場合さえあるのだ。
現在のロウレスに於ける風向きは、北から南へ。上空の風は結構強い。その風に上手く乗せる事が出来れば。
そして、夜明け。
軍より供与された馬に跨ったあたしたち五人は、派遣軍本隊の前に立つ。そして、弓を引くあたしを彼我両軍が注目していた。
本来なら届くはずのない大射程。敵はおそらく嘲笑しながら、味方は何をするのか興味津々で。
騎乗しているから『足踏み』はなく、『胴作り』も省略。『弓構』から始める。『打起こし』――『引分け』――『会』。そして『離れ』。
『残心』で甲矢を追いながら、乙矢を手にする。
曙光を浴びながら矢は北寄りに天に昇り、風に乗って舞い降りる。そして。
「ぎゃあああああああ」
ハリスホークの矢羽根のモビレアン・アローは、正しく猛禽の如く城壁の上の見張り兵の肩に襲い掛かった。
「スゲェ、あの距離で射貫きやがった!」
「〝9〟!」
後方で兵が歓声を揚げる。だけどあたしたちはそれに応える間もなく飯塚は前進の9。
馬を走らせながら、乙矢を番える。この距離は既にあたしの射程内。けれど城壁の上の敵兵にとっては、位置の有利を考慮してもまだ最大射程の外。
とはいっても、同じ騎射でも静止した馬からの射法と騎走中の馬からの射法は全然違う。走りながらではこの距離は届かないだろうし、届いても当たらないだろう。けど、相手にとってはそもそもこの距離で届くこと自体が非常識。そして距離が縮めばそれだけ命中率も高まるのだから、あたしが騎走しているなどという事は、何の慰めにもならないだろう。
それも、けれど時間の問題。あたしらは城壁から100mの距離を割り込んだ場所まで接近しなければならないのだから。だから、城壁までの距離約250mの位置から、乙矢。
乙矢は敵兵に命中しなかったものの、城壁の上の物見台に突き刺さる。これで更に時間を稼げる。
200mで甲矢、と思ったけれど、撤回。
「〝2〟!」
強行突入の2をし、馬を走らせることに集中する。
200m。敵の矢が届く距離に突入する。
175m。あたしが甲矢を撃たないと判断した敵兵が、あたしらに対して矢を撃ち込み始める。ただ城壁上からだと逆光になるので、狙いをつけ難いようだ。
150m。城壁上の敵兵の数はまだ多くなく、そして弓兵自体が少ない所為もあり、矢の雨というほどの数ではない。また、実は〝命中率〟という観点からは、撃ち上げ(下から上)より撃ち下ろし(上から下)の方が中り難い。これは長弓が「上に向かって」撃つことが前提の道具だからだ。
125m。それでもこの距離になると、矢は随分至近に飛来する。美奈はレニガードを取り出して顔の部分に構えた。一部の矢は不自然に逸れる。誰かが何かの魔法を使っている?
そして、100m。
「〝0〟!」
あたしらは、減速無しで馬ごと〔亜空間倉庫〕の中に飛び込んだ。
(2,981文字:2018/01/25初稿 2018/08/01投稿予約 2018/09/04 03:00掲載予定)
・ 〔倉庫〕で運んでいた物資は、突入前に全て降ろしています。ちなみに、一般の〔収納魔法〕(〔亜空間収納〕)の場合、術者が死亡したら、〔収納〕内の荷物は全てその場所に出現します。マキア方面派遣軍の将軍は、それを目論み松村雫さんたちを突入させたようです。彼女らが死ねば、その場所に攻城櫓が出現することが期待出来るのですから。
・ 洋弓と和弓の射程の差について:「洋弓のドローイングは顎までだが、和弓は耳の後ろまでだから、必然的に矢に込められる運動エネルギーは和弓の方が上」とか「和弓は構造上矢に伝わる振動が洋弓より小さいので、空気抵抗の影響は洋弓より理論値に近くなる」とかと言った和弓有利の話を多く見出すことが出来ますが(筆者が和弓派だという事もある)、現実には射手の技量や風力・風向き、温湿度や気圧の偏差、それに矢の違い(長い矢・矢羽根の大きい矢の方が風に乗り易く、重い矢の方が威力を保存出来る。但しどちらも射程が犠牲になる)などの影響の方が大きいので、弓の差は誤差の範囲に留まると思われます。
・ 一般弓兵と雫さんの差は(モブとヒロインの差もありますが)単純に技量の差です。とは言っても、雫さんの矢は、命中した見張り兵を狙って射た訳ではないのですが(狙いより随分南に流れた、と後で語っていた模様)。




