第30話 二つ名の弊害
第06節 徴兵〔4/5〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
出征が決定したことで、あたしらは俄かに忙しくなってきた。
まずしなければならないのは、縁ある人たちへの挨拶。例えばあたしなどは、これからしばらく食堂でバーテンダーをやれなくなるのだから、その事情を話しておかなければならない。
「そうか。それは残念だな。
だけど、無事帰ってきたら、また入ってくれよ。それまでに、もう少し色々な酒を仕入れておくからさ」
同時に、宿代の清算も。
既に、西大陸にいた日数よりも長い時間をこの宿『青い鈴』で過ごしている。
設備的には、あたしらがこの世界に来た当初に押し込められた部屋と、大差ない。けど、盗聴を警戒する必要がない(プライバシーが配慮されている)というだけで、これだけ快適な空間になるものだと妙に寛いだ気持ちになったものだった。
あたしらは客としての格は底辺に近いはず。なのにこの宿の人たちは借り切っている部屋に土足で踏み込むような真似はせず、シーツの交換などもこちらの生活リズムに配慮したタイミングで行ってくれていた。
戻ってきたら。やっぱりこの宿でまた暮らしたい。そう思える宿だった。
身の回りの備品・雑貨等の補充と補修。
おカネをケチって命を危険に曝すのは、莫迦の所業。今回は、思い切って騎士王国から持ち出した財貨の幾つかを売却し、その資金で装備等を整えた。
男子の甲冑も用意したかったけど、残念ながら時間不足。フルオーダーメイドになるからそれなりに時間がかかり、また必要な鉄等は正規軍・騎士へ優先して廻すことになるから、出征兵士の装備の補修程度ならともかく、新規製作は不可能だと言われてしまった。よって、諦めて鎖帷子と胸鎧の補修のみを依頼した。同時に槍や長柄戦槌の補修も。
食料や水。当面の分量は充分にある。けど、下級兵に用意される兵糧は最低限。
実際、「栄養学」という学問自体、上級兵に比べて下級兵の方が栄養失調(脚気・壊血病等)になり易いという状況を打破する為に始まった研究なのだから。塩・胡椒・氷砂糖・柑橘類・生鮮野菜等(これらは『兵糧』ではなく高級士官用の奢侈(贅沢)品と思われているから、その流通量は減っていない)を買えるだけ買い占めた。薬草(調味料になるモノや腹下し等の体調不良に備えるモノ)や肉類は新鮮なものが〔倉庫〕に充分量ある。加工肉も、食肉業者が及第点を付けるレベルの物を作れるようになっている。
酒。〝ティアードロップ〟のような高級酒ではなく、安くて構わないから強い酒、と言って一樽購入した。これを手持ちの蒸留器で更にアルコール度数を高める。薬用・消毒用に使うのだ。
◇◆◇ ◆◇◆
そして、〔亜空間倉庫〕内でミーティング。
「近代以前の戦争では、実は戦死者の数っていうのは、意外に少ないんです」
「そうなのか?」
「厳密に言えば、『即死者の数が少ない』と言うべきでしょうか。
正確な統計資料がある訳じゃないですので感覚的な話になりますが、漫画などで描写されているような、戦場で首を刎ねられて死ぬ、というのは、ほとんど無かったようです。
けれど、即死はしなくてもその怪我が原因で死亡した人は、かなりの数に上っています。
これは、『手当の甲斐なく死亡』したのか、それとも『予後不良から感染症などの合併症を引き起こして死亡』したのかは不明です。こちらは統計以前に分類さえされていませんから。
けど、凍死や栄養失調を含む病死が少なくないことを考えれば、予後不良で感染症、という状況がほとんどだと思いますけどね」
「だとしたら、どうだっていうんだ?」
「つまり、戦場では『敵を殺さなければならない』と考える必要は無いってことです。
武器を振り回し、そして自分が死ななければ。それだけで充分、役目を果たせていると思って構わないんです。既に刃物としての役に立たない、飯塚くんの小剣でも、戦場では充分なんです」
「それは、心の慰めになる、か?」
「どうでしょうね。逆を言えば、かすり傷ひとつが相手にとって致命傷になり兼ねない、という事ですから。
でもそんな、〝蝶の羽搏き〟まで考えて責任を感じては、何も出来ませんから。
松村さんの大弓や、飯塚くんの弩は、威力の加減が出来ません。けど、大刀や小剣なら、それが可能です。なら。
ボクらは精々、生き残ることを考えましょう」
◇◆◇ ◆◇◆
けれど、あたしは一つ、重要な問題を忘れていた。
「お、〝大弓使い〟じゃねぇか。何だ、数合わせの鉄札が徴兵されたって聞いたが、お前らだったのか」
出陣を前に、出征する冒険者たちに呼集が掛けられた。そしてそこで、あたしは顔見知りの先輩冒険者に声をかけられたのだ。
「イゴル先輩。先輩も徴兵されたんですね」
「おおよ。この戦いは、俺たち弓兵が主役だからな。せいぜい武勲を重ねようぜ」
「……弓兵が主役、って、どういう事なんですか?」
「あぁ、お前らにとっては初陣か。なら教えておいてやる。
普通の合戦の場合、弓射戦っていうのは戦闘の序盤、露払いが目的だ。敵も味方も、それで終わることなんか想定しちゃいねぇ。そもそも乱戦になれば、味方を射抜きかねない弓なんて、使途が無いからな。
だが、此度の戦争はゲリラに対する掃討戦だ。
出遭い、戦い、どちらかが死ぬ。その繰り返し。だから遠方から先手の取れる、俺たち弓兵だけで終わらせることさえ出来るんだ」
「あたしは、この戦争で、大刀を使おうと思っていたんですが……」
「遠距離攻撃手段を持っているのに、なんでわざわざ接近戦する必要がある? それに、通常の合戦なら、矢数がモノを言うが、掃討戦では一発の命中率が重要だ。だから、〝大弓使い〟は最多撃破を狙える位置にいるんだぜ?」
この戦争は、ゲリラ掃討戦。だから近接距離での集団戦闘の方が、稀になる。そしてあたしは〝大弓使い〟という二つ名を持つ。
〝大弓使い〟が大弓を使わなければ、周りからは不審に思われる。
その射法の精度も披露しているのだから。
現場で、殺したくないからと標的を外したら、当然訝しがられる。
あたしは、この戦争で。
人を殺すことになるのだろうか?
(2,444文字:2018/01/20初稿 2018/07/18投稿予約 2018/08/25 03:00掲載 2021/04/12誤字修正)
【注:「蝶の羽搏き」とは、最初に僅かな力を与えると、それが複雑に作用して大きな事象を引き起こす、という「カオス理論」のひとつ〝バタフライ・エフェクト〟(蝶の羽搏きが起こす風が、地球の裏側でハリケーンになる、などと謂われる)のことです】
・ 戦場での死亡率について:当然「捨て置かれた結果衰弱死・失血死」とか、「行方不明になったから死んだものと看做す」(戸籍管理なんかされていないから、生存が確認出来なければ死亡扱い)というのも資料上の「死者数」に含まれてしまいます。当然医療体制も現代とは違いますが、その時代なりの適切な処置が出来ていれば、その数は十分の一以下になったのではないかと推察されます。
もっとも、「統計上の戦死者数」は、「記録上の出征兵数」から「帰還兵の数」を差し引いて算出する場合が多かったので、当然誇大に公告された「出征兵数」の結果、甚大な戦死者数になるのが道理ですが。逆に、出征兵数の粉飾度合いが小さかった結果、「戦死者数」が「出征兵数」を上回る珍事(途中参入や「戦死」と記録した後の生還兵の情報の修正を行わなかった――ひとりの兵士が書類上では三回死んでいる、とか――等)もあったようですが。




