第14話 正射必中
第03節 大弓使い〔3/5〕
◇◆◇ 宏 ◆◇◆
そこにいるのは、長弓を持った大男。間違いなく冒険者だろう。
「しかもハリスの矢羽根だって? 木札のお嬢ちゃん、アンタは自分を、一体どんな大物だと思っているんだ?」
「弓使いの、先輩ですね? ですがあたしは、店のかたから『初心者ほど良い矢を使いなさい』と教授されたばかりです。おっしゃる通り分不相応かもしれませんが、この矢で強くなっていきたいんです」
松村が、殊勝なことを言う。
「ただの練習なら、普通の矢で充分なはずだ。ある程度標的に寄せられるようになってからで良いんじゃないか?」
「では、先輩の目で確認してくださいますか? あたしがハリスのモビレアン・アローを使うに値するか否かを」
「良いだろう。付いてこい」
そしてオレたちは、冒険者ギルドに向かった。
「イゴルさん。どうなさったんですか?」
「裏の弓射場を借りたい」
「その人たちは……。イゴルさん、彼らは昨日登録したばかりの新人です。あまり苛めないであげてください」
「イジメるつもりはねぇよ。ちょっと指導してやるだけだ」
「はぁっ。なるべく、穏やかにお願いしますね」
「イゴル」、というのがこの弓使いの名前らしい。
「それで、女。」
「シズ、とお呼びください、イゴル先輩」
「シズ、か。いいだろう。お前の腕を見せてみろ」
「構いませんが、どうせなら競射にしませんか? あたしと先輩で、普通の矢4本とモビレアン・アロー4本の計8本ずつ矢を射かけ、標的に中った本数が多い方が勝ち。同数の場合は、もう一射〝近寄せ〟で勝敗を確定させる、というのはどうでしょう?」
ちなみに、「近寄せ」というのは弓道の試合の決着方法のひとつで、より中心近くに中てた方が勝ち、というルールだと、あとで聞いた。
「テメェ、さっきまでの謙遜した態度はどこに行った? 余程自信があるようだな」
「自分でも不思議です。的場にいると、不安も困惑も一切が消えていきます」
「好いだろう。では負けた方が、この的場のレンタル料を負担した上で、夕飯をおごる。どうだ?」
「それで構いません。では、私の弓を取り出します。〝0〟」
珍しい、松村のコール。全員で〔亜空間倉庫〕の扉を開き、中へ。
「で、松村さん。勝てるんですか?」
失礼なことを言うのは、武田。
「弓道の言葉に、〝正射必中〟というのがある。これは、正しい射法で放たれた矢は、決して的を外れない、という意味だ。
そして、この〝正しい射法〟とは、技術のみを指すモノではない。誰かと競う為ではなく、称賛される為でもない。ただ真直ぐに、己が心を的に向かって映し出し、そしてその真ん中を貫く。それが、弓道の求める『真』『善』『美』の極致だ。
武田。お前が以前言ったな。あたしは『苦労の果ての成果』を見出せていない、と。
弓道は、〝求道〟。努力し、その果てに何かを掴むものじゃない。
武田。お前は以前言ったな。『大会などでは勝ちたいって欲が無いから、どうでもいいところで無意味なミスをする』と。
だがそれは違う。あたしは自分の心を映し出す事が出来なかったから、的を射抜けなかったんだ。
だけど、今は違う。
あたしの求めるモノ、守りたいモノは、まだ見えない。けど、もう二度と〝自分〟に負けない。
今のあたしは、百射百中出来る境地にある、と自分で思っている」
なんとなく思った。こいつは、弓が好きなんだ。嗜みとして学び、それを活かせる部活があったから入った、みたいなことを高一の頃に話していたのを聞いたことがあるけれど、何のことは無い、「好きだ」という気持ちさえ自覚してなかっただけじゃねぇか。
そして、西大陸では弩が主流で、弓を引けなかった。だから、それを引けるようになって、その悦びが表に出てきたんだろう。
なら。
こいつは、絶対に負けねぇ!
◇◆◇ ◆◇◆
松村は、道具一式を手に取り、弓に弦を張り、そして。
「じゃ、行こう」
外界へ一歩踏み出した。
◇◆◇ ◆◇◆
松村が〔亜空間収納〕から取り出した(ように見える)弓は、長弓の倍近い長さ。イゴル氏の持つ弓は、ざっと140cmくらいのサイズだけど、松村の弓は〝伸び寸〟と呼ばれる、七尺五寸の弓なのだそうだ。
「そ、そんな大弓、引けるのか?」
「はい、大丈夫です。それで、順番は?」
「お前が先でいい。先攻の方が有利だからな」
「有り難うございます。ではご配慮に甘えます」
そして松村は、胸当て(乳房が弓弦に引っかからないように抑える道具)を付け、「弽」(弦を引く右手用の手袋)を嵌め、的場に立った。
『足踏み』。足を開いて、弓射の姿勢を作る。
『胴作り』。弓を左膝の上に置いて、右手は腰に当てる。
『弓構』。弽を嵌めた右手を弦にかけ、的を見据える。
『打起こし』。弓構の姿勢から垂直に両手(弓)を頭上にまで持ち上げる。
『引分け』。右手の弦は頭の後ろまで、左手の弓は左手が直線になるまで、両肘と背筋の力で引く。
『会』。引分けの姿勢で氣が満ちるのを待つ。
『離れ』。胸筋の力で、矢を撃ち出す。
『残心』。離れの姿勢で矢の行方を追い、静かに『弓倒し』する。
これが、弓道に言う「射法八節」なのだと後になって聞いた。
そんな松村の第一射。
ビィィ……ィン
と、耳障りな音を立てて、矢は松村の足元に落ちた。
「おいおい、撃ち損じかよ?」
イゴル氏は嗤うが、松村は表情一つ変えずに矢を拾い、下がった。
一方イゴル氏の第一射。
涼やかな鳴弦と共に、矢は的の左下に吸い込まれていった。
「ん~、ちょっとずれたな。
シズ、お前の二射目だ。それとももう、ギブアップするか?」
「否、続けます」
松村の二射目。
その、足踏みの前に、松村は自分の道具袋から何かを取り出し、矢の後ろに付けた。
そしてそのまま足踏み。
ピィィィィィン…………
イゴル氏の鳴弦より音高く、けれど物静かな鳴弦を響かせ、矢は的の真ん中へ。
「な……」
「この矢には、〝筈〟がありませんから。甲矢はどうやら、弓力に負けて箆が砕けてしまったようです。ですので乙矢は、自前の筈を付けさせていただきました」
長弓の弓の張力に矢が負けるなんて、聞いたことがない。けど、和弓ではそれがあり得る。だから、筈が生まれた。それは同時に、矢と弦の摩擦を最小限にして、その力を十全に矢に伝える役割もしているのだとか。
もうこの先は、松村の独擅場。矢がモビレアン・アローに変わった五射目は、ど真ん中に命中した二射目の筈を撃ち抜く〝継矢〟まで披露してみせたのだった。
ちなみに本人は、日本から持ってこれたプラスチック製の筈のひとつがダメになってしまった、と後で落ち込んでいたけど。
(2,989文字:2018/01/04初稿 2018/07/18投稿予約 2018/07/24 03:00掲載予定)
【注:「正射必中」や「射法八節」については、『公益社団法人 日本弓道連盟』のHP(http://www.kyudo.jp/)を参照しています】
・ この「正射必中」の考え方は、逆に「中らないという事は、『心』『技』『体』のどれかが正しくなかった」という解釈になります。だから、傍から見て「心」「技」「体」のいずれかが乱れていることが明らかであるにもかかわらず的に中ったというのであれば、それは単に「まぐれ中り」であり、たとえ皆中したとしても評価されないのです。実際の公式戦でも、「皆中したのに予選落ち」した選手もいます。
・ 「ゆがけ(弽)」は環境依存文字で、「喋」の【口】偏を【弓】偏にした字を当てます。ガラケー等で正確に表示されない場合は申し訳ありません。なお、ひらがなで「かけ」とも書きます。
・ CAの命中率71%、という前提で考えますと、イゴル氏も松村雫さんも命中率が高過ぎるように思われますが、当然使う矢を吟味して、箆が曲がっていたり矢羽根が乱れていたりしている矢は使用していません。
・ (前話後書きの続き)イゴル氏が松村雫さんにちょっかいかけてきたのは、「店員の口車に乗せられて高い矢を買うな。ギルドの職員に相談しろ」って言いたかっただけのようです。口下手ですね。




