第03話 翻訳魔法の精度
第01節 憧れ(?)の異世界生活〔3/3〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
ミーティングが終わると、またトレーニングを再開する。
そして、女使用人さんが持ってきた夕食を食べた後、更にトレーニング。
これは、実は体力作りだけが目的ではない。無駄な体力を削ぎ落すことで、余計なことを考えないようにしているのだ。
余計なこと。
例えば、帰れるのか、とか。
この世界で生きる危険、とか。
そして、すぐ隣で無防備に汗をかく、級友の女子の事、とか。
軍隊で、男女混成部隊では、隊員同士で性的関係になることは少なくない、と聞いたことがある。命の危険に直面するから種の保存の本能が刺激されるのだ、とか、不安を紛らわせる為に性欲に耽溺するんだ、とか、色々言われている。
俺の立場では、美奈とそういうことをしたいと言ったら、美奈は受け入れてくれるだろう。
けど、松村さんや武田や柏木の前でそんなことは出来ないし、隠れてヤっても俺たち「五人」の間に亀裂が入る。
いみじくも松村さんが言ったとおり、俺たちは運命共同体になったんだ。たった五人の小さなコミュニティで、場合によっては国家や世界を相手にしなければならない。なら、一人でも欠けたら生き延びれる確率は一桁下がる。そんな状況で、敢えて孤立する道を選ぶ訳にはいかない。
それでもやっぱり、劣情はふとした弾みで鎌首を擡げる。着替えや排泄の時のみならず、すれ違いざまの体臭を嗅いだ時や、生地の粗い服から透ける体のラインを目にした時。シチューを食べる為に口を開けた瞬間だって、余計なことを想像してしまうのが、健康な男子高校生というものだ。
だから、そういった気持ちも全部筋トレで焼き尽くすのだ。
そして、充分に疲労した後、就寝。
これが、現在の俺たちの一日のスケジュール、という事になる。
◇◆◇ ◆◇◆
そんな感じで、異世界生活8日目を迎えた。
朝。いつもの通り女使用人さんがパンとスープを持って来た時。
「fぴょれsdjlmsそpょtそsp、pれせdじmsそlmそfrjぴr」
いつもの通り、現地の言葉で俺たちに何かを言った。
いつもの通り、多分「朝食です。どうぞ」と言ったのだと勝手に想像し、伝わらない前提で「有り難う」と言おうと思ったのだが。
一拍遅れて、その言葉の意味が頭に飛び込んできた。
「どうして私はこんな得体のしれないイキモノの世話をしなきゃいけないんでしょうねぇ」
吃驚して、一瞬女使用人さんの顔を凝視する。いつもの通りの柔和な笑顔。
友人たちの顔を見る。皆も俺と同じく、驚愕の眼で女使用人さんを、或いはお互いの表情を見まわしていた。
どういう事かはわからない。けど、俺たちも、この女使用人さんの言っていることが、理解出来た。なら。
俺たちが、この女に語り掛ける第一声は、コミュニケーションの第一歩。慎重に選ぶ必要がある。
だからこそ。最初に口を開いたのは、俺たちの中で最も聡明な、松村さんだった。
「もしかしたら。貴女は身分あるお方なのですか? だとしたら本当に、これまでご迷惑をおかけし続けていたことになりますね。お赦し願えますか?」
いつもとは違う、俺たちの返事に、何かを感じ取ったようだ。
「もしかしたら、私の言葉を理解出来るようになりましたか?」
「はい、今突然。言葉がわかるというよりも、言葉に乗せた意味が理解出来る、というべきか」
「だとしたら、世界の魔力が貴女たちの身体に馴染んだ、という事なのでしょうね」
「魔力が馴染む。それは、あたしたちも魔法が使えるようになる、という事でしょうか?」
「その辺りはわかり兼ねます。食事後に、宮廷魔術師長様のところにお連れ致しますので、そちらでお尋ねください」
よく見ると。この女性の表情は笑顔だった。そして、この笑顔を見た後であればよくわかる。これまでの柔和な笑顔が、作り物だったという事が。
俺たちが、現地の言葉を覚えた訳じゃない。また、この人が日本語を知っていた訳でもない。魔法が意思疎通を仲介する。なら、「人間同士なら意思の疎通が出来る」という事であり、逆に「自分の言葉が通じない」のは、犬に語り掛けるのと大差ないだろう。俺たちは漸く、この女にとって「人間」になれた、という訳だ。
◇◆◇ ◆◇◆
食事後、いつもの通り衛兵さんがやってきた。
「ついてこい」
いつもの通りのぶっきらぼう。だけど、言っていることが理解出来るだけで、わかることも増えてくる。そして、伝えられることもある。
「有り難うございます。今日も一日、宜しくお願いします」
この国の礼儀作法は知らない。だから、日本人として、全員で衛兵さんに頭を下げた。
案の定、この国にはお辞儀をするという作法はないようだ。一瞬面喰ったような表情をしたが、すぐに顔を背け、歩き始めた。俺たちも後に続く。
「あの、えいへ……じゃなく、騎士様、ですよね?」
武田が語りかける。「黄金拍車」の話は聞いている。その上で敢えて「騎士」と語り掛けるのは、位を低く見積もるよりも高く見積もる方が、相手にとって失礼ではない、という心算だろう。
「騎士籍はない。ただの兵士だ。今まで通り『衛兵さん』で構わん」
この言葉の真偽はわからない。けど、少なくとも言葉がわからなかった今までの、俺たちの呼称は衛兵さんにとって不快なものではなかったという事だ。
その後は、美奈があれやこれやと些細なものまで聞いて回っていた。衛兵さんは辟易としているようだけど、俺たちにとっては重要な情報収集。
一方武田はオタク知識に基づいた質問を多く飛ばしている。だけどすぐ、武田の目論見に気が付いた。日本語のスラングや方言、厨二用語を多分に交えた質問をすることで、この「翻訳魔法」の精度を確認しているのだ。
日本語だって、「こわい」という言葉が「恐怖」を意味したり「かたい」(強い)を意味したり、色々だ。文脈で区別する事が出来ない場合も少なくない。が、地域性や特定の趣味など、一定の共通認識を持つ間柄なら、普通に意味が通じる。では、「翻訳魔法」は、そういった共通認識まで翻訳出来るのか?
結論は、「出来ない」。武田の質問内容に、衛兵さんは「何を言っているのかわからない」と答えている。あまりにマニアック過ぎる単語や表現は翻訳出来ないようだ(「萌え」や「草生える」まで正常に翻訳されたら、逆に怖い)し、当然ながら固有名詞は通じない。ただ、この世界と日本の両方にある物に関しては、どうやら翻訳されるようだ(「犬」は翻訳されても「柴犬」は翻訳されない)。
そして、翻訳に関する優先順位は、名詞の互換が先でニュアンスが後。つまり、「うちの女子、テラコワス」と言ったら、「うちの女子は神殿を破壊する」と伝わる訳だ。これは、日本語を母国語とする俺たちが外国語を混在させたスラングを使う場合、まず正常な翻訳は不可能だという事になる。
そして俺たちは、「宮廷魔術師長」と面会する。鬼が出るか蛇が出るか。俺たちは、漸く藪を突く為の棒(言葉)を手に入れたのだから。
(2,951文字:2017/11/26初稿 2018/03/01投稿予約 2018/04/05 03:00掲載予定)
【注:「テラコワス」はネットスラングで、「とても恐ろしい」という意味になります(「テラ」=「tera」=「10¹²」=「とても(大きい)」の意、「コワス」=「怖い」の語尾変化)。ちなみにこの世界に仏教はありませんので、「神殿」と訳されます】
・ 某所(とある畑)で出たネタで、「貴女のお体にさわりますよ」というのがあります。「貴女のお体に障りますよ」だと気遣いで、「貴女のお体に触りますよ」だとセクハラになります。日本語って難しい。