第42話 ビリィ塩湖地下迷宮
第08節 別れと出会い〔2/4〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
内陸の街、ビリィ。ここには、〝鏡の海〟と呼ばれる湖があります。
その名の通り鏡のように美しく、けれどその水はどれだけ濾しても飲むことが出来ず、魚一尾も棲まない、それゆえ魚を狙う鳥も寄り付かない、静寂の湖。
鏡の海に来たある吟遊詩人が、「〝死〟とは、鏡の海の如く静謐で、美しく、それでいて残酷なもの」と詠んだことから、〝死の海〟とも言われているそうです。
鏡の海の湖岸には、世界最大規模の岩塩の露天鉱床がある、という話を聞かずとも、この湖が「塩湖」であることを疑う必要はありません。
鏡の海の南方に、石灰岩質の地層があり、そこに幾つかの鍾乳洞があるそうなのですが、そのうちの一つに、数年前から魔物が棲み付き、今では立派な迷宮になっているそうです。
そのダンジョンが、ボクたちが初めて足を踏み入れるダンジョン、という事になります。
◇◆◇ ◆◇◆
「この、『ビリィ塩湖地下迷宮』と呼ばれるダンジョン。難易度は基本的にそれほど高くはない」
「基本的に、とはどういうことなのでしょう?」
エラン先生の説明に、妙なニュアンスを感じ取り、質問してみる。
「このダンジョンは、自然の鍾乳洞から生まれたものだから、滑り易く迷い易い。中には一度落ちたら二度と浮かんでこれない地底湖もあるという。その意味では、そこらのダンジョンより難易度は高い。
一方で出現する魔物は、蜥蜴人などの水棲の魔物と、小鬼をはじめとする鬼系の魔物が多い。
鬼系の魔物は、種類によっては討伐が大変だが、大抵処し易い部類に入る。
また、このダンジョンで最も出現頻度の高い魔物は、スライムと並んで最弱の魔物と謂われるゴブリンだしな。その意味では、難易度は低い」
「では迷宮主が厄介なのですか?」
「この迷宮のダンジョンマスターも、ゴブリンだ」
「ちょ、最弱の魔物のゴブリンが、ダンジョンマスターなんですか?」
「そうだ。だからこのダンジョンの難易度は、低いと言われる」
訳がわからない。それじゃあ単に地形の問題でしかないじゃないですか。
「ではどうして、『基本的に』なんて但し書きを付けるんですか?」
「私が昔住んでいた街の近くに、ゴブリンが集落を作っていた。このゴブリンどもは、数をして倍する豚鬼どもと互角に戦い、後年その地方が戦争に巻き込まれた時、数万の人間の軍勢相手にたった100匹かそこらで三日間戦い抜いたという。
個としては弱くても、連携し、道具を使い、策を練り、地の利を生かし、場合によっては自己犠牲で敵を誘引する。その意味では、脅威度を計れないほど恐ろしい」
……何ですか、それは? 数万の軍勢相手に、たった100匹で、三日間?
人間だって無理でしょう?
と思ったら、飯塚くんがその辺りを問い質しました。
「どう考えても、数万人対100匹で、三日間戦い続けることは不可能でしょう。最初の一当てで全滅します。全滅しなかったとしても、勝てないのなら逃げるのではないですか?」
「そうだ。そこが恐ろしい点だ。そのゴブリンたちは、逃げなかったんだそうだ。
そして、勝つことではなく時間を稼ぐことにのみ重点を置いた戦いをした。
おそらく、後方のメスやガキを逃がす為に。
メスやガキを守る為に、オスが戦うのは、自然な姿かもしれない。が、それは自分の番であるメスと、そのガキを守るときだ。集落全体の女子供を守る為に身を挺して戦う男、なんていうのは、人間だけだ。
つまり、人間に匹敵する社会性を持ち、人間に匹敵する戦略的視野を持ち、人間に匹敵する戦術と戦技を使い、人間同様に道具や罠を作り、そして人間以上に容易に自己犠牲に走る〝魔物〟だ。その意味を理解出来なければ、一瞬で全滅するぞ」
考えてみれば。人間も、動物の中では弱い部類に入ります。それが「万物の霊長」なんて言われるのは、それこそ社会性と智慧ゆえだと言われます。つまりゴブリンは、「魔物の霊長」と言うべき生き物なのかもしれません。
「ついでに、このダンジョンの一部のゴブリンが使う武具は、異常に質が良い。よく手入れされているうえに、そもそもの素材の質が違う。
俺の長剣もこのダンジョンで取得したものだが、同じものを王国の鍛冶師に作らせようと思っても、不可能だと言われた。未確認だが、一部に神聖鉄が使われているらしい」
伝説の金属、ヒヒイロカネ。それが含まれた合金で武装した、ゴブリン?
ちょっと怖過ぎます。
「話を戻すが、このダンジョンは鍾乳洞でもあるから滑り易い。そして万一のことを考えたら、全員の身体を紐で結ぶことで、誰かが足を滑らせても残り全員で支えることが出来る。
しかし、紐で身体を結んだら、魔物との戦いで後れを取る。
その辺りも考えなければならないな」
◇◆◇ ◆◇◆
鍾乳洞であるダンジョンの、安全な踏破と、厄介な魔物である、ゴブリンとの戦闘。
普通に考えれば、両立は難しいと思われます。けど、ボクたちには〔亜空間倉庫〕があります。
なら、遭遇するまでは紐でお互いを結び、遭遇したら〔倉庫〕を開いて紐を解いて戦闘態勢に移行すれば良いのでしょう。そして、ボクらを結ぶ紐とエラン先生とを繋ぐ紐は、飯塚くんの持つカラビナで繋いでおけば、紐を切らずともワンアクションで分離出来ます。
そして、ゴブリンが戦略的に戦力を運用するというのなら。
「エラン先生。ボクたちは何を最終目標にしてダンジョンを進めばいいんですか?」
「今回は、単純に迷宮攻略の演習だ。ダンジョン内で五日間過ごし、気を付けるべきことや他の場所とは違う独特の戦い方などを理解することを目的とする。
そして通常の冒険者の最終目標は、迷宮核だ。が、そこまで辿り着けるかどうかはわからない。またゴブリンは、討伐しても得るものが少ない。その魔石は宝石魔獣より三段落ちるし、皮も肉も素材としても食材としても使えない。勿論ドロップのゴブリンウェポンは貴重だが、連中もそれをエサに冒険者を誘引することも少なくない。
一方で、水棲魔物のリザードマンなどは、体内から微量だが神聖金を得られる場合もあるという。これは換金価値が高い。このあたりを狙うのも、悪くはないと思うぞ」
つまり、これは「ダンジョンアタック」と考えずに、「要塞攻略」と考えるべきだということみたいです。否、日本の戦国時代の城郭攻め、と言うべきですか。
なら、ボクらも何の為に侵攻するのか、という点をしっかり認識しておく必要がありそうですね。
(2,847文字:2017/12/22初稿 2018/04/30投稿予約 2018/06/22 03:00掲載 2018/06/22記述一部修正)
・ この迷宮のダンジョンマスターがゴブリンだ、というのは未確定情報です。「ダンジョンマスターらしい」ゴブリンを視認出来た冒険者はいましたが、接近する前に天井が崩れて通路そのものが消滅しましたから。
・ 前作既読の人だけが知っている事実:エラン先生の故郷の近くで集落を作っていたゴブリンたちがその身を挺して守ったのは、「同じゴブリンのメスやガキ」だけでなく、エラン先生の家族を含む、その地方に住む『人間』なんです。人間と友好を約することさえ出来る〝魔物〟。ある意味、人間以上に恐ろしい存在かもしれません。
・ 「集落全体の女子供を守る為に身を挺して戦う男、なんていうのは、人間だけだ」というのは、あくまでも普通の動物の話であり、アリなどの群生生物はまた別の話です。




