第36話 旅立ちの準備
第07節 反撃〔1/5〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
王都に戻った後。あたしたちは、改めてこの国の法律とその施行状況を調べてみた。
……それは、酷いモノだった。
一応、「殺してはいけない」「盗んではいけない」といった、一通りの法律はあった。けど、それはほとんど機能していなかった。
例えば、トラブルが起こったのが貴族同士の場合。
その仲裁をするのは、「元老院」という、大貴族たちで構成する機関。だけど、貴族たちの辞書に「公平」とか「中立」とかといった文字はない。なら、元老院議員である貴族たちをどれだけ味方につける事が出来るかで、訴訟の勝ち負けが決まるといってもいい。
その為、貴族たちは挙って自分の娘たちを元老院の子弟の下に嫁がせる。或いは、議員の妾に。そして嫁がせるだけの器量がある娘がいない貴族は、金品を贈り、歓心を得る。
勿論、全ての問題が元老院に上程される訳ではない。個人間のくだらないトラブルなら、個人間で解決しろ、という話になる。その場合の多くは、「決闘」という方法が採られる。
貴族と平民の場合は、もっと簡単だ。よっぽどの事情がない限り、どちらに罪があろうと貴族が平民を斬り捨てて終わる。例外は、貴族に対してカネを貸している豪商。この場合、この豪商は他の貴族とも縁があるはずだから、下手に斬り捨てたら他の貴族を敵に回す。だから、その辺りの力関係を計ったうえで、斬り捨てる事が出来ないのであれば穏便に済ませるように対処するのだ。
平民同士の場合。それは、所属する組織内で処理されることになる。家庭内であれば、家長である父親が決裁し、同じギルドに所属する職人同士ならギルド長が采配する。そしてギルドを跨ぐトラブルの場合、ギルド長同士の話し合いで妥協点を見出されるのが普通という訳だ。
だけど、例外もある。下手な仲裁は、闇討ちに走る未来しかない。その場合、遺恨がなくなるような処置が必要になる。
他にも、見せしめが必要な場合。一罰百戒で、公開処刑することでその犯罪者の模倣犯が出ないように抑止する場合もある。
そして、市外で行われた犯行、或いは犯罪者が市外に逃げた場合。これは、基本その首を斬って終わる。それが本当にその容疑者なのかどうかの検証は為されない。そんなことをしても被害が無かったことになる訳じゃない、というのが人々の正直な感想。だから、「首を斬る」というのも、「事件が終わった」という儀式に過ぎないという訳だ。言い換えれば。町の自警団にとって、犯罪者を町の外に逃がしてしまったという時点で敗北であり、だからこそ門兵の役割が重要になって来るともいえる。
或いは、盗賊どもが相手であれば、減刑を餌にその拠点を割り出し、アジトに溜め込んだ財宝を没収するなどの場合は殺さずに連行される。また、人攫いなどで他にも被害者がいると思われる場合は、その被害者を救出する為に生かして捕えることもある。つまり、生かしておくことで利益があるか、被害を減らすことが出来る場合は殺さない、という事になる。なおその場合、「減刑」の結果〔契約魔法〕で奴隷になるのが常道だが。
何にしても、無人島で起きた盗難事件にもちゃんと司法が対応する、21世紀の日本の常識で法が適用されると思ったあたしが莫迦だった、という事だ。
◇◆◇ ◆◇◆
さて。そんなこんなで、この世界に来て71日が過ぎようとしていた。
あたしたちは、〝魔王〟を討つ為に、東大陸に渡らなければいけない。けど、潮と風の関係から、あと40日程度待たなければならないのだそうだ。
今の時期、強い東風が吹く。だから東大陸に向かおうとしたら、逆風になる。時間もかかるし、転覆のリスクも増える。
だけど、あと40日程待ち、暦上の秋が来ると、風が南風に変わるのだそうだ。潮は、沿岸部は時期を問わず北に向かって流れている。そして、不思議なことに、潮と風に乗って陸に沿って北に向かって船の帆を張ると、いつの間にか東大陸についているのだそうだ。
有力な説は、北の極海に迷宮があり、迷い込んだ船の進路を狂わせ、更に空間が歪んでいるから東大陸に着いてしまう、のだそうだ。現に、北の極海には、多くの海棲の魔物が棲み付いているという。しかし、実は西大陸から東大陸に向かうのには、結局その極海の迷宮を抜けるのが一番早いのだそうだ。
……その話を聞いたあたしと武田は、顔を見合わせた。
北に向かえば、いつの間にか東大陸に辿り着く。それって単に、大圏航路、という事でしかないのでしょう。
例えば日本から飛行機でロスアンゼルスに向かうのに、日本列島沿いに北上し、千島列島とアリューシャン列島に沿ってアラスカに入り、アンカレッジからアメリカ西海岸を南下するというルートを辿るけど、飛行機自身はほぼ直進している。それは、地球が丸いから。メルカトル図法で描かれた地図で見ると、大回りしているように見えても、その最短距離はアラスカ経由だというだけの話。
そして、東西は「メルカトル図法」で表示されても、その距離を渡るのに最短距離は「大圏航路」。だから極海に向かう。それだけのこと。
ただ何にしても、北極海を航行出来る船は数少なく、そして潮と風がご機嫌に吹くまでまだあと40日近くあるのなら、その時間を準備に費やすことは、間違ってはいないでしょう。
ちなみに、そのルートで東大陸に向かうと、まず〝魔王〟国の沿岸を通るのだという。さすがにいきなり上陸するのは不味過ぎるから、通り過ぎてこの国と友好的な某国の港に船を着けるのだという。
けど、残り40日。これまで過ごした日々を思うと、意外に残り少ない。
そろそろ真剣に、準備を始めないといけないだろう。
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旅に必要なのは、当座の軍資金。これは、〝魔王〟国の勢力圏内を例外として、普通に金貨が流通するらしい。勿論、この国の金貨は現地の金貨に両替しなければならず、その際手数料を引かれることになるけれど。
けど、あたしたちはこの国では、基本お金を必要としてない。だから、出発直前に渡されることになっている。
また、商人たちは為替と呼ばれる信用貨幣を使うらしいけど、あたしたちは商人じゃないから取り敢えず関係ない。
食料と水。〝食糧〟(穀物等)は、必要量を事前に準備してくれるという。けど、ちょっと話をしてみて、この国(或いはこの世界)は、栄養学が全く発達していないこともわかった。だから穀物と肉と水があれば、人は生きていけると思っている。彼らにキリストの名言を教えてあげたい。「人はパンのみにて生くるにあらず」って。だから野菜や果物等も、仕入れられるだけ仕入れることにした。
その他の物資は、一応整いつつある。最早あたしたちが〔収納魔法〕を使えることは、気付かれていると考えて間違いない。当然、それは他の人たちの〔収納魔法〕とは性質が違う、という事も推察されているだろうけれど。
そんな風に、あたしたちは旅立ちの準備を進めていた。
(2,945文字:2017/12/19初稿 2018/04/30投稿予約 2018/06/10 03:00掲載予定)
【注:「人はパンのみにて生くるにあらず」(マタイ福音書4:4、ルカ福音書4:4)は、「穀物だけでは栄養が偏る」、という栄養学的な言葉ではありません。「人が生きるには神の言葉が必要だ」、という宗教学的な言葉です。勿論、松村雫さんはそれを承知で言っています】
・ この世界の「法」とは、平民が、ギルドなどの組織の庇護下にない立場で生じた争い事を裁定する為に存在しています。例えば盗難事件などは、盗まれた物も、盗んだ犯人も明確で、その犯人が既に確保されているという状況で初めて機能します。「盗まれた」と訴え出て、捜査してもらえるようになる程度に司法が成熟するまでは、あと数百年待たなければならないでしょう。ちなみに、流民・難民・余所者等に対しては、法で云々、とさえなりません。だからこそ、彼らが『冒険者ギルド』に所属する意味があるのです。
・ 40日ジャストで風向きが変わる訳ではないので、30日後にはマーゲートに着いて風を待つ必要があります。また「北に向かう」理由は、大圏航路というだけではなく、潮の回流に乗るという意味の方が大きいです。




