第49話 救いの手を伸ばす先
第08節 そして、新しい時代へ〔2/6〕
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リアーノの町で市民たちに炊き出しをし、また傷病者を看護し、女子と衛生兵科の婦人兵が性暴行の被害者の診察とカウンセリングを行い。そして後続の本隊の到着を待って、オレたちは再び先行することにした。
リアーノをはじめとする南部の町村の復興は、スイザルにいる王族の仕事。その資金は、此度の戦費賠償として教国から巻き上げる。その際の、教国側の代表者は、セレーネ〝女教皇〟になるはずだ。
実は、セレーネ姫は「リアーノの復興の為に、(このような炊き出しや看護などだけではなく)何か出来ることはないのですか?」と尋ねてきた。それに対する武田の答えは明瞭で、「無い。」だった。
スイザリアの民を救う為に動くのはスイザリア王家と領主。王家領主の委任と信託を受けた民間組織や個人が動くことはあるかもしれないが、他国の王侯(や、それと同等の高位神官)が動くのは、筋が違う。
敢えて言えば、戦後の講和会議の時に、スイザリアに支払う賠償金を値切らないというくらいだろう。そして、その原資を揃える為に、教国内の高位神官の持つ(神殿に喜捨され、私有が認められていないはずの)財貨を可能な限り根こそぎ接収することだろう。
「セレーネ姫。今の貴女のお仕事は、旗頭となることだけです。戦争が終わった後にこそ、その仕事があるのですから。
今はただ、目を逸らさずに見つめてください。『戦争』とはいかなるモノであるのか。貴女が守るべき民が、隣国の民に対して何をしたのかを。そして、貴女が救わなければならない民が、今どのような境遇にあるのかを」
飯塚の言葉。以前、武田がドリーに言ったことと同じだ。
リアーノの民は、セレーネ姫の救うべき民じゃない。その手を伸ばす相手を間違えるな、と。
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そして、国境を越え。オレたちは、アザリア教国領内に入った。
その、最初の町。巡礼馬車は迂回し、オレたちの帰路でも無視したその町だ。
そこの民は、一人の例外もなく飢えていた。
「どうして……? この町は、まだスイザリアに攻め込まれていないのに――」
「侵略軍が、占領地で略奪を行うのは。それが戦場の習いだからというだけじゃありません」
武田が、セレーネ姫の疑問に応えた。
「本国から糧秣を輸送しようと思うと、その負担は莫大です。
費用もそうですし、それ専用の輸卒も必要になります。
またその分、行軍速度も落ちてしまいます。
なら、現地で徴発すれば善い。そういう発想が生まれます。
現地で徴発すれば、その分持参する糧秣も最小限で済みますし、ついでに敵国の地力を削ぎ落すことにもなります。善い事尽くめじゃないですか。
だけど、立場が変わったら?
自国が攻め込む側ではなく、攻め込まれる側に立ったら?
その地に物資があれば、侵略者の益となります。ならその前に、根こそぎ持ち去れば。
徴発した物資は籠城戦の備えになり、同時に侵略軍の行軍速度を遅らせることも出来るでしょう」
それが、以前飯塚が言っていた、焦土作戦。
「で、ですが! 現地の民にとっては、収奪するのが敵じゃなく味方だ、という違いしかないじゃないですか!」
「それどころか。『この国は自分たちを守ってくれない』『自分たちを見捨てた』と思うでしょう。敵であれば憎めばいいけど、自国の君主相手だと?
もう、絶望しかありません」
「……」
「だからこそ。セレーネ姫が民を救うことに、意義があるんです。
たとえ今はただの旗頭でしかなくとも。スイザリアのリアーノの民ではなく、アザリア教国の民を救う為に、セレーネ姫がご自身の手を伸ばされる。
たとえそれがパフォーマンスに過ぎなくとも、――それは『アルバニー戦役』と同じですが――この地の民を救う為に、セレーネ姫がスイザリアの将軍に対して頭を下げ、そしてセレーネ姫の要請に基づいてスイザリアの物資がアザリアの民に届けられる。そこに、意味が生まれるんです」
そして、武田の言葉を飯塚が引き継ぐ。
「此度の戦争。最終幕は、聖都に於ける籠城戦・攻囲戦になります。
通常、攻囲側は後方との連絡・補給路を確保する為に、道中の町村を支配下に置きます。が、今回は。
セレーネ姫が旗頭となり、道中の町村の民からの支持があれば。
スイザリアは、道中の町を焼く必要も略奪する必要も、なくなるのです」
「そういう、ことですか。
ア=エト様たちは、以前から仰っていましたね。『敵はジョージ四世、ただ一人』だと。
それ以外の流血を避けるのは、貴方がたの善意だけではなく、
私が新教皇として即位した後の統治と宗派の立て直しの為だけでもなく、
それが結局、最も効率の良いやり方だ、という事なのですね」
「宗教家は、正邪善悪で多くの物事を評価されます。けれど、実は人間関係に於いては損得で判断することの方が多いのです。
仮令邪悪でも、無能でも、自分にとって有益無害なら、手を取ることが出来ます。
仮令善良でも、有能でも、自分にとって有害無益なら、敵対することになるでしょう。
俺たちは、善意でアザリアの民の救恤を考えている訳ではありません。もしかしたら俺たちの行為には、セレーネ姫にとって邪悪な真意が隠されているのかもしれないんです。
けれど、その結果アザリアの民が救われるのであれば。これ以上苦しむことがないのであれば。
俺たちが邪悪であっても、セレーネ姫は俺たちの手を取ることを選ぶべきなんです。
この場合、姫が俺たちの手を払うなら。この地の民が今後も苦しみ続ける。それ以上の福音を、その手に持ってしなければならないんです。
セレーネ姫。半年前まで俗世を知らなかった、箱入りの姫君。
貴女の手中に、その〝福音〟はありますか?
貴女の言葉に、その〝福音〟を込めることが出来ますか?」
一見すると、断罪するような飯塚の言葉。
だけどその実、セレーネ姫を教え導くその言葉。
そう。セレーネ姫が〝聖女〟であれば、その口からは、聖性溢れる美辞麗句を垂れ流せばいい。
けど、〝女教皇〟になるのなら。そこには政治が関わってくる。
悪人だから協力出来ないとか、仇敵だから頷けない。そんな判断をして、その結果守るべき民を苦しめる結果になったとしたら。
「教皇」の位にいる者は、民を守る為に、善悪を超えた最良の選択肢を選ばなければいけないのだから。
◇◆◇ ◆◇◆
飯塚は、教国領内に入ってから。
セレーネ姫に、積極的に演説・説法をするように言っていた。
今は、なんの力もない姫君なれど、民はその言葉に意味を、〝福音〟を見出す。
力のない姫君が連れて来た、異国の軍は、けれど自分たちに水と食料を、薬草と毛布を与えてくれる。ならそれは、その姫君の〝力〟ではないか、と。
この地で、スイザリア軍は歓迎されていない。
けれど、「セレーネ姫が連れて来た」軍隊に対して、あからさまな敵意を向ける者もまた、ほとんどいなかった。
(2,744文字:2019/08/02初稿 2020/02/29投稿予約 2020/04/14 03:00掲載予定)
・ 飢え苦しんでいる人に聖句を告げても救えません。彼らが求めているのは、有り難い神の教えではなく、一欠片のパンなのですから。




