第48話 聖と俗
第08節 そして、新しい時代へ〔1/6〕
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ローズヴェルト王宮は、沈黙に包まれた。
此度の戦争の結末が、想像を絶するものだったからである。
・ ロージス方面派遣軍:
派遣--*2,000 損耗--***400 捕虜--****0 帰還--1,600
・ ゲマインテイル方面派遣軍:
派遣--28,000 損耗--*7,000 捕虜--20,000 帰還--1,000
・ ベルナンド地方派遣軍:
派遣--27,000 損耗--12,000 捕虜--14,000 帰還--1,000
その他犯罪者師団15,000全損耗
合計七万三千もの兵を動員し、帰還出来たのが僅か三千六百。全体の5%ほどでしかないという事実は、責任転嫁の余地がないほどに絶望的な数字だった。
そして、動員数の約半数に当たる捕虜の解放の為に、一体どれだけの経費が掛かるか。それ以前に、一時にこれだけの人的資源を失い、立て直しが出来るのか? という疑問も残っている。
一方、これだけの犠牲を払った結果は、オールドハティスを占領し、〝サタンの兵器〟と呼ばれた「ソレ」を接収出来ただけだった。しかもオールドハティスはすぐさまスイザリアの冒険者の手によって再奪還され、また〝サタンの兵器〟は国内の鍛冶師たちや魔術師たちに分析を依頼したものの、「原理不明、材質不詳、再現不可能」という、トホホな結果にしかならなかった。
対外的には戦費賠償金の支払いと一部の領土の割譲が求められるだろう。国内的には捕虜となっている貴族関係者の解放の為の身代金を支払えば、それで終わる(雑兵の解放の為に身代金を支払うつもりはない)。その結果一時的に枯渇する国庫は増税で賄える。
しかし、人的資源の損耗と、王家に対する求心力の低下。これだけはどうしようもない。
何より。「国を挙げてひとりの冒険者と戦い、一方的に敗北・全滅した」。
実情は少々様相が異なるとはいえ、一義的にはそう映る、此度の戦争の顛末。
これは、今後の国内統治と国際外交に甚大な影響を与える事、疑いの余地さえなかった。
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
オールドハティスの機銃陣地は。
再占領後、何処からともなく現れたゴブリンたちが持ち込んだ資材で、仮の陣地が作られました。
ガトリング機銃の弾薬の搬入にも使ったと思われる、おそらく近郊の迷宮を経由した、ドレイク王国本国からの資材輸送。単純な防御陣地の作成には一日程度で済むでしょうし、将来の都市化を見込んだ城壁の構築にもそれほどの時間を要しないでしょう。
そして、具体的な対応は現在協議中のはずですけど、このオールドハティスはスイザリア王国とカラン王国が共有支配することになります。だから旗幟も、両方が既に掲げられています。
普通、二ヶ国・二民族が一つの町を共有するとなりますと、必ずトラブルに発展します。それこそブルックリンの町もそうでした。
けれど、人間とゴブリン、と考えると。厳密には、生活領域がほとんど重ならないのです。ゴブリンは、人間にとっての未開拓地がその生活の中心ですから。その一方で、人間は未開拓地で猟をし、ゴブリンは人間の文明圏で商取引をする。そういう形で一部の生活空間が重なり、その重なる部分の人間側の領域がオールドハティスになる、という事ですから。
また、オールドハティスからリュースデイルまでに関しては、オールドハティスを再奪還出来たことで事実上解放され、既に商人たちが資材と人員の輸送を始めています。それも、魔物と肩を並べて。この情景も、これまで見ることが出来なかった種類のものでしょう。
これこそが。時代が変わる、その前兆なのかもしれません。
◇◆◇ ◆◇◆
第1,078日目。
ついに、セレーネ軍の行軍が開始されました。
陣容は、セレーネ軍三万七千、スイザリア王国軍四万五千(内モビレア領軍一万五千)。アルバニー領軍は市内に留まり、必要に応じて第二軍として行動することになります。
また、騎士王国騎士団は、モビレアから教国西部へ直接進軍することになるそうです。例の、「星が落ちた地」。かつての湿地帯、今は単なる平原となっている場所を経由する訳です。もっとも、この〝星が落ちた〟というのは最早キーワード。あの魔王陛下が関わっていることに疑いの余地はありません。なら「セレーネ派」にとって、聖地扱いして禁足地にする必要も、ないでしょう。
それはそうとして、ボクらと一部の兵たちは、本隊より先行して南に急行します。
それは、教国に占領された、リアーノをはじめとする町村を解放する為です。
否、教国軍は一部を残して撤収していることが、既に斥候から報告されています。残存兵を排除するのに、軍は必要ありません。
だから、先行するのは、ベルダをはじめとする衛生兵科と輜重部隊であるボクら、そして。
『侵略者に占領された町の状況』を視察させる為に、セレーネ姫自身を、お連れするのです。
◇◆◇ ◆◇◆
「こ、こんな……」
リアーノの町を目の当たりにして。セレーネ姫は言葉を失いました。
「これが、占領された町の現実です。金品や備蓄食料は強奪され、その身体は傷付けられ、戯れにその命さえ奪われ。大した理由もなく家が焼かれ、女性は年端もいかない幼女から老女に至るまで凌辱され。
人々は、抵抗する気力どころか生きる気力まで失い、ただ坐り込むことになるのです」
「これが、善神の信徒たる者の、所業なのだというのですか?」
「善も悪もありません。これは戦場の習いであり、勝者の当然の権利なんです。だから、戦闘訓練を受けていない一般庶民でも、負けない為に必死で戦うのです。敗北して、こういう境遇に堕されないように、と。
だから。ボクらスイザリア軍が聖都に攻め上るときに。
〝スイザリア軍〟ではなく、〝セレーネ軍〟が中核である必要があったのです」
「それは、どういう――」
「スイザリア軍が教国に侵攻し、途上の町を占領したなら。
スイザリア兵は、このように教国の民を遇するでしょう。
だけど、セレーネ軍なら? セレーネ姫、貴女は現在敵対しているというだけの理由で、未来の貴女の民、貴女が救うべき信徒たちを、蹂躙することが出来ますか?」
「……」
「貴女は、五万に及ぶ貴女の兵を救ったように。
教国の民、老若男女の全てを救わなければならないのです」
「ですが、ユウ殿。貴方は、スイザリアの方のはずです。
その貴方が何故、アザリアの民を救うことを求めているのですか?」
「アザリアの民を救うのは、繰り返しますが、姫の仕事です。
ボクらはボクらの都合で、姫が民に慕われ、民の尊崇を一身に享ける教皇猊下になっていただきたいのです。
貴女が正しき善なる道を歩めば、
この時代の為政者にとって当然の指示を出すジョージ四世は、
聖性なくただの俗人に過ぎないことの証明になりますから。
ジョージ四世を〝俗〟に堕とし、ようやくボクらの最後の戦いが始まるのですから」
◇◆◇ ◆◇◆
リアーノ町の、巡礼馬車の駅があったところに、ベルダたちの看護陣屋を作り。
ボクらはセレーネ姫を誘い、市民に炊き出しを振る舞うことにしました。
(2,825文字:2019/08/01初稿 2020/02/29投稿予約 2020/04/12 03:00掲載予定)
【注:拙作では、概数は漢数字、確定数は算用数字で表記しておりますが、今回のローズヴェルトの戦闘リザルトに関しては、対比の為に算用数字を用いております。確定数ではなく概数であることをご了承願います】
・ 時系列的には、ローズヴェルト王からのゲマインテイル方面軍の派遣発令とベルナンド地方方面軍の派遣発令は、ほぼ同時です。ただ情報伝達速度と物資・兵員の調達・輸送速度の差(そして王都から両方面前線までの距離の差)がタイムラグとなって現れました。また、その結果の全てを把握出来たのは、作中の日数表示で1,130日目くらいです。
・ 雑に端数省略の結果、脱走したり捕虜解放交渉の使者にされたりで、あと千人ほど本国に帰還しています。
・ 捕虜となりしかし身代金が支払われなかったローズヴェルト兵は、〝誓約の首輪〟を科せられ、数年間の強制労働に従事することになります。なお奴隷労働を行う場所は、ハティス地方。リュースデイルからオールドハティス迄の地域の復興の為の労働力として、彼らは使われるでしょう。




