第36話 アルバニー戦役(後篇) ~捨て奸~
第06節 聖女から天使へ〔4/6〕
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初日の戦闘が終了し、各部隊の被害を確認してみたところ。
最も激しく戦い、また一日中走り回り、一日中戦い続けたはずのモビレア領軍は、他の軍に比べて損耗度合いはおろか、兵たちの蓄積疲労も、小さく済んでいた。それでいながらその戦果は大きく、その精強さは他の追従を許さなかった。
モビレア領軍の各部隊長は、リュースデイルを巡る一連の戦闘の経験者であり、またベテラン兵はフェルマール戦争に従軍していた。その戦闘経験も、無視出来ない要素だっただろう。領兵隊長らにとっては、自分が手塩にかけて育てた兵たちが精強であることは、ある意味当然のことでもあった。
けれど、それだけが理由ではないことも、最早理解出来ていた。
古強者や幹部兵が強いのは当然として、今回の戦闘が初陣になる下級兵もまた、侮れない体力と胆力を見せていたのだ。
その体力の秘密は、改善された戦闘糧食。
その胆力の根拠は、負傷し陣屋に搬送されても、生きてまた戦場に戻れるという確信。
旧来の戦闘糧食は、死なない程度の食糧の最低限の補給でしかなかった。けど現在の食料は温かく、味が付き、バリエーションが増え、時には甘味さえ供される。それは、確かに兵たちの力になっていたという訳だ。
旧来の戦傷者収容施設は、死体置場と何ら変わらなかった。そこに運び込まれるということは、すなわち戦えないということで、早晩死亡するより他はなかった。けど現在の看護陣屋は清潔で、かつ適切な治療が施され、野戦陣屋で対処出来ないほどの重傷であれば後方に搬送するシステムが構築されていた。だから癒術師もその限られた魔力を使用する相手を正確に見極める事が出来、効率的な治療を施す事が出来た。負傷しても、見捨てられることはない。その確信が、兵たちの士気を高めていたという事だ。
この両者は、ともにとある領兵隊長の細君の発案で領軍に組み込まれていた。
当初は、無駄に予算を喰う無意味な提案だと思っていた。が、実戦をたった一日戦って。それだけで、ここまで効果が見えたとなると。もう無視する事が出来ない。
かつては娼婦兼密偵兼冒険者、今はもう剣を置きただの女になったはずの、ベルダひとりに。彼らの部下は、一体何人救われたのだろう?
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
第1,037日目。
この戦いも、二日目を迎えた。モビレア迎撃戦のような夜襲は、行っていない。傷病兵の回収と看護、そして布陣の再編に夜を徹した。
もう、スイザル方面軍とアルバニー領軍は、その存在を認知されてしまった為、改めて伏せても意味がない。だから堂々とその姿を晒し、モビレア領軍を中央に置いた、逆三角形の布陣(所謂〝鶴翼の陣〟)を布いた。
対する教国陣は、昨日と同じ三層横列陣。前衛が三万、中衛が三万、後衛が四万だ。
……って、あれ? 昨日の戦闘で、敵兵は約三万の損耗が出たはず。数が合わない。
「――そういう、手で来ますか。あれで善神の使徒を名乗るのですから、厚顔と言うより他はありませんね」
「雄二、それはどういう事だ?」
「中衛の三万。まず間違いなく、識別救急の赤と黄の兵で構成されていますね。つまり、後衛四万を無傷で撤退させる為の、捨て奸と言えば聞こえがいい、肉の壁です」
何て、非道な。
「飯塚くん、どうします?」
「陣を組み直す。鶴翼から、魚鱗(紡錘)だ」
つまり、浸透戦態勢から、徹陣戦(中央突破・背面展開)態勢への変更。
「敵の前衛並びに中衛は、相手にしないで構わない。彼らはむしろ、俺たちが救うべき難民と判断する。後衛のみが、俺たちの敵だ。
武田。〔報道〕の魔法で、戦場全体に声を届ける事が出来るか?」
「はい、可能です」
「なら、頼む。スイザリア側が布陣を整える時間稼ぎの意味もあるからな」
何を言うのか。そう思って聞いていると。
まずスイザリア軍大本営に、アザリア神旗並びにセレーネ姫の旗幟が掲げられ、それに続いて放送が開始された。
「教国市民兵に告げる。
我々、スイザリア王国は、セレーネ姫様からの貴君らの助命嘆願を受け入れ、諸君らの降伏を受諾する。
その意志ありし者は、武器を捨てて指示に従ってほしい。
アザリア教国軍の布陣の意味を、諸君らは理解しているはずだ。
中衛に、戦傷者を配置した。この意味を。
本来、中衛は前衛を補助し、その危機にあってはすぐに援護に向かえるようにそこに布陣する。けれど、戦傷者たちは。どうやって前衛の危機に援護に向かえる? 彼らこそが、誰かの助けを必要としているというのに。
前衛の兵士諸君。君たちが奮闘すれば、それだけ後衛の四万の兵たちが安全に撤退出来るだろう。だが、彼らは君たちを助けはしない。
諸君らを犠牲にして逃げ延びようとする、教国軍首脳部と。
現在敵対している諸君らを救わんと、スイザリア軍に慈悲を乞うたセレーネ姫と。
諸君らの正義はどちらにある? どちらの振る舞いが善神の代弁者に相応しい? 無限の時間がある訳ではないが、よく考えてみてほしい。
後衛の兵を守る為に奮起するというのであれば。我々は、前衛諸君の降伏を条件として、後衛の撤退に際し追撃はしないと約束しよう。
中衛の兵たちに対しては、無条件での速やかな治療と看護を約束しよう。
だから、前衛の兵たち。武器を捨て、我らの指示に従ってほしい」
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「アザリア教国軍、降伏すると思うか?」
放送終了後、オレは飯塚に問うた。
「まぁ、しないだろうな」
「じゃ、今の放送は一体何の為に?」
「ソ連の戦略教義に、『敵の戦力の三分の一は火力によって減じ、次の三分の一は通信によって無力化すれば、残る三分の一は自然崩壊する』とあったと聞く。
間違いなく市民兵は動揺するだろうし、市民兵を指揮する隊長級も、自分たちも一緒に切り捨てられたと知ったら、どう出るかな?」
つまり、取り敢えずは疑心暗鬼に駆られるだけで充分、と。そう言ことか。
そして。オレたちの対教国戦争では。敵味方の犠牲者を最小に抑えることを理想としている。だからもし、この呼びかけに応えてくれる市民兵がいれば。それだけ、オレたちがこの戦争に勝利するのが容易になる、という事だ。
布陣の組み替えが完了し、スイザリア軍全軍は前進を開始した。
但し、ゆっくり歩くスピードで、だ。
否、それどころか。先陣を切るモビレア領軍は、剣を鞘に納めたまま、そしてその最前は、白衣を着て赤十字旗を掲げた、婦人兵たちだった。彼女らは、教国前衛と戦う為ではなく中衛の負傷兵を看護する為に進軍する。
教国軍前衛は、自然と彼女らの為に、道を開けたのだった。
(2,631文字:2019/03/10初稿 2020/01/31投稿予約 2020/03/11 03:00掲載 2022/06/25誤字修正)
【注:『敵の戦力の三分の一は(以下略)』は、〔かわぐちかいじ著『沈黙の艦隊4』講談社漫画文庫〕で語られていた言葉です。不勉強の為、この言葉の原典は見つけられませんでした】
・ ここでは固有名詞として「領兵隊長」を使っていますが、階級としては「部隊長」(中隊長)です。
・ 「食糧」は主食たる穀物の意、「食料」は主食とそれ以外の総称です。
・ この時代の軍隊の食事は、一日一回です。が、ベルダさんは「各栄養素の効率的摂取」を考えた結果、一日三食(朝は行動食つまり糖分の補給を主とした炭水化物と脂肪分の補給、昼は行動食に加えて遺失した水分の補給の為のミネラル類、夕は蛋白質・カルシウムの補給、という具合)、10日間単位の献立(ビタミンやカルシウム等は必ずしも毎日摂取する必要はない)の行軍食を考案しています。一日の食事で必須栄養素の全てを補給することは難しいけれど、毎食摂取した方が良い栄養素、一日一度は摂取した方が良い栄養素、三日に一度で良い栄養素、そして栄養度外視の酒類と甘味類、という感じで。勿論、ベルダさんは「ビタミン」だの「蛋白質」だのという名称は知りませんけれど。
・ 本来「鶴翼」は、包囲前提の陣。ですが今回のスイザリア軍は、散開前提で鶴翼の陣を布きました。
・ 言うまでもありませんが。今話の飯塚翔くんの演説は、「セレーネ姫の名の下に」行われていますが、セレーネ姫の許可を得た訳でもなければ、セレーネ姫の指示で行われてモノでもありません。飯塚翔くんがセレーネ姫の名前を勝手に使っているだけです。
が、この放送を聞いたセレーネ姫自身は。どのように思ったでしょうか?




