第35話 アルバニー戦役(中篇) ~浸透戦~
第06節 聖女から天使へ〔3/6〕
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アルバニー戦役に於ける両軍の動きは、序盤は用兵の基本に忠実だった。
アザリア教国軍は、前衛と中衛で、モビレア領軍を二重包囲することを目論んでいた。
これは、包囲戦に対してモビレア領軍が一点突破戦術で対抗し、それに成功したとしても、中衛の包囲陣の内側であり、前衛と中衛に挟撃される結果になる。数の利を活かした、王道の戦術と謂えるだろう。
対してスイザリア軍は。スイザルからの派遣軍三万と、アルバニー領軍一万を伏せたまま、モビレア領軍一万五千を教国軍前衛左翼に集中させた。これまた王道の機動である。敵の布陣の薄い場所、その機動の統率に欠けている場所を即座に見極め、そこに全戦力を集中して突破する。
「用兵とは、戦力の集中と高速機動で全てが説明される」と謂うが、如何に教国軍がモビレア領軍の10倍近い戦力を持っていると言っても、その前衛の更に左翼だけを論じるのなら、ほんの数千に過ぎない。つまり、この戦局に於いては、数の差が逆転するという事だ。
また、教国軍は徴用された市民兵。対してモビレア領軍は、常備兵、とは言えないものの、歴とした軍事教練を受けている軍兵である。つまり、彼我同数なら、モビレア軍の方が有利なのは、素人でもわかることだ。結果として、モビレア領軍に然したる被害はないまま、教国軍前衛左翼を突破する事が出来た。
戦局が動いたのは、この瞬間だった。
教国軍前衛左翼は、ほとんど抵抗する間もなく撃破された。けど、その戦闘で、確かにモビレア領軍の動きが止まったのだ。
左翼を突破したモビレア領軍は、けれど。教国軍中衛左翼により半包囲されることとなってしまった。更に、前衛中央もモビレア領軍の後背に展開、ほぼ完全に包囲される形になった。
が。教国軍中衛左翼の更に後方から、伏せていたアルバニー領軍一万が出現。教国軍中衛左翼は挟撃される形になってしまった。
この時、教国軍前衛中央の展開がもう少し早ければ、モビレア軍に対する包囲が完成し、これを殲滅した後アルバニー領軍と対する事が出来たかもしれない。
けれど、市民兵の練度の低さが災いした。或いは、モビレア領軍の機動速度が想定を上回っていたのかもしれないが。
そして、このタイミングで。モビレア領軍は、用兵学的にあり得ない行動を採った。陣形を解散したのである。
それは、千人程度の部隊に分かれて、突如バラバラに行動を始めたのだ。
千人程度の部隊。それは、昭和末期の公立中学校の生徒数と同等で、決して少人数ではない。けれど、十二万の兵力から見たら、踏み潰してくださいといわんばかりの小勢になる。しかし、その小部隊故に、大部隊の機動より迅くまた細やかに機動する事が出来たのである。
この、千人程度の小部隊は、あっという間に教国軍の布陣内部に浸透した。
高台から戦場を睥睨する、教国軍司令部から見ると、一万五千のモビレア領軍が消滅したように映っただろう。
また、中衛左翼を撃破したアルバニー領軍もまた、小部隊となって散開した。
更に軍右翼には。既に小部隊となっている、スイザリア正規軍も教国軍内に浸透を開始したのである。
烏合の衆の寄せ集めに過ぎない教国軍と、軍事教練を受けているスイザリア軍。一対一で戦えば、スイザリア側が有利となる。だからこそ、乱戦を選んだ。「戦術を以て戦略上の不利を覆すことは難しい」とはよく言われるが、スイザリア軍はそれどころか、「個人の武勇を以て戦術的勝利に繋げ、以て戦略的不利を覆す」という行動に出た。と、教国軍司令部は判断した。
確かに、乱戦になれば、戦術指揮などは意味を持たない。が、それで前衛・中衛を抜けても、本陣には無傷の後衛四万が控えているのだ。対してスイザリア軍側は、その乱戦でどれだけ損耗する?
しかも、仮にこの戦闘で全滅しても、市民兵ならいくらでも補充が利く。なら、スイザリア軍を削る事が出来れば、それだけで戦略的な優位に立てる。加えてモビレアを攻めている聖堂騎士団が本隊に合流すれば、最早負けることはないだろう。教国軍司令部では、そう考えていたのである。
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では、スイザリア軍戦闘指揮所の様子を見てみよう。
「モビレア08。その繁みの向こうで、教国軍斥候部隊と遭遇します。確実に殲滅してください」
「アルバニー04。敵部隊が後方より迫っています。右に転進をし、林の中に入ってすぐに迎撃展開。数は少ないです。一撃を加えた後に離脱してください」
「スイザル13。隊列が伸びています。行軍速度を緩めて、後続を待ってください」
「スイザル09。作戦行動を中断し、先程の戦闘の負傷者を看護陣屋に搬送してください」
「アルバニー07。もうすぐ敵部隊と遭遇しますが、戦闘せずに左に転進。引き付けてください。その部隊は、スイザル21が始末します。
スイザル21。アルバニー07が前方を通過後、それを追う部隊を撃破してください」
「モビレア01。現在の戦闘を続けながら、戦場を南へ動かす事が出来ますか? 可能ですか、なら敵を引き付けながら、南へ移動してください。そちらでモビレア14が交戦中です。
モビレア14。モビレア01が戦場に現れたら、交戦相手をスイッチ。モビレア14がモビレア01の交戦相手と、モビレア01はモビレア14の交戦相手と戦闘をしてください」
「アルバニー02。逸脱者が出ています。有翼騎士04が誘導を――」
「メイド04よりCIC。待ってください。アルバニー02はそのまま行軍を。逸脱者はモビレア06に合流させます」
「CIC了解。メイド04はアルバニー02の逸脱者をモビレア06に誘導してください」
「アルバニー08。アルバニー02が現着し次第、交戦。防衛戦闘です。被害が生じないように交戦した後、アルバニー02と共に西側に撤退してください」
――スイザリア軍CICでは、乱戦混戦消耗戦の気配なく、総計52の部隊の行動を完全に掌握し、戦術指揮を行っていた。スイザリア軍は、確かに一対一では教国市民兵より精強だった。にもかかわらず、三対一、千対五百と、数の有利を確保し、且つ敵の後方から、両側面から、そして完全な奇襲になる形での戦闘を堅持した。
やがて、日没。
教国軍は、この一日の戦闘で、三万を超える損耗(死者、重傷者、投降者、行方不明者)を出したが、スイザリア軍の損耗は120人ほどに過ぎなかった。
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「ベルダ、水と綺麗な布。それから薬草類もありったけ持って来たよ」
「ミナ、有り難う。識別救急、黒は無し、赤は18人ほど。当座の処置はしてあるから、後方搬送をお願いするわ」
「わかった。そっちの緑の人たち。衛生兵の指示に従って、黄の治療を手伝って」
赤十字の旗の下、衛生兵科の戦闘は、日没から本格的に始まった。戦場で散った兵士は残念だけど、生きてこの旗の下に来れたのなら、決して死なせない。
彼女らは、誰よりも勇敢な戦士となり、傷病兵たちの看護にあたったのであった。
(2,804文字:2019/03/09初稿 2020/01/31投稿予約 2020/03/09 03:00掲載予定)
【注:『識別救急』は、負傷者に識別札をつけて、治療優先順位を定める方法を言います。
黒タグ――死亡、または救命不可能者。
赤タグ――生命に関わる重篤な患者で、最優先に治療する必要がある者。
黄タグ――早期の治療が必要だが、赤には余裕がある者。
緑タグ――致死的な負傷ではない者。
ちなみに〝損耗〟とは、トリアージ〝赤〟以上の負傷者と投降者・行方不明者のことです】
・ モビレア看護陣屋からアルバニーの町まで、街灯の如く〔光球〕が展開しており、負傷者を乗せた馬車が全速力で騎走出来るようになっています。
・ トリアージ・システムは、髙月美奈さんがベルダに伝えましたが、治癒魔法の使い手が少なく、またその魔力に限りがあるという状況下では、ある意味現代地球のトリアージより有効に機能することになります。地球史上でトリアージ・システムを開発したのはフランス革命当時のフランス軍衛生隊ですが、上記の形式に整理した人物のことは、次々話(第37話)後書で解説されます。なおトリアージ・システムには批判もあり、機械的(且つ即断的)に判断しなければならないことから誤断も多くある、と。赤タグ以下の患者を黒タグと認識して結果(事実上の)見殺しをしてしまう、と。この辺りは、「この世に完璧なシステムは存在しない」という事実で切り捨てられる分野ではありますが。




