第32話 背約者に降る涙雨
第05節 現代戦〔6/6〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
二日目の朝。
けれど、教国聖堂騎士団は、動きませんでした。
考えてみれば当たり前のことです。
一睡も出来ずに朝を迎え、そして罠地帯とわかっている場所に、自分から踏み込む莫迦は、何処の世界にもいないでしょう。
戦争としては、ボクらの勝利は既に確定しました。けど、今後のことを考えると、ここで聖堂騎士団は全滅してもらわなければ困ります。一人として、生きて帰られては困るんです。
では、どうしましょうか。下手に手を出せば、聖堂騎士団は〝壊乱〟します。つまり、四散五分して消滅するのです。すると、彼らの一部は本隊に戻って情報を伝えるでしょうけれど、それ以外は、スイザリア国内で野盗団となるのです。正規の戦闘訓練を受け、正規の集団戦術を学んだ野盗団。こんな連中が、国内にいてもらっては困ります。
だから、仕方がありません。彼らの退路を断つことを優先しましょう。
作戦名、〝キャンプファイヤー〟。
塹壕迷路は、大雑把に教国聖堂騎士団が布陣する丘陵を囲む、三日月形になっています。そして、聖堂騎士団が布陣した場所は、その三日月の両端の内側。だからボクらは、平然と彼らの後背に兵を展開して奇襲する事が出来ましたし、また彼らの退路は後ろにしかないのです。
だから。その退路に相当する部分に、有翼騎士たちに火炎瓶を投下してもらいます。更にそこに、冒険者たちに、可燃物を放りこんでもらい、火勢を強めます。
そうなると。聖堂騎士団は、左右に散るか、それとも敵中突破を目論むか、どちらかしか選択肢が無くなるのです。
だけど、こちらもこの状況から、ただ「誘い受け」を続ける理由もありません。
空堀迷路は、そのマップを知らなければ不用意に騎走することは出来ません。けれどこの〝迷路〟には、騎兵突撃用の滑走路が何本か用意されているのです。そして同時に。当然ながら聖堂騎士団が野営をしている場所自体には、空堀がない以上。安心して、突撃出来るのです。
しかも突撃するは、「キャメロン〝騎士王〟国騎士団」。如何に起伏の少ない土地柄とはいえ、その騎乗突撃ひとつで大陸を平定した、猛者たちです。対する聖堂騎士団は、背約者の吹き溜まり。聖堂騎士にとっては、戦争は全て「背水の陣」。敗北はおろか撤退も許されません。戦略的な勝利の為の、戦術的な転進は認められるでしょうけれど、その為には何らかの成果が求められます。例えば、空堀迷路の地図や、モビレア軍の将軍級の首級がいくつか、など。
だから、彼らは。折れかけた心を抱えて、突撃してくるモビレア軍を、迎え討つのです。
◇◆◇ ◆◇◆
騎乗突撃に対抗する戦術で代表的なモノは、槍兵による密集陣。所謂、「ファランクス」です。いくら勢いの付いた騎乗突撃でも、密集した陣形に対しては、三層くらい貫ければしめたもの。けどそこで足が止まったら、あとは身動き出来ないままにタコ殴りです。
徹夜で気力が萎えかけた、聖堂騎士団が。馬を捨てて密集陣形を選択するまでには幾許かの時間があり、その間騎士王国の騎士たちは、字義通り蹂躙する事が出来ました。けど、密集されてしまっては。
一方で、ファランクスは、空堀迷路に対しては相性が悪い陣形です。にもかかわらず、この陣形を採用した。つまり、これは。
撤退戦を前提とした、陣形だという事です。
彼らの後方は、炎の壁。場合によっては、犠牲覚悟で強行突破し、そのまま退却してアルバニーに進軍中の民兵軍に合流する。その為の陣形と言えるでしょう。
なら。ここで、ボクが最近開発した、戦略級殲滅魔法を以て、決着をつけることにしましょう。
◇◆◇ ◆◇◆
物質界の自然法則を無視した、四大精霊論に基づく魔法など、怖くはありません。なら、物質界の法則に則った魔法なら?
敵軍上空に、大量の〔泡〕を顕現させます。
そしてこの〔泡〕を、敵軍陣内に降り注がせます。
〔泡〕は、物理的衝撃にとても弱いです。だから、接触するだけで弾けて消えます。結果、〔泡〕に封じられていたモノが、外界に出現するのです。
出てくるものは。今回は、塩素ガスではありません。ただの、水。
但し、〔倉庫〕内で常温のまま数万分の一に圧縮した、水です。
それが解放されることにより、断熱膨張で急激に周囲の熱を奪います。特に、その水に触れた聖堂騎士の体温を。けれど騎士から奪う熱より断熱膨張により奪われる熱の方が大きいので、騎士を低体温症で凍死させても、それは止まりません。
やがて奪う熱と奪われる熱は一気圧で平衡し、結果低温故に水は凍りますが、けれどボクは魔力波による信号で、その氷を強制的に水に、そして水蒸気に相転移することを命じます。その為に必要な熱は、周囲から奪って。
かつて。フェルマールの〝氷雪の神子〟と謳われた、スノー=ルシル王女(当時)が『毒戦争』で使ったという、〔酷寒地獄〕。その原理は、おそらくこれでしょう。
そして、水の体積が数万倍に膨れ上がり、更に気化することで体積が更に1,700倍に増大する訳ですから、それに押された空気が周囲で断熱圧縮され熱気を生み出します。だから〔気流操作〕で、その風を直上に。ついでに周囲から風を送り込むことで、断熱圧縮は上空でのみ生じ、同時に冷気の伝播も防ぎます。
竜巻の直下にあるような敵陣は、それにより更に気温が低下しますから、あの場所で生存可能な生命は、もはや存在しないでしょう。単純計算で、氷点下数十度C。ドライアイスさえ生成出来る、極低温ですから。
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モビレア郊外の戦い。
空堀迷路を利用した野戦築城により、たった一日で聖堂騎士団を行動不能に追い込んだ。
地上戦では、モビレア軍側は自由に突撃出来るのに対し、聖堂騎士団側は騎兵突撃が出来る場所を見出すことも出来ずに空堀に落ち。
空堀迷路内塹壕戦では、聖堂騎士団側は足元さえ見えない中、文字通り手探りで進まなければならないのに、モビレア軍側は友軍誤射することもなく闇の中の敵を正確に捕捉し。
そして一昼夜間断なく続けられたその攻撃に、聖堂騎士団は一方的に損耗していった。
そして、止めを刺したのは。ア=エト一行の、ユウ。
彼の、フェルマールの〝氷雪の神子〟の再来と謂うに相応しい、伝説級の戦略魔法〔酷寒地獄〕、そして神話級魔法〔竜巻〕だった。
当初、モビレア領軍は72時間での短期決戦を予定していたという。
けれど実際は、その半分以下の、33時間ほどで決着した。
この戦いに参戦した、聖堂騎士六千名は、全員絶命したという。
なお、この戦闘の現場となった「モビレア野戦陣」。現在に於ける通称を「ユウの迷宮」といい、その後モビレア冒険者ギルドが迷宮攻略の練習場として使用している。
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(2,701文字:2019/03/06初稿 2020/01/31投稿予約 2020/03/03 03:00掲載予定)
【注:本来「騎士王国」とは、騎士爵領が本国消滅後も自治領として残った場合などの呼称であり、「脳筋猪武者の国」という意味ではありません。そしてトップが爵位の最下位である「騎士爵」だから、無理やり〝Knightlord〟という形で「これが最上位!」と言い放ったものです。結果、「騎士王」が「公爵」以下の爵位の上に立つのです】
・ この日、教国聖堂騎士団が行った密集陣形。彼らは、長槍の代わりに騎兵槍を使いました。パイクは長さ5m程度、ランスは3m程度ですが、歩兵の持つ槍(1.8m程度)より長いことには変わりありませんので。ただ、ランスの方がパイクより重いので、取り回しには苦労するでしょう。
・ 今回武田雄二くんが使った魔法は、正しくは〔酷寒地獄〕ではありません。魔王陛下が真龍との決戦に於いて使用した〔摩訶鉢特摩〕(「摩訶鉢特摩」は八寒地獄の第八層の名称)の劣化版、というべき魔法です。名付けるのなら、〔鉢特摩〕。ちなみに「鉢特摩」(八寒地獄の第七層の名称)は蓮華の花の意で、凍傷で裂けた皮膚から覗く肉や噴き出す血潮が、赤い蓮華の花に見えるというブラックジョークから。なお「摩訶」は「偉大な」という意味です。
魔王陛下は、〔摩訶鉢特摩〕をスノー=ルシル妃殿下並びにサリア妃殿下と三人がかりで発動させましたけど、雄二くんは(〔倉庫〕を活用したとはいえ)〔鉢特摩〕を一人で発動させています。ちなみにエンデバー号の砲撃は、この〔鉢特摩〕とほぼ全く同じ物理現象です(強制気化等の追加効果は砲撃には無い代わりに、高圧縮液体窒素を使っています)。なお「竜巻」は上昇気流を誘導することで発生したのであり、〔竜巻〕という魔法を使った訳ではありません。
・ 毒戦争当時、ルシル王女は「スノー」という名を持っておりませんでした。二つ目のファーストネームは、その後生まれます。なお、「コキュートス(笑)」と言ってはいけません。そこのお芋さん、わかりましたね?




