第29話 野戦築城
第05節 現代戦〔3/6〕
◇◆◇ 宏 ◆◇◆
第1,018日目。有翼騎士たちからの報告。
教国聖堂騎士団は、本隊から離れて進路を西に向けた、とのこと。
近隣の町村を襲撃し、最終目的地はおそらくモビレア。あと五日ほどで到着予定、と。
正規の組織戦を学び、高度な連携が取れる、野盗団。例に漏れず、やっかいだ。
だが、迎撃側となるオレたちにとって、戦場を設定する自由がある分有利ともいえる。
飯塚と武田が設定した戦場は、モビレアの南東に広がる平原。
迫り来るは、教国聖堂騎士団、六千。
迎えるは、騎士王国騎士団、二千と、モビレア冒険者、四百。そしてドレイク王国有翼騎士団17騎(ソニア含む)。
通常に戦えば、勝負にならない。いくら騎士王国の騎士団が来てくれたからといっても、二倍以上の戦力差だ。そして、平原ということは、騎士がその戦力を十全に発揮出来る戦場だという訳だから、数の差がそのまま戦力の差になってしまう。『チャークラ夏祭り』のように、籠城戦の方がまだ勝ち目があるだろう。
「だから、この平原そのものを、ボクらにとって有利な〝城〟に作り直すんです」
と、武田。どういう事かと尋ねたら。
「野戦築城。空堀とか、鉄条網とか、馬防柵とかを使って、敵騎兵が真直ぐこっちに近付けないようにするんです。
鉄条網は無いので、馬防柵と空堀がメインですけど。そして、空堀は塹壕、というよりも立体迷路とする事が出来るように、深く掘ります」
「どういう事だ?」
「通常空堀は、飛び越えるか橋を架けるかしなければ通れないようにするのが目的です。或いは、馬が全速で走ると足を取られるようにする、という目的の空堀もあるでしょう。
が、空堀の中に人が一人すっぽり入れるくらいの大きさに掘ってしまえば。
ボクらが、その空堀の中を通って敵陣に奇襲することも出来るんです」
「だが、それなら敵だって空堀を使って攻めて来るんじゃねぇか?」
「だからこそ、空堀は〝迷路〟になるように縦横に掘ります。
また、髙月さんの〔泡〕で、敵の接近を把握出来ます。
更に、敵が左右に逃げられない、前後は味方で詰まっている状態だと考えると、弩の格好の標的です。
止めに、味方陣地から敵陣地に向けて傾斜をつけて空堀を掘ることで、〔倉庫〕の貯水槽とソニアの〔アイテムボックス〕を逆に接続し、水攻めさえ出来るようになるでしょう」
「うわっ、えげつな」
「空堀の幅は、80cm。深さは200cmです。これにより、地上と空堀、三次元迷路を作る事が出来るんです。更に、空堀の数ヶ所に敢えて橋を架けておきます。但し、一見すると橋ではなく、空堀が途切れただけのように見えるように。それを日が暮れたら別の場所に移すんです」
「一日ごとにマップが変わる迷路。極悪だな」
すると、武田の計略を聞いていた飯塚が。
「それ、まんま石兵八陣だな」
と。石兵八陣?
「石兵八陣は、『演義』のフィクションです。けど、日本の戦国時代でも、山城は空堀をそのように利用していました。真田家はこれを巧みに利用して防衛戦を展開しましたし、東京都八王子市の滝山城址は、現在でもその築城意図が明瞭に理解出来る遺構が残っていますよ」
つまり、どっちかって言うと日本の防衛戦術、ってことか。
「まぁ日本に限りませんけれどね。けど、山国である日本は、空堀を利用した敵軍の誘導は基本戦術だったのでしょうね。
誰だって、空堀に落ちた時、そこからよじ登るより堀の底を歩くことを選択したくなるものですから」
ちなみに、この位置での迎撃戦は。開戦不可避となった時から想定していたのだという。しかも、「空堀に誘導して始末する」のは、対中鬼戦の基本戦術として、此度の戦争に従軍する予定の全部隊に『円匙戦闘術』と共に訓練していた。その、空堀(塹壕)戦の練習の場所として使われていたのも、ここだったという訳だ。
『円匙戦闘術』を訓練したモビレア領兵は、全員アルバニーに向かっており、モビレアには残っていないが、彼らの使った円匙はある。しかも、武田は当初からここでの戦闘を想定していたから、その練習で掘られた塹壕を少々延長する(或いは今回の戦闘では無意味になった為閉鎖する)だけで、野戦築城が完了するという状況でもあった。
「空堀を、塹壕として。つまり攻撃に利用する際は、武器は弩です。塹壕は、飛び道具前提ですので、だからこそ西洋では近代まで戦術に組み入れられなかったのですから。
一方空堀を防御施設として、敵を誘導する為に利用する際は、地上から堀に向ける武器は投石或いは槍になります。堀の中での戦闘は、冒険者たちの真骨頂でしょうね」
幅80cmの堀は、位置がわかれば飛び越えることは容易。だけど実戦の最中に、自分なりのタイミングを計る余裕もなくジャンプすることを求められて、無事跳躍出来る騎士は、果たしてどれだけいるだろう? なら、わざわざ飛び越えなくても、空堀が途切れたところを騎走した方が良い。だが、空堀が途切れたと見せかけた橋が、実は落とし穴として機能したり、その途切れた場所には別の罠が仕掛けられていたり。
そうでなくても、寄せ手の進軍地点が限られるのなら、防衛戦はこの上なく有利になる。
また、それ以前に。空堀は全て、藁を被せて擬装する。これは、気付かれても構わない。というか、夜間や遠方からの偵察ではそれが空堀だと気付かれなければそれで良い。勿論、空堀のない場所にも藁を敷き、そっちも擬装するのだが。つまり、空堀の存在を見破られてからが本番、という事だ。
だけど。
「だけど、武田。もし聖堂騎士団が、空堀迷路を迂回してモビレアを攻めたらどうするんだ?」
「時間を置けば、そうなるでしょう。時間に余裕があれば、モビレアを完全に囲むように空堀を掘りたかったのですから。だから。
今回のモビレア防衛戦は、72時間で決着をつけます。昼夜の別なく攻撃し、撤退も許さず殲滅します。モビレアを守る全軍兵には、この72時間死力を尽くして戦うように指示してください。その一方で、戦闘開始前48時間は、一切の作業を中断して休息させます。
対して、聖堂騎士たちには。ゆっくり寝る暇などは与えません」
馬防柵や土塁は、モビレア市内やウィルマーで作り、〔倉庫〕を経由して指定の場所に配置する。
大本営の〝機動要塞〟と攻城櫓改め監視櫓は、今回は転移させずに鎮座させる。72時間不眠不休で攻め続けるといっても、一定の小休止や補給は必要になる。兵はドレイク製の携行食と水筒の水で食事を済ませることは出来ても、馬はそうはいかない。秣を一定間隔で与えなければならないし(空堀を隠す藁も秣代わりになるが)、一定間隔で休憩させる必要もある。
そして、温かいスープ(シチューなどの重い料理はこういう強行軍には逆効果)やちょっとした甘味などがあった方が、戦士たちの癒しになる。
そして何より、本来的な意味での「大本営」が、今度の戦闘では求められていたんだ。
(2,786文字:2019/02/24初稿 2020/01/01投稿予約 2020/02/26 03:00掲載予定)
【注:「石兵八陣」は、三国志演義に出てくる架空の防御陣です。積んである石の配置を変えることで、雨風を降らせたり濁流に押し流したり。ですが〝風景〟の変わらない密林の中で、道標となる石積を動かして迷わせる、という防御陣は、実在していた模様(とはいえ漢民族より越民族が使っていた、という話も)】
・ 空堀の深さは、120cm ~200cm(塹壕として攻撃に転用することが想定されている箇所は浅くあることが求められるから)。それを事前に知らない敵兵士が空堀の底を走ったら、いきなり生じる段差に足を取られることでしょう。それ自体も、結構凶悪なトラップかも。そしてモビレア冒険者たちは、塹壕戦メインで戦います。ちなみに、地球史で毒ガスが禁止されたのは、塹壕に塩素ガスを流し込んだからです。
・ 野戦築城は、やり過ぎると「難攻不落」と敵に評価され、攻略されることなく迂回されるとも言います。長篠の戦いで織田軍が武田軍に勝利出来たのは、鉄砲三段撃ちが功を奏したからではなく、馬防柵をはじめとする野戦築城が有効に機能したにもかかわらず、武田側は決戦を回避するという選択肢が無かった(後方の城が既に落ち、前進するしか道が無かった)からだ、という説もあるんです。だからこそ、空堀を隠蔽するのはある意味必須。なお、日本史上最大最高最後の野戦築城は、硫黄島要塞です。
・ 色々調べてみたのですが、西洋では〝塹壕戦〟は銃器小銃が実戦投入される近代まで行われず、「空堀」は「水濠」のような、堀の外と内を隔てる為にしか使われていなかったようです(底に槍を立てるなどはしていたようですが)。空堀を使って攻撃側の進軍経路を誘導して嵌め殺す、などという残酷な真似は、日本でしか行われていなかった模様。
・ 金沢城などは。城壁に沿って歩いていたと思ったら、いつの間にか空堀の底を歩いていた、なんていう構造の場所もあります。




