第14話 敬礼
第02節 北と東の戦場で(前篇)〔5/5〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
今日、あたしは。
この弓で、人を殺した。
相手は、警邏兵。まだこちらに気付いていなかった。
けど、気付かれてからでは遅い。飯塚の弩の命中率はそれほど高くない。そして雄二の〔クローリン・バブル〕を対単体殺害用で使う為には、距離を詰めなければならない。それだけ、雄二のみが危険に曝される。
この距離で、最速且つ確実に殺害する手段は、あたしの弓しかなかったのは事実。だけど、あたしは。雄二や飯塚に確認する事さえせず、無言でそれを行った。
それをした後。雄二は、愍ましいモノを見るような視線をあたしに投げた。
飯塚や柏木は、ただ単に感謝の気持ちをその視線に込めた。
あたしは、人を殺したくない。それは、本音だ。けど。
あの、『アザリア平原の戦い』で、あたしが射貫いた馬に乗っていた騎士は、雄二の〔クローリン・バブル〕に頭から突っ込み、急性塩素ガス中毒で絶命した。
騎士の死因は急性塩素ガス中毒による呼吸器不全で、その塩素ガスを作ったのは雄二だから、あたしに罪はない。
そんな莫迦なことは、あり得ない。あたしは、その結果を知っていながら、それを躊躇わなかった。なら。
それは、『リュースデイル解放戦』の時と同じだ。あたしは、数えきれないほどの喰屍鬼を殺した。グールは、ヒトか魔物か。どちらにしても、〝敵〟であることには違いない。そう、あたしは、〝敵〟を殺した。
なら、今更「あれは人間じゃなかったから許される」なんて免罪符を掲げるつもりはない。同じく、「あたしはアザリア平原で、直接射殺した訳じゃないから、聖堂騎士の死に責任がない」なんて逃げるつもりもない。
あたしは、既に人殺しだ。今日初めて、この手を穢した訳じゃない。
それを行ったのは、あたしにとっての〝殺してでも失いたくないモノ〟〝戦って奪ってでも手に入れたいモノ〟が、見つかったからだ。それは、雄二をはじめとする仲間たち。そして、彼らと共に歩む、未来。
それが見えたから、あたしには偽善も邪悪も必要ない。そんな評価は、第三者に任せておけばいい。あたしはただ、その〝目的〟の為に、最善と思える手段を選ぶ。その手段が仮令、人殺しであっても。
◇◆◇ ◆◇◆
突入した兵士たちは、各所に火を放ちながら撤退する。けれど、出口は基本ひとつだ。
裏口や隠し通路もあるのだろうけれど、それを彼らが知るには時間が無さ過ぎる。
だから、その出口である、正面正門に、敵兵は密集した。
早朝、まだ日が昇る前。だから、碌に鎧も着込めていない。
それをいいことに、彼らの後背に〔機動要塞〕を展開し、小型弩砲を散弾モードで、狙いも付けず、当たれば幸運とばかりに乱射した。
公都守備兵にとっては想定しない、市内且つ彼らの背後に出現した、攻撃型要塞からの、攻撃。さすがに恐慌になった。
その隙に、リングダッドの兵士たちに突破の指示を出す。ドレッドノートは高床式で、一階部分は柱しかない。だからそのままスルーして、市街へと逃がす。
公都守備兵とリングダッド兵の間にドレッドノートが位置する、その位置関係になって、雄二は一階部分に〔クローリン・バブル〕を放流。すぐにまた公園に〔転移〕。
そこに刺された『マーカーダガー』を回収し、あたしらも城壁の穴から外に逃げる。
そして駄目押しとばかりに雄二が城壁の穴の部分に〔クローリン・バブル〕をありったけ。
そしてあたしらは、多少の負傷者は有れど、死者も致命的な重傷者もなく、公都を離脱出来た。
「まだだ! 敵はすぐにも追撃隊を組織する。
その連中を振り切り、公王と先代公王を陛下の下に連れ出し、そして敵侵攻軍の代表者を外交のテーブルに引き摺り出して、初めてこの戦争が完結するんだ。
だから、今はただ、力の限り騎走しろ!」
飯塚の発破を受けて、全員全速。それから三時間騎走を続け、ようやく小休止の指示が出た。
◇◆◇ ◆◇◆
「皆、ご苦労だった。ようやく作戦の第一段階が終了した。
この先、リングダッドに帰還してからが、この戦争の本番だ。
けど、申し訳ない。実は、ローズヴェルト軍が、ゲマインテイル渓谷から侵攻を開始した。俺たちと、国王陛下はこちらの対処に専念せざるを得ない。
よって、諸君らと俺たちは、今後別行動を採ることになる。
諸君らは、このまま西に向かってほしい。野営地点で合流する。
俺たちは、先に陛下の下に帰参し、対ローズヴェルト戦争の指揮を執る。
短い間だったが、諸君らと共に行動が出来て、光栄だった。感謝する」
「そんな、何をおっしゃいますか。英雄〝ア=エト〟。貴方の爪牙となって、カノゥスを攻めた今日のことは、一生忘れません。
全隊、整列!
司令官閣下、ア=エト将軍に、敬礼!」
別動隊の代表者が号令すると、残りの兵たちは即座に整列し、見事な敬礼を飯塚に、そしてあたしたちに向けた。飯塚も、それに返礼を。
〝敬礼〟。軍隊の作法だ。指を揃えて、こめかみに当てる。海軍や空軍は、肘を横に出さずにコンパクトに折り畳むが、この〝指を揃える〟という仕草が、日除けの意味があることは、既に廃れている。
敬礼を受けた指揮官は、答礼しながら体ごと全隊を睥睨する。その際、兵士一人ひとりの表情を確かに見据える為に、「指を揃えて手をこめかみに当てる」のだから。太陽を背にすると、指揮官にとって日の出は右。だから、右手を挙げるのだ。
飯塚は、そしてあたしたちは。
此度の戦闘を共にした、百人の勇士たちの顔を、深くその記憶に刻み込んだ。
◇◆◇ ◆◇◆
馬は彼らに貸し与えたまま、あたしたちは〔転移〕でリングダッド王の下へ。
既に陛下には、リングダッドが渓谷北集落から進発した旨、告げてあった。そして陛下も、既にバロー男爵に使者を出していたのだという。
曰く、「ローズヴェルトが侵略を開始した。リングダッド軍は現在、カナリア公国軍の迎撃の為全軍出陣している。よって、バロー男爵領軍の力でローズヴェルトの進行を食い止めよ。押し返す必要はない。親征軍がカナリアを降して戻ってくるまでの間、時間を稼げればそれで良い。それが出来たなら、此度の戦争の武勲第一等は、其方のものとなろう」、と。
今上公王と先代公王を陛下の前にお連れし、事実上の首実検をした上で、そのまま王都チャークラへ連行し、王太子殿下に引き渡して〝丁重にご滞在〟願うことになる。
そして、カナリア軍にも使者を出す。両陛下が王都にご滞在為されていることは、知らせるのが筋だから。勿論、お二人にお帰り願う為には、カナリア軍の撤退が前提条件になるけれど。
上手くいけば、最短の時間でカナリアと講和を結ぶことが、出来るかもしれない。
(2,664文字:2019/02/04初稿 2019/11/30投稿予約 2020/01/27 03:00掲載 2020/02/22公都の名称を間違えていたので修正)
・ 彼らは休憩時、隙を見て「レオパルド・ヒル」に〔転移〕し、ローズヴェルト軍の動向を監視していました。
・ 敬礼(「挙手の礼」)の作法は、「非武装であることを示す」という意味もあります。それに対する答礼は、「兵たち一人ひとりと向き合う」という意味があるので、体ごと(身体全体を視線の方向に向けて)全隊を睥睨することになります。だから議員や大臣などが答礼するときにするような、首だけ左右に振るのは、物凄い失礼なことなんです。
・ ちなみに、リングダッドが考える、解放の順番は公王が先で先代が後です。公王を後にすると、公王救出という大義の下、戦争が継続するおそれがあるから。逆に先代を後にすることで、戦争が継続する=先代を見捨てた、と国際的に非難される可能性があり、且つ国家の現当主が国に戻ることで、国家が理性的に情勢を判断出来るようになる、という思惑からです。




