第10話 進軍開始
第02節 北と東の戦場で(前篇)〔1/5〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
さて。今日俺たちが〔転移〕したのは。〔倉庫〕でソニアを挟んだ三角関係を調停する為じゃない。歴とした仕事だ。「レオパルド・ヒル」での、定点観測。
だけどそのついでに、仔魔豹の生まれ故郷をドリーに見せ、更についでにこの『ゲマインテイル地方』という土地の特殊性を学ばせる、というのが目的だった。
「そうですか、ここで、ギンたちが生まれたのですね」
「仔魔豹たちの母魔豹は興奮していたし、俺たちとしてもこの場所を確保する必要があった。だから戦闘になり、殺した。
だけど、チビたちはそんな事情に関係ない。俺たちが母親を殺したというのなら、余計チビたちを守ってやりたかった。それが出来るのなら、だけどね。出来もしないことをしたいと言って割く余力は、俺たちには無かったし。
その意味でも、俺たちは武田に感謝しているんだ」
俺たちは、〝森〟にチビどもを放つことを考えていた。けれど、チビたちが〝森〟で、誰の保護もなく生き延びることは、まず無理。要するに、俺たちにとって罪悪感を覚えずに済む形で、チビどもを処分することを考えていたってことだ。
武田がやったことは、だから余計なリソースを費やさず(それどころか戦争で使える手札を増やし)、それでいながら俺たちの偽善心を満足させる選択肢だった、という事だ。
だからこそ、殺さずに済むうえに、誰憚ることなく可愛がることが出来るこの状況で、俺たちは殊更チビたちを可愛がることにしている、という訳。
その辺りのことは、ドリーも理解しているだろう。仔魔豹は可愛いし、成獣になった魔豹は綺麗だ。が、実際に向き合ったら、普通は殺し合う関係でしかないのだから。
「ねえ、ドリー。これ、あげるね」
と、美奈が、何かをドリーに差し出した。幅60cm、長さ1mくらいの、楕円形に近い、毛皮の、ラグ?
「仔魔豹たちの母魔豹の、お腹の毛皮で作ったの。ドリーと、ギンちゃんで、使って?」
「でも、それなら他の三匹が――」
「あれ? 美奈たちがドリーの寮に遊びに行くときは、当然そのラグ借りるよ? それとも、その時も使わせてもらえないのかな?」
ぶんぶん。ドリーの頭がポロリと取れてしまうんじゃないか、っていうくらいの勢いで、首を横に。
「なら、いいじゃない。三匹は姉弟がいるけど、ギンちゃんはこれから姉弟と離れて暮らすんだから。お母さんの温もりを独占する権利くらい、あると思うよ? それに、うちの仔たちはボレアスくんとも仲良くなれたみたいだし」
「わかりました。有り難く頂戴します」
◇◆◇ ◆◇◆
さて。チビどもは自由に遊ばせて、ついでにエリスも駆け回り、保父さん代わりにボレアスを付けて。
俺たちがすべきことは、何はさておき雪搔きだ。
そして、雪搔きに必要なものは、体力ではなく人手。実は、ドリーもその戦力として期待していたりする。
「これ、凄く大変ですね」
「そうだね。雪って意外に重いから」
余裕があれば、雪合戦だのカマクラ作りだの、雪だるまだので遊ぶけど、残念ながらここは最前線で、且つこの雪は戦略兵器。無駄には出来ないので、そのまま大八車に乗せて、〔倉庫〕に仕舞う。この雪を仕舞ってある部屋は、武田のマーカーが設置されており、〔倉庫〕の開扉とは無関係に〔取り寄せ〕出来る。
この、〝〔倉庫〕の開扉とは無関係に〟。これは、意外に重要だ。雪は水と違って抱えあげることは出来るけど、それでも氷と違って「その場にあるもの全て」を出し入れすることは出来ない。
けど、武田の〔取り寄せ〕なら、「その部屋の中の雪全て」を、しかも自分たちがいる場所からある程度離れた場所に取り出す事が出来るのだ。例えば、渓谷の、敵軍の頭上、とか。
そして、雪搔きに疲れたら、「レオパルド・ヒル」の奥にある洞窟で焚火をして、野戦料理。いくら冒険者登録をしたとはいえ、ドリーはこんな生活をしたことがないし、許可も出ないだろう。だからこそ、こういう一時を、楽しんだ。
と。
「飯塚くん、雲が切れました」
武田からの報告。この季節の雪雲は、「レオパルド・ヒル」の標高より低い。だからこそ、ここで火を焚き煙を出しても、地上からは確認出来ない。
だけど雲が切れたのなら。万一を警戒して、火を消す必要がある。
火を消して、代わりに攻城櫓を出して、そこに昇り。
三軸スタンドにスマホをカメラモードでセットし、北側に向ける。と。
「ドリー、ちょっと見てごらん?」
スマホの画面を指差し、ドリーに見せる。
「え? これ、軍隊ですか?」
「そう、ローズヴェルト軍。やっぱり、ここから来たね」
目算で、おおよそ二万。でも実は、事前の予想通りだった。
俺たちの戦略機動速度は、『ロージス一夜戦争』で披露している。けれど、俺たちが大陸の端から端まで、一瞬で〔転移〕出来ることまでは、知られていないだろう。
なら、ロージス軍が採り得る戦略は、二つ。
ひとつは、俺たちがロージス領から戻る前に、二重王国への進軍を開始する。ただその為には、自軍の迅速な編成と行軍が求められ、さすがにそれには無理がある。
なら、もうひとつ。俺たちは寡兵。なら、多少の小賢しい戦術では対処し切れないほどの大軍を以て、圧し潰す。そういう事だ。
「大変です。早く知らせないと」
「焦る必要はない。ローズヴェルト軍が北ゲマインテイルを掌握するまで、あと一週間くらいある」
「それは、どういう事なんですか?」
これは、俺と武田で話し合い、妥当だと思えるローズヴェルト軍の戦略だった。けど、他の連中もその話は知らない。だから、〔倉庫〕を開扉し、そこで改めてその話をした。
「まず、ローズヴェルト軍――長いな。〝薔薇畑〟だから、〝薔薇軍〟と呼ぼう――、薔薇軍の戦略思想は、多少の戦術では覆しようのない戦力を以て、俺たちを圧殺する事だ。
そして、これは戦略思想としては正しい。
ゲマインテイル渓谷は、隘路だ。なら、普通は横撃を警戒する。
けど、両側は峻嶮過ぎて、伏兵を配置する余地がない。なら、廻り込むことも不可能。結果、渓谷内で戦闘が起こるのなら、正面戦闘でしかない。なら、どれだけ精強でも、数の圧力には勝てないだろう。
そして、その戦闘を支える為に、まず渓谷北部集落を制圧する。
次いで、戦列を揃えて渓谷を抜け、南部集落を抑える。
のちに、南北両集落を集積拠点として、そこから二重王国へ侵略する」
これを阻止しようとするのなら、渓谷を岩や雪で封鎖するしかない。けれどそれでは時間稼ぎにしかならず、また別方面からの侵攻の可能性が増える。ましてやアザリア教国の進軍を誘発する為の遅滞戦闘は出来ない、という事だ。
だから、はじめから迎撃戦の舞台は、リングダッド王国バロー男爵領と決めてある。
その為にも。薔薇軍の本隊を南部に引き入れなければならないんだ。
(2,729文字:2019/02/03初稿 2019/11/30投稿予約 2020/01/19 03:00掲載予定)
・ 実際、渓谷内で側面攻撃が可能な場所は何箇所かあります。が、その情報は薔薇軍も把握しているので、そこに伏兵を配置しても油断はないでしょう。
なお、「鹿も四つ足、馬も四つ足」と放言する莫迦は両軍ともにいなかった模様。




