第03話 アドリーヌのつうしんぼ・中篇 ~興味を持って~
第01節 公女殿下の里帰り〔3/9〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
ドリーの成績表を見てみると、理科の成績が良い。これは失礼ながらちょっと意外だ。
ドレイク王国の子供たちなら、この国の科学的思考法に慣れているだろう。
けれど、つい半年前まで中世封建社会の、魔法全盛の地域で暮らしていたドリーにとっては、ひとつひとつが初めての体験だったはず。
「でも、凄いんです。
例えば、お水は一定の温度になると沸騰して蒸発しますよね?
でも、容器を密閉して圧力をかけると、普通なら沸騰する温度になっても沸騰しないんです」
「普通なら沸騰する温度になっても、ですか? それは一体……」
侍女さんたち、困惑。
「成程。加圧による沸点の上昇ですか。面白い実験をなさったんですね」
「はい。吃驚しました」
武田が、解説。それを聞いて、美奈も。
「それは、料理にも使えるんだよ? 沸騰して蒸発すると、水が水蒸気になるでしょう? そうすると体積は約1,700倍に膨れ上がるの。その水蒸気を逃がさないような容器を使うと、容器内の圧力が高まるから、普通なら沸騰する温度になっても沸騰出来なくなって、より高温で煮物とかが出来るの。
一晩煮込むのと同じくらい味が浸み込んだシチューが、ほんの30分くらいで出来るようになるんだよ?」
圧力鍋の原理。原理自体は簡単だけど、問題は鍋(正確には圧力を逃がさないように密閉する蓋)が、民間で入手出来る値段で作れるか。おそらくは、この国ではそういった「コストダウン」の段階まで、研究が進んでいるはずだ。
「他にも。魔法では、火属性は加熱で、水属性は冷却ですよね?
けれど、水を掛けたら熱くなるものもあるんです」
「水を掛けたら熱く、って、逆じゃないんですか?」
「生石灰の発熱反応ですね。ボルドの駅では、それを利用したお弁当も売っています」
魔法の常識を、科学で否定する。面白いアプローチだな。
「でももっと凄いのは。ある研究施設を見学させてもらったんですけど、その研究施設では、空気中に雷を撃ち出して、液体を作るんです」
「……それは一体何なのですか? 空気中から、液体?」
「ショウくん、武田くん。それは一体どういう反応なの? 美奈はそれ、知らないよ?」
侍女さんたちだけではなく、美奈も知らないことのようだ。
だけど。
「武田は、知っているか?」
「空気から、パンと爆弾を作るって話はありますよね。けどあれは圧力をかけるはずですから――」
「何だ、大体わかっているじゃんか。そうだ、空気中から硝酸(HNO₃)を精製する方法の一つだ。武田の言ったのは、『ハーバー=ボッシュ法』、そしてドリーが見たのは『ビルケランド=アイデ法』。『高電圧放電法』ともいう。
反応効率とそれに要するエネルギー量では、『ハーバー=ボッシュ法』の方が数段優れているから今では廃れた方法だけど、……そうか、魔法を使えば電気はほぼ無尽蔵に作れる。つまり――」
「飯塚くん。そこから先はさすがに、スイザリア人の前で言うべきことじゃありません。ボクらの口から教えることじゃありません。
それは、歴とした外交事案です」
昔から、火薬製造に必要不可欠な物質、硝酸。そしてそれは、農業肥料にも使われる。
けれど、それを採掘又は自然精製しようとすると。自然精製には時間がかかり、そのうえ採取量が限られるという問題があった。それを化学精製出来るなら。
それがドレイクの耕作効率の秘密であり、火薬兵器開発の秘密であるのなら。
それは確かに、軽々に他国に漏らしていいことじゃない。だけど、そうであれば。
「では、私は見てはいけないものを見たんでしょうか?」
そういう事になる。でも。
「それも、〝階梯〟の一つなんでしょうね。
見て、『凄い』で終わるのならそこまで。
だけど、興味を持って、自らも研究して実験して、そして理解するのなら。
それは世界レベルでの、技術革新に繋がりますから」
「教える」のは、ルール違反。それは、チート。
だけど、それに憧れ、望み、そして努力して再現する。それは、この〝国〟そのものが求めていること。
「もし、ドリーが興味を持ったというのであれば、それを学ぶと良いでしょう。
もしかしたら、それは有翼獅子の調教法より、よっぽど有益なものかもしれませんから」
「はい。わかりました。今はだから、色々なものを見て、色々考えたいと思います。
この留学が決まった時、アドルフ陛下にも言われたんです。
『ただ連れて来られ、与えられた環境で漫然と過ごすことしか出来ない凡百の娘っ子なら、その身分以外に価値はない。字義通りの、人質だ。
だが、俺の国でなにかひとつでも盗んで行こうという気概があれば』
って。それは、そういう意味だったんですね」
笑えないくらいスパルタだけど、俺たち自身も、そうだったはずだ。
この世界に召喚され、ただ泣き叫ぶことしか出来なければ、騎士王の思惑通りアドルフ陛下に殺されて、それで終わったはず。だけど、この世界で色々なことを学んで、今ここにいる。
「そう言えば、理科は宿題も出ているんです」
「それは?」
「はい、科学で実現出来ないけど、魔法でなら出来ることを探してきなさい、って」
科学では出来なくても、魔法でなら出来ること、か。
「教えてあげるのは簡単だけど、これはドリーが自分で探した方がいいな」
「そうなのですか? 先生は、人に聞いても構わない、って言っていましたけど」
「この宿題は、正しい答えを出すことに意味はない。何故なら、『科学では出来ない』という内容自体、『知らないから出来ないと思う』ことや『現在の知識技術では出来ない』こともあるだろうから。そして、先生自身、おそらく知識は足りていないはずだから、〝先生にとっての〟『模範解答』が、必ずしも真理とは限らないんだ。
だから、色々と考えること。それ自体に意味があり、それ自体がこの宿題の答えだよ」
この宿題の目的は、魔法と科学の違いを、生徒自身に理解してほしい、ってことだろう。多分、その模範解答は、「魔法で出来ることは、労力や道具を使う事で、全て科学で実現出来る」というモノのはず。
と、武田が。
「これを宿題の答えとして提出しない、って約束してくれるのであれば。
その問いの答えを一つ、教えてあげられますよ?」
「うぅっ、その誘惑には逆らえません。是非教えてください」
「〔収納魔法〕です。これは、四大属性のどれにも当て嵌まらず、それどころか三次元空間物理学では説明出来ません。
ほぼ間違いないのは、この魔法を成立させる為に必要なのは、科学でも知識でもなく、この世界にいる〝ある存在〟です。
まぁ、それを言い出したら、『科学で出来ることを、科学に拠らず実現出来る』ということ自体が、『魔法でなければ出来ないこと』になりますけどね」
「何か、わかってきました。この宿題の、意味。
兄様がたの方が、科学の知識も魔法の知識も深過ぎて、先生の出した宿題が求めるレベルを超越してしまっているんですね。だから、その〝答〟は正解かもしれないけれど、宿題の内容としては、意味がない、という事ですね」
まぁそれは、さすがに武田だけだが。
だけど、俺たちも知らなかった。武田の魔法知識が、既にこの世界の最先端にまで手が届いていた、なんて。
(2,892文字:2019/01/30初稿 2019/11/30投稿予約 2020/01/05 03:00掲載予定)
【注:最近、東工大で、低温(300℃程度)常圧でアンモニア合成が出来る触媒が開発されたというニュース(https://www.jst.go.jp/seika/bt2018-07.html)がありました。反応効率がハーバー=ボッシュ法の倍以上(活性化に要するエネルギーが半分以下)という、画期的な技術である模様。この分野は、まだ日進月歩。更に進化するのでしょう】
・ ドレイク王国の教育制度では、高等学校(日本の学制の中高一貫に相当)の最初に、まず色々なものを見せ、体験させます。そしてそれからひとつずつ理論に入るのです。
その為数学は、秋冬学期(前期)では簡単な四則演算程度のこと(初等学校の復習と発展程度)しか行いません。
・ ドリーたちが見学した、「雷電の錬金術師」の研究施設。学校側は、見せたもののその解説をしていません。これは相手が外国貴族の令嬢だからではなく、誰に対しても、です。だから大抵の生徒は、「ふ~ん、凄いね」で終わっています。「あの液体、何かに使えるのかな?」と感じた生徒がいたら、立派なもの。実は先生も、よくわかっていなかったりして。
・ 宿題の、〝答〟を求めるのは普通の学生。けど〝出題意図〟を求めることが出来れば、より多くのことを学びえることが出来るでしょう。
・ 髙月美奈「『科学では出来なくても、魔法でなら出来ること』。〔泡〕も、そうだよね?」
飯塚翔「そうだな」




