第02話 アドリーヌのつうしんぼ・前篇 ~褒めて伸ばそう~
第01節 公女殿下の里帰り〔2/9〕
◇◆◇ 宏 ◆◇◆
お昼を廻った頃。ドリーが帰ってきた。
今日は終業式だから、通信簿を渡され、また長期休暇についての説明がされただけで、半ドンだったようだ。
ちなみにこの世界では、まだ〝休暇〟というものの意味が浸透していない。勿論、個々で私用の為にまとまった休みを貰う事は普通にあるが、用事なく、目的の無い〝休み〟というものの意義がわからない。そもそも娯楽自体が少なく、移動の自由がほとんど無いから(巡礼は別)、観光をする、という発想もない。
だけど、このドレイク王国では。しっかり週の概念を取り入れ、土曜日は半休、日曜日は全休が大前提。それに加えて、冬は建国記念日(12月2日)と冬至(12月21日或いは22日)そして新年祭(1月1日)、春は国王誕生日(3月3日)と春分(3月20日或いは21日)、夏は夏至(6月21日或いは22日)と開港記念日(7月21日)と戦災者慰霊忌(8月15日)、秋は秋分(9月22日或いは23日)と収穫祭(11月23日)、が取り敢えずある祝祭日なのだという。
だからこそ。冒険者や商人でなくとも普通に旅行を考え、多くのものを見聞し、それを情操教育に役立てる。ドリーたちももう何度か、小旅行を体験したという報告の手紙ももらっている。
それはともかく。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさいませ、姫様」
「お帰り、ドリー。すぐに手を洗ってうがいをしなさい」
「はい、シズ姉さま」
水が豊富で、しかも汲み上げの労がなく、且つ生水を飲めるほどに清潔。
だからここでは、生活習慣が根本的に異なる。
ドリーは貴族だから、風呂に入る事を習慣としていたけど、侍女さんたちもまたそれを習慣としても、それは贅沢ではなくむしろこの町では当たり前。という環境に慣れるのに、どれくらいかかったか。野次馬根性ながら、いつか聞いてみたい。
ドリーが手を洗ってくると。今日の昼飯は、髙月が腕を振るっていた。
マスの切り身とキノコと香草の包み焼き。パンは大きく切ってたっぷりのバターと共に。昆布で出汁を取り魚醤で味を調えた、すまし汁。ちなみにこの魚醤は、髙月の手作り。この町には普通に魚醤があるけれど、手作りの魚醤は各家庭で味が異なる。ドリーの寮で使われている魚醤より、髙月の作ったものの方が味が濃く、けれど臭みが少ないので、汁物には合うのだそうだ。
和洋折衷の感覚だけど、包み焼きのキノコや香草を熱々に焼いたパンの上に載せ、魚醤(これには市販のものの方が合う)と髙月製のマヨネーズで味を調えると、ちょっとした和風ピザトースト感覚。ドリーもマヨネーズの味が気に入ったようだけど、「保存に難があるから、作り方は教えられないし分けられない。使う量だけ分けてあげる」と言っていた。
後で聞いたが。マヨネーズは、「異世界チート」の定番として物語では描かれているけれど、卵の殺菌から始まって防腐処理まで、近代以前では安心して提供出来る調味料たりえないのだそうだ。そもそも〝賞味期限〟の概念がない世界に、加工調味料を出すのは難しいし、それ以上に流通ルートに乗せることなど出来ようはずがない。「そんなことしたら細菌テロにしかならないんだよ?」と真顔で断言されてしまった。
で、食後。いよいよドリーの通信簿の御開帳。
「……あまり、見てほしくないんですが」
「何をおっしゃいますか。これは保護者である公爵閣下、並びに侍女さんたちに見せる為に学校が用意したものです。見ない理由はないではありませんか」
「うぅっ。わかりました。存分にご覧ください」
観念したドリーは、通信簿をこちらに見せた。
それを皆で見てみると。
「礼法は、最高評価ですか。さすがですね。というか、平民と礼法を競って評価で劣ったら貴族としての恥ですから、これは当然と言うべきですね」
「芸術に関する感性も、高いと評価されています。やはり幼い頃から本物に接していたことが、ここで活かされているのですね」
松村に言われた通り、侍女さんたちは成績の良いものから褒めていく。だから。
「体育も、思ったほど悪くはねぇな」
「って、平均評価でしかないではありませんか。これを褒めるのは、姫様に対する侮辱になりますよ?」
「そうじゃない。ドリーはもともと、基礎体力が劣っている。にもかかわらず平均評価ってことは、技術でそれを補っているってことだ。
オレたちも、先日ソニアに叱られた。騎乗の姿勢が良くないってな。
多少姿勢が悪くても、基礎体力があり、また充分な休憩を挟めるのなら、それは大した問題にならない。けど、戦場を全力で駆け回らなきゃならなかったり、休まずに走り続けなければならなかったりするときには、その姿勢の悪さからくる負担は時間を追うごとにどんどん蓄積されていくんだ。
そう考えると、ドリーのその成績は。体力の不足を技術で補えるくらい、技術の基礎が身に付いているってことだ。勿論体力は付けなきゃならないけど、技術がしっかり身に付いていれば、あとはその底上げになるからな」
「……あまり、筋トレはしたくありません。男の子みたいな体つきになったら恥ずかしいですから」
そんなこと、ないと思うが。と、オレが言おうとした時。
「男子。合図するまで、耳を塞ぎなさい」
と、松村の命令。逆らっても良いことはないので、大人しく耳栓を。
(女の子はね? 普通に筋トレするだけなら、変なところには筋肉は付かないものよ?
胸と腰には付くでしょうけれど、それ以外は駄肉にならないの。
それどころか、お腹とか足首とか、女の子として恥ずかしい部分は、ちゃんと引き締まるから。むしろ、佳い女になりたければ、一定の筋トレは必須なのよ?)
(そうなんですか?)
(ソニアもそうだけど、例えばサリア妃殿下とか、ルビー=シルヴィア妃殿下なんかは、その好例だと思うわ。常に身体を動かしているから、出るところはしっかり出ているのに、引き締まる部分はキュッと締まって。ふくよかそうな印象とは無縁でしょ?
というか、ドリーはこの町で、素敵だなって思う女性を何人見た?
その素敵な女性は、女騎士と女商人、どっちが多かった?
佳い女になりたければ、『もう一回』。これ、エクササイズの合言葉だから)
耳を塞ぐ、と言われても、手で塞いだ程度では、結構外界の音って聞こえてくるんだよな。
だけど、「耳を塞ぐ」。つまり、オレたちにそれは聞こえないし、聞いていない。そう振る舞うってこと。だからオレたちは聞いていないし、聞こえていない。このあとドリーがオレたちに、効率的な筋トレの仕方を聞きに来たとしても、それはオレが言った「基礎体力に劣る」って言葉が原因であって、それ以上の意味はない。うん、そういう事だ。
と、そんなオレたちの側の事情を知ってか知らずか。松村が、耳栓を外していいって合図をした。
ので、話の続きを。
「へぇ。理科の成績も良いのか。これはちょっと意外だな」
(2,778文字:2019/01/29初稿 2019/11/30投稿予約 2020/01/03 03:00掲載予定)
・ ドレイク王国の「国王誕生日」は、正確な日ではありません。「春生まれ」という事はわかっていますが。けれど、〝国産み〟で現在のドレイク王国の形を作った日を、アドルフ王の誕生(記念)日として定めました。なお、この他建国記念日と四節季を除けば、あとは日本の祝日が根拠だったり。
なお、「祝日」=民間のイベント、「祭日」=国家行事、です。祝日は、新年祭、春分、国王誕生日、夏至、開港記念日、秋分、冬至。祭日は建国記念日、戦災者慰霊忌、収穫祭、です。
ちなみに、ドレイク王国の「振替休日」の概念は、日本のそれとは違います。祝日が日曜日に重なった場合、「日曜日の振り替え」を翌月曜日に、土曜日と重なった場合は「土曜日の振り替え」として翌週の土曜日が全休になります。結果、曜日単位でカリキュラムを定める学校などでは、「振替月曜日」「土曜日の補講」も存在します。
・ 「鮭」と「鱒」は。一応定義として、「川を降って海に入り、また産卵期に川に戻ってくるもの(降海型)」が〝鮭〟、「一生川(淡水)で生活するもの(陸封型)」が〝鱒〟と言われます。が、カラフトマスに陸封型はありません(全て降海型)し、「ヤマメ」(陸封型)が海に降ると「サクラマス」と呼ばれます。「淡水で養殖され〝紅鮭〟という商品名で出荷される魚」もあります(陸封型の紅鮭は「ヒメマス」です)。その為、降海型の〝鮭〟と陸封型の〝鱒〟を区別せず、食材名は「鮭鱒」とまとめて呼ぶ場合もあります。ちなみに、ニジマスの場合。陸封型が「虹鱒」、降海型は「スチールヘッド・トラウト」、海面養殖型が「トラウトサーモン/サーモントラウト(どちらも商品名)」と名を変えます。海のない長野県で養殖される「信州サーモン」(商標名:虹鱒の四倍体と茶鱒の一代交雑種)なども。
ドレイク王国では、「ボルド河並びに河口域で採れるもの及び河口で養殖されるもの」を〝鮭〟、「ハティス川並びに崑崙高原に生息する(養殖を含む)もの」を〝鱒〟と呼んでいます(両河川の合流水域のモノは〝鮭〟扱い)。漁獲量は〝鱒〟の方が多い模様。
・ 西洋人は、昆布その他海藻類を消化する酵素を持たない、と聞いたことがあります。けれど、だからこそ「昆布だし」は食べ慣れない珍味になるでしょう。
・ 自家製魚醤は熟成に半年以上かかります。髙月美奈さんは、〔倉庫〕の時間加速で熟成期間をショートカットしています。またその味も、ベースになる魚の種類や塩の種類、その比率や熟成度合いなどで千差万別。調べてみたら「ウニベースの魚醤」などもありましたから、もう何でもありかも。ちなみに美奈さんは、マグロの内臓を利用した魚醤作りに挑戦し、見事に失敗しました。
・ 五段階評価で、『5』の科目を褒めるのは、誰でも出来ること。けど、『4』や『3』を褒める為には、その学習内容と生徒のその学問に対する習熟度合・進捗具合を理解していないと、出来ません。




