第30話 法と悪
第06節 法の支配と力の世界〔1/6〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
お姫様と仲良くなれたことで、この世界の文字はお姫様に教えてもらうことになったの。
魔術師長もエラン先生も、普段お仕事で忙しいから、時間に余裕が作れるイライザ姫が最適だったから。
文字の勉強は、まずは本の書き写し。段落ごとに音読してもらって、書き写した文字のすぐ下に日本語を書く。その後で、単語単位での対語表を作る、って形で進めた。変な話だけど、発音を考える必要が無くて、文法がわかれば、あとはただの言葉の置き換え。暗号解読みたいなもの。なら語彙のストックさえ充分なら、正直暗記の必要もない。
そして一石二鳥を目論んで、教科書になる本は、魔法関係と歴史や社会についての本にしてもらった。うん、色々役に立つし。
けど、魔法関係や文学、歴史や数学(この魔法世界で、数学が発展していることにちょっと吃驚したけど)の本は、この国にはかなり少ないんだって。それは、この国には、東大陸からも留学生が来るくらい立派な学院があったんだけど、イライザ姫が小さい頃に来襲した〝魔王〟さんが、学院の図書館にある本を根こそぎ奪っていったから。学院の図書館は、この国の知識庫としての意味もあったから、随分たくさんの知識が喪失してしまったんだって。
その話を聞いて、武田くんが落ち込んでた。「ボクたちが盗み出そうと思っていたのに」って。あの、堂々と泥棒するって宣言しないでよ。いくら〔亜空間倉庫〕の中だからって。泥棒は、どんな理由があっても悪いことなんだよ?
実際そう言ってみたら。
「知識はボクたちの命綱なのに、この国はボクたちが求めている知識の全てを開示してくれているとは思えません。隠し事もあるだろうし、嘘を吐いていることもあると思います。例えば、この国と〝魔王〟の関係とか。なら、髙月さんは、ボクたち全員の生命と、髙月さん自身の遵法精神。どっちを優先すべきだと思いますか?」
って、反論されちゃった。それに、ショウくんも。
「文明国家で、国民が法律を守らなければいけないのは、国民が法律に守ってもらえるからだ。例えば『赤信号を渡ってはいけない』という法律を守っていれば、車に轢かれないし、万一それでも轢かれたら、轢いた――法律を破った――車の運転手が罰せられる。もし車が野放図に走ることを法律が許すのなら、人は赤信号を守る意味はなくなる。誰も守らない法律を守って車に轢かれるのなら、むしろ自業自得だ」
って。
この世界にいる美奈たちは、車が無秩序に走り回る国の交差点の横断歩道の前に立っているようなもの。目の前の信号が赤だからって、立ち止まってたら轢き殺される。なら積極的に動いて、自分の安全を確保しなきゃいけないんだ。その為に、泥棒や詐欺に等しいことをしてでも。
◇◆◇ ◆◇◆
でも。わざわざ悪いことをしなくたって、美奈たちにとってプラスになることを出来るなら。やっぱり美奈の〝これまでの自分〟から見て『悪いこと』はなるべくしたくない。
だから、イライザ姫に文字を教えてもらい、歴史や魔法についてを教えてもらう代わりに、絹と木綿で肌着を作って姫様にプレゼントしたの。勿論色柄もつけられないし意匠もシンプルだけど、美奈がこの期間で作れる、出来る限り可愛い物にしてみた。
この世界の衣服は、ほとんどが仕立物で、既製服の概念はあまり聞かないって聞いた(だから、エラン先生の故郷の街で、孤児院が安価な既製服を大量生産した、っていう話はかなり衝撃的なことだったらしい)。
でもだから、生地を肌に当てないで目寸法だけで服を縫い、また服に調節用の遊びを持たせるっていう概念はなかったみたい。上下3セットだったけど、喜んでもらえて美奈も嬉しい。
◇◆◇ ◆◇◆
表向きはそんな穏やかに過ごしながら、この世界に来てから58日が経過して、第59日目。
魔術師長とエラン先生が、イライザ姫の私室に踏み込んできたの。
「魔術師長、ブロウトン卿。失礼ですよ?」
「申し訳ありません、姫様。ですが、彼らに緊急の用がありましたので」
「あたしたちに用って、何事だ?」
「仕事だ。ある犯罪者を追ってもらう」
◇◆◇ ◆◇◆
魔術師長たちが美奈たちを連れだして、執務室へ。エラン先生はすぐに姿を消した。
「昨夜、我が国の兵士が、物資を横領していることが発覚した。
その兵士たちは追捕の手が伸びるのを察知して、昨夜のうちに都を出たようだ。
キミたちは、ブロウトン卿と共にその兵士たちを追ってほしい」
「それは、〝警察〟の仕事じゃないのか?」
魔術師長の言葉を聞いて、おシズさんが問い返した。
「〝警察〟? あぁ、〝自警団〟の事か? 確かにその通りだ。
そして問われる前に答えるが、この仕事は〔契約〕とは直接関係はない」
「関係無いのなら、何故俺たちがしなきゃならない?」
ショウくんの問いかけ。
「ちょうどいい機会だからだ。ここで、ブロウトン卿の監督下で、キミたちに対人戦を経験してもらう。
今ならまだ、失敗しても取り返しがつくが、東大陸に渡った後では失敗は即キミたちの死に直結しかねない。なら早いうちに経験しておくべきだろう。
今、ブロウトン卿が馬を準備している。
これから夜通し走れば、明日の夕刻にマーゲートという町に着く。そこで改めて情報を入手し、更に南に向かってほしい。
脱走兵たちは、おそらくラーン共和国に向かっている事だろうからね」
「それは間違いないことなのか?」
「十中八九、間違いない」
「俺たちは、未だ馬の扱いに慣れていない。追いかけても追いつけるかどうかはわからないぞ」
「だから、夜通し走ってもらう。持ち物は最小限で構わない。
マーゲートをはじめ、各町で馬を乗り換え、物資を補給出来るキミたちは、馬を休ませながら走る脱走兵たちよりも速く動ける。
とはいえ無駄な問答に時間を浪費していれば、それだけ脱走兵たちとの距離は開いてしまう。ラーンに入られてはもう手が出ないからな」
「別の国だから、か?」
「それだけではない。ラーンは昔から、『来るもの拒まず』の精神で都市が運営されていた。どんな犯罪者も悪党も、入国を拒む理由にはならずに。だから追い付けなければ、捕える機会は無くなるという事だ。
さあ、最小限とはいえ持って行かなければならないものはあるだろう。
すぐに準備を始めなさい。支度が終わり次第出発することになるからね」
(2,720文字:2017/12/15初稿 2018/03/31投稿予約 2018/05/29 03:00掲載 2018/06/09誤字修正byぺったん)
*「ぺったん」は、ゆき様作成の誤字脱字報告&修正パッチサイト『誤字ぺったん』(https://gojipettan.com/)により指摘されたモノです。
・ 地球でも、日本国外務省発行の渡航の手引きで「赤信号でも停車してはならない」と指導する国があるようです。
・ 髙月美奈さんがお姫様にプレゼントした下着は、〝サイドの紐の結び方でサイズを調整する〟種類の物です。あと絹節約の為に、布面積はかなり小さくなっています。




