第31話 嵐の前の
第06節 開戦〔2/7〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
忙しく飛び回っていても。
時々ぽっかり、何もする必要のない時間というのは生まれてくるんだよ。
特に美奈たちは、美奈たちだけで完結する問題は〔倉庫〕の中で済ませてしまう分、外界での空き時間というのはそれなりに頻繁に生まれてくるの。
おシズさんなんかは、領兵や徴兵された冒険者たちに対する戦技指導をするとか、柏木くんなんかはウィルマーの職人さんに交じって「コンテナハウス」の製作を手伝ったりもするけれど。それでも空いた時間は、銀渓庵でリフレッシュしたり、エリスや町の子供たちと遊んだりして、呑気に過ごすの。
勿論、誰もがわかっている。これが「嵐の前の静けさ」だってことは。
ハティス地方を行き来する商人の、鉄や穀物の取扱高はゼロになった。モビレアからベルナンドへ向かう輸出の要求は増えているけど、当然スイザリアの戦争需要の方が優先される。一方でベルナンド領からの輸入は一切ない。商人が希望しても、またどれだけ金貨を積み上げても、「二重王国に軍需物資足り得る商品は販売出来ない」と通達されているのだとか。
そして、ローズヴェルトも徴兵と増税をしていることが報告された。商人の物資は中央に徴発されている為、彼らの本音としてはモビレアに密輸してでも小銭を稼ぎたいらしいけど、それが出来る状況でもないみたい。
南西ベルナンド地方も、落ち着かない。
「共同統治」という事は、両国の関係が破綻したら、真っ先に戦場になるってこと。そして無意味な衝突を避ける為に、両国ともこの地域には治安維持目的以上の戦力を置くことを禁止しているから。
それでも、開戦後も今まで通り仲良く共に、とはいかないのは、誰の目にも明らかだから。
そう。今となっては、ローズヴェルトが二重王国に侵攻することは、一般市民に至るまで常識というか、「朝になったら日が昇る」ってくらいの事実として、認識しているの。それが、ロージス地方になるか、ゲマインテイル地方になるか、南東ベルナンド地方になるか、南西ベルナンド地方になるか、はたまた海路でマキアを直接占領するかは現時点では不明だけど。
そんな一日。美奈たちは、モビレア公にお呼ばれされたんだよ?
◇◆◇ ◆◇◆
お呼ばれの内容は、基本的にはいつもの御食事。ついでに、夏になったらアドリーヌ公女が一時帰宅する予定だけど、その件について。
でも。
モビレア公は、個人的な好奇心もあったんだろう。
「カケル・リンドブルム子爵」の名前で、城に来るように伝言してきたの。
だから、美奈たちも。
紋付袴と振袖を着て。領主城に向かったんだよ?
◇◆◇ ◆◇◆
「それは、ドレイク王国の礼装、か?」
「否、私たちの故国に於ける、成人の第一礼装です」
モビレア公の疑問に、ショウくん。
「私たちの国の、未成年の礼装はいつもの学生服ですが、成人の礼装はそれぞれの地位や役職によって異なります。
が、天皇……ではなく、皇帝陛下に謁見を求める際の礼装として定められているのは、このような装束と決まっています。
例えば、私たちの胸元にある紋章。これは『家紋』と申しまして、平民であっても代々受け継がれてきております。当家の家紋は、信頼出来る歴史を遡ると、おおよそ四百年以上前に定められたものとなります。
そして、家紋の位置。両襟と、両袖後ろ、そして背中。五つ紋が最上で、三つ紋や一つ紋などの略礼装もあります。
他にも幾つかの仕来りがあり、生地や染め、縫い方などでその格を顕します。
此度の礼装は、うちの美奈がドレイク王に謁見する為に仕立てたモノです。その為幾つか簡略化していたり代用していたりする部分もありますが、形式としては第一礼装としての格を保ったものとなっています」
とは言っても。実は、簪とか扇子とか。
和服の小道具に関して、幾つか麻美小母さんから頂戴しているの。うん、木細工で趣味の良い小物を作れるのに、それを「嗜み程度」と言い張るのは、前世と全く変わっていないんだよ?
◇◆◇ ◆◇◆
でも、和礼装で洋食(それも――失礼ながら――メニューが未だ洗練されていない)というのは、ある意味自殺行為なので。
礼装をお披露目した後で、着替えさせていただいたの。
「我が国の膳と、この国の皿は、料理に対する精神からして違います。あの格好では、失礼にならない食事マナーを実現することは出来ません。
一方でこちらの服であれば。この国の食事マナーにも対応出来ますから、ご容赦ください」
うん、着替えたのは、制服なんだよ?
「料理に対する精神から違う、か」
「はい。我が国では、衣装も、膳の持ち方も、椀の持ち方も、箸の持ち方も、茶の喫し方さえも。全て亭主に対する、或いはその料理を作ってくださった料理長に対する礼を踏まえた振舞いを求められます。
また、我が国の食膳では、全ての料理が一時に出されます。こちらの会席のように、順番に出されたりはしません。ですが、だからこそ、どの料理から手を付けるのかという事さえも、礼法の一つになるのです」
「……私も、貴族として多くの作法や礼法、仕来りを学んできたが。
一般庶民に至るまで、それを常識として身に付け、且つ食事にそこまで気を配る。そこまで行くと、さすがに窮屈に感じるな」
「我が国でも、さすがにそれは、上流の作法です。また現代では、確かに一般市民も学べますが、日常でそこまでする人はまずいません。
私たちの場合は、すぐ横に目を光らせている礼法の師匠がおりますから、気を抜けないというだけで」
ショウくん。おシズさんの表情がすごく怖いんだけど。後で〔倉庫〕で補習確定、だね?
さて、それはともかく。
「アドリーヌの帰省、か」
「確かに、あまり時期が宜しいとは言えませんね。
ローズヴェルトがネオハティスを攻めるとは思えませんから、あちらにいれば安全ではあります。
そして、私たちはモビレアを戦場にするつもりはありません。
けれど、こちらにその『つもり』がなくとも、そうならないとは限りませんし。
加えて、その往復の道中の安全も保障出来ません。
ただ。
アドリーヌ姫は、私たちと〔契約〕し、〝誓約の首輪〟をしてくださっております。
そして、私たちの秘密を活用すれば、姫様をこの町に連れてきて、また有事にはネオハティスに避難させることも可能でしょう。
なら、我々がこの町に滞在出来る期間に限定して、アドリーヌさまの帰省を認めることは、出来るのかもしれません」
「そうしてくれると有り難いな。
だが、ショウ。否、カケル・リンドブルム子爵。
そろそろ、貴卿らの〝秘密〟の全貌が読み取れて来ているのだが、それは構わないのかね?」
領主様のその言葉を受けて、ショウくんはただ笑っています。
うん、もう、それは。
今更、なんだよね?
◇◆◇ ◆◇◆
そんな和やかな日々を過ごしていた、ある時。
有翼騎士さんが、急報を告げたの。
ローズヴェルト軍、行軍開始。
戦争が、始まるんだよ?
(2,766文字:2019/01/21初稿 2019/10/31投稿予約 2019/12/08 03:00掲載予定)
・ 「私たちの故国に於ける、成人の第一礼装です」「天皇陛下に謁見を求める際の礼装として定められているのは、このような装束と決まっています」。根拠は、明治五年太政官布告第三百三十九号。但しこれは、昭和二十九年七月一日施行の法律第二百三号「内閣及び総理府関連法令の整理に関する法律」により、廃止されています。ただ因習として、和装としては黒羽二重五紋付羽織袴、洋装としてはフロックコート(ともに男性の場合)を着用することが求められます。なお女性の礼装としては、色無垢の振袖は、その時点で第二礼装になります。
・ 「『家紋』と申しまして、平民であっても代々受け継がれてきております」。……平民は、明治時代までは家紋を持つことが許されていませんでした。飯塚翔くんの「平民」の定義はおかしいと思います。
・ 小学校の給食の時間に学ぶ、「三角食べ」。これは食膳の礼法が根拠の一つという説もあります。味の濃いモノと濃いモノの間に、白飯や汁物を口にすることで、料理の味を口の中で混ぜないようにし、それぞれの料理の味を堪能することで、料理人に対する礼、或いはその料理を饗した亭主に対する礼を示すのだとか。また食後の飯椀に茶を注ぎ、こびり付いたご飯を浮かせたうえで、漬物で拭うようにして食べるという作法もあります。こちらは、その食器を選んで用意してくださった、亭主に対する礼。




