第25話 シュレーディンガーのネコ
第05節 備えあれば〔2/6〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
取得した木材や布類、工具類等は、全て〔亜空間倉庫〕に持ち込みました。
〔亜空間倉庫〕に持ち込んだ後、ボクと飯塚くんで図面を引き、柏木くんと飯塚くんがその通り棚を作ったり壁を作ったり。
女子は、二人が持つハサミをハサミの形に戻して、布を裁断し、縫う。カーテンにしたり、シーツにしたり、手拭にしたり。意外(?)と、松村さんがそれを苦手にしていたのが、面白かった。この、完璧才女にも弱点があったのか、と。
でも、〝完璧才女〟という印象が、思い込みに過ぎなかったことも、もうわかっています。悪口ではなく、彼女もまた、年相応の女の子だということです。どれだけ完璧に見えても、老獪な大人には敵わないし、出来ないこともあれば失敗することもある。今までは、「高校生」という子供の枠内だから、何でも出来るように見えただけだったのです。
それは、決して失望じゃありません。ボクたちでも支える余地があるってことは、親近感を増す要因になります。逆に、〝完璧才女〟とレッテルを貼り、多くを期待するのはただの負担にしかなりません。そんな他力本願、たった五人のコミュニティで、やって良いことじゃないのです。
そして、生活環境改善の為と称して、大型の木桶も入手しました。『加熱の魔石』はまだ手に入らないけど、これでお風呂を作れます。〔亜空間倉庫〕に「水タンク」(容量無限)を用意し、その桶で近くの湖沼から水を汲んでタンクに移す。重労働だし、水はまだ冷たいけれど、実際の移動距離は〔亜空間倉庫〕内の方が長い。そして「一往復」が「一回の入浴分」と思えば、苦労の甲斐もあるというものです。
そして、木材でポンプ(もどき)を自作します。給水ロスは多いし劣化も早いから、すぐ駄目になるでしょうけれど、それでも無いのと有るのとでは効率が違います。入浴時に水タンクから木桶に水を汲む労を考えれば、むしろなければ困ります。
ちなみに、蒸留器は〔倉庫〕に別室を設けてそこで行うことにしました。火を焚く訳だから、いまだ不明な〔倉庫〕内の酸素供給量が不安になるから。微生物や寄生虫を考えると、生水での入浴は不安が残ります。けど現状、風呂を沸かす手段はない。だから今はまだ、入浴の代わりに蒸留器で温めた湯で、肌を拭くに留めているのです。
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ボクたちの学校は、生徒数が多かった、時期もあるそうです。
昔爺さんが教えてくれたことがあります。中世欧州では、教会の大きさを見れば、その街の規模がわかる、と。
領軍や街の守備軍は、出陣前に全軍揃って教会に入って礼拝をするから、全軍を収容出来るサイズの礼拝堂を、教会は擁していなければならないのだ、と。そして、軍の兵数がわかれば、その人数を擁するだけの人口を計算出来る。単純計算で、街の人口の一割。それが兵数の上限となるから、二千人の兵を収容出来るサイズの礼拝堂を持っている町の人口は、一番少なく見積もって二万人、という事になるんだ、と。
そして、同じようなことが学校の体育館でも言えます。学校の体育館は、少なくとも全校生徒を一堂に収容出来る大きさが必要になります。そしてうちの学校の、ピーク時の生徒数は2,500人を超えており、またその頃はとあるスポーツで全国大会に出場、などと学校の名も売れていました。その為、校舎の増築や施設の改修も進んでおり(今では不良在庫と化している設備も多いけど)、体育館などもかなりの大きさを誇っています。
所謂アリーナの大きさは、56m×102mあり、フルサイズのバスケコートが余裕で二枚展開出来るのです。
ボクたちの〔亜空間倉庫〕は、この体育館を模しています。
メジャーがないので測ったことはないけれど、完全に学校の体育館と同じサイズなら、かなり贅沢な空間の使い方が出来ます。
まず、ステージ側の奥行き10mほどを、松村さんの弓射の練習場とする。近的は28mだから、単純に横幅の半分だ。これは、ボクらの弩の射撃訓練でも使用させてもらう。
また、向かって右側の壁沿い5mも、同じく弓射練習の空間とする。遠的が最長90m(競技遠的は60m)なので、その為の空間です。
そして、右側手前部分に、女子の生活空間、左側手前部分に男子の生活空間を確保する。一人当たり四畳程度の空間をカーテンで囲っただけだけど、40m以上離れていれば、男女間のプライバシーも充分確保出来ると思います。
物資保存庫(時間凍結の対象)や蒸留施設、貯水槽は、エントランスホール脇(トイレのとなり)に設定しています。更衣・入浴施設は、ステージ左右脇の空間(「脇室」、と言います)に男女別に用意しました。その他の物資陳列棚は、基本的に左側壁沿いの、出入りの邪魔にならないところに作ります。
実はうちの体育館、地下にはプールもあるんですけれど、さすがにそれは再現出来ないし、また管理はもっと出来ない。だから「地下に行く階段」の扉は、その存在を確定させない為に決して開かないように取り決めました。
一方、二階の観覧席。こちらは「ギャラリー」などと言っても、実質的にはキャットウォーク。ただ、ここに昇れば、女子の生活空間を真上から覗き見る事が出来ます。だから、男子の紳士協定で、ギャラリーには上がらないことになっています。
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そうして〔亜空間倉庫〕内の環境を整えていきましたが、同時に外の部屋の環境も、整える必要があります。
部屋は、もう少し大きく、換気の良い場所に変えてもらいました。ベッドも三段ベッドではなく、普通のベッドに。但し、松村さんの言ったとおり、個室は固辞させてもらいました。
けど、この部屋の中では、女子がいつも薄着になるので困ります。救いとなるのは、この時代の女性の肌着のデザインが野暮ったいこと。だから、肌着一枚で過ごしていても……、余計肌の白さやスタイルの良さを際立たせているだけかも。
二人とも、男子の反応が面白いのか、日本から持ち込むことが出来た下着等を、この部屋の中では普通に着用しています。否、〝普通に〟というよりも、ボクたちに見せる為に。〔亜空間倉庫〕に入る時や、他の服に着替えるときは、下着も現地製のものに変えているのですから。挑発、というよりも、揶揄って楽しんでいるのでしょう。これも、余裕が出来てきた証、と考えれば良いことではありますが。
そう。あの『会見』以来。女子だけでなく、ボクたち全員、どこか吹っ切れたように心に余裕が生まれています。
この世界に拉致られたこと。
元の世界に帰れないかもしれないこと。
劣悪な衣食住。
死が日常で、使命が殺人だという事。
そういったストレスが、これまでボクらを苛んでいました。
けど、それこそ「シュレーディンガーの箱」が開かれて、ボクたちの運命が確定した所為か、今すべきことに集中する事が出来るようになったのでしょう。
加えて、生活環境が改善されたこともまた、ボクたちの心理的パフォーマンスの改善に寄与しているのです。
(2,970文字:2017/12/10初稿 2018/03/31投稿予約 2018/05/19 03:00掲載 2021/04/07衍字修正)
【注:「他力本願」とは、阿弥陀(浄土宗)系仏教宗派に於ける考え方で、本来は「人は一人では幸せになれない。誰かに救われ、誰かを救い、皆で幸せになる」という思想の事です。だから本来は、この五人の在り方こそが「他力本願」。ですが、一般的には、「他人頼り」「他人任せ」という意味で使われています】
・ 武田雄二くんは、松村雫さんが「裁縫が苦手」と評価していますが、平均的女子高生のレベルの裁縫技術は持っています。比較対象の髙月美奈さんが異常なだけで。
・ 「シュレーディンガーのネコ」とは、不確定性原理の考え方の代表的な説話です。箱の中にいるネコが、50%の確率で死ぬという時。実際に死んでいるか、それとも死ななかったかは、箱を開けて結果を確認するまではわからない。なら、蓋を開けその〝結果〟を確定させるまでは、死んでいる〝結果〟と生きている〝結果〟が重なって存在しているのだ、と。この場合、「地下にプールがある」可能性と、「そもそも地下なんかない」可能性。現時点ではどちらが正しいかを、確定させない方がいいという判断です。
・ ちなみに。現地の暦は3月頃。緯度は東北あたりと同じですので、日差しが暖かい日もありますが、基本的に下着一枚だと結構寒い。……男子を揶揄う為に体張りすぎ(笑)。




