第32話 ショッピング(前篇)
第04節 北の国から〔4/7〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
第865日目。
その朝。魔王陛下の用意してくださった宿を出て。あたしたちはまず、冒険者ギルドへと向かった。このネオハティスの街で買い物をする為に必要なお金を、両替する為だ。
ちなみに、宿代は魔王陛下が清算済みだった。
そして、ギルドへ来て。その受付嬢は、飯塚を認めると声をかけてきた。
「おや、殿下。どうされました?」
「すみません。〝殿下〟はよしてください。出来れば〝ショウ〟と呼んでください」
「あはは。ええ、事情は聞いています。陛下のご落胤、という訳ではない、と。だからそう呼ばれたくはないとおっしゃるのでしたら、これからは〝ショウさん〟とお呼びしましょう。
とはいえ、この町では『〝自称〟陛下のご落胤』は、珍しくもありません。本人がそう信じているのか、或いはただ御名を利用しようとしているのかはそれぞれでしょうけれど。
ですが、本当のご落胤は、決してそうだとは名乗らないとも言います。ですから、この件は否定すれば否定するほど、周りの者はそうだと信じる根拠になるかもしれませんね。
実際、ショウさんが王太子候補であらせられることは間違いないのですから」
ここにも、種馬魔王の弊害が。
「まぁその辺りは、善処します。それはそうと、この国の貨幣を持っていないので両替したいのですが」
「それは構いませんが、ショウさんはスイザリアのモビレアが現在の本拠地でしたよね? となりますと、あまりネオハティスに長逗留なさらないのですか?」
「えっと、是、そうなります」
「でしたら、旅行者為替の利用をお勧めします」
「T/C?」
この町にはそんな制度もあるのか?
「正しくは、〝冒険者為替〟と呼びます。冒険者さんの支払い能力を、ギルドで担保するというモノです。本来短期滞在の冒険者さんの両替の手間を省く為に作られたモノなので、そう呼ばれます。何処の店でも、という訳ではありませんが、店頭に【T/C利用可能】と表示してあれば、使えます。
使い方は簡単。代金支払い時に、為替に金額を記入して渡せばそれで終わりです。
但し、その場での商品の引き渡しは行われません。
商品は、店からギルドに送られ、ギルド内でその冒険者さんと清算をします。その為、冒険者の皆さんは携行食などの必需品や矢玉等の消耗品、或いは薬草類をギルドにストックするくらいのつもりでT/Cを切っているようです。
もっとも、保管期間は一ヶ月が限度となり、延長する際は一定の保管料と代金の中間金――対価の50%――を納めていただくことになりますが。そして、そういった対価の支払いは、依頼報酬払いも選択可能となります」
「逆に言うと、代金の支払い能力がないのに買い物をした場合、クエストで対価分を稼がないと引き渡しがされない、という事ですね?」
「おっしゃる通りです。もし支払い能力以上の買い物をし、決済せずに町を出る場合はキャンセル扱いとなり、キャンセル料が発生します」
「わかりました。それじゃぁ――」
そしてあたしたちは、幾許かの現金を両替した他にT/Cを発行してもらい、そして一旦解散することにした。ギルドまで商品を運んでもらえるのであれば、五人全員で一緒に行動する必要もないし。
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
美奈がまず向かったところは、魚市場。新鮮なお魚さんが、驚くほど安い値段で取引されていたんだよ? 単位が〝イェン〟だから、日本の物価とつい比べちゃうけれど。
そして、予定通り鮪を未解体状態のままで購入し、業者さんにお願いして解体してもらったの。本来棄てる部位も捨てずにもらった。〝森〟の魔獣たちの餌にしてもいいし、樹々の肥料にしてもいい。〝森〟で畑や菜園を、と考えたこともあるけれど、〝森〟から出て次に〝森〟に入るまで、〝森〟の中でどれだけ時間が経過するか計ることも出来ない以上、毎日手間を掛けなきゃならない農作業は不可能。でも放置して山菜等を収穫することは可能だから。
マグロの他にも、幾つかの魚を数十キロ単位で購入。うん、こんな買い物の仕方はしたことがないから、楽しくなっちゃうんだよ?
次に向かったのは、服屋さん。生地や生糸などの布製品を購入したかったから。
と思って見てみたら、そこは孤児院併設で、子供たちが織機を使い生地を織っていたの。
その織機と裁縫機械に野麦の章印があるのは、絶対陛下の悪趣味なジョークだと思う。
そんなことを考えながら工場を眺めていたら。三十代くらいの、けれど年齢を感じさせない若々しさを保った女性に声を掛けられたの。
「いらっしゃい。何をお求めでしょう?」
「えっと、生地と生糸を一通り見せていただきたいと思っているんですけど、でもその前に。
このお店は、孤児院で経営なさっているんですか?」
「ええ。うちの孤児院は国からの援助無く、独立採算で経営しています。織物だけではなく、炭焼きや菜園等、幾つかの事業を並行しています。
この国は孤児に優しいですが、それに甘えてしまってはリリ……ではなく、駄目な人間になってしまいますから。
自分たちの糧は自分たちで稼ぎ、年長者は年少者を慈しみまた厳しく躾け、そして自分の足で立ってこの院を巣立っていくんです。
孤児院出身者は正職に就けない人が多いと聞きますが、うちは昔から、むしろ大人の職人見習いを指導出来るくらいの技能を持たせているんですよ」
見習いとはいえ職人さんを、指導出来る孤児院の子供たち。うん、誰の影響か想像出来る。モビレアでも聞いていたし。
それに、「駄目な人間」の代名詞。「リリなんとか」さんが誰なのか。うん、わからないという事にしておこう。エリスが可哀想だし。けれどそういう表現が出来るってことは、この人が陛下に近しい人物だという証明。うん、多分この人が。
「あの、〝セラ先生〟。昔――以前のハティスの町にあった頃ですけど――この孤児院から巣立って行った、ローザさんのことを憶えていらっしゃいますか?」
「……名乗ってはおりませんでしたけど、よくおわかりですね。貴女はえっと、多分、ミナさん、ですね? 〝彼〟の言った通りの娘ですね。
ええ、ローザのことは憶えています。多少お転婆でしたけど、誰よりも面倒見が良くて。でも面倒見が良過ぎて院から巣立てないのでは、ってはらはらしたものですけどね」
「その、ローザさん。今モビレアで孤児院を経営しています。『南の楽園』って言うんです。多分、北の楽園に負けないよう、ってその名前を付けたんだと思います」
「そうね。ええ、知っています。〝彼〟が時々、匿名でローザの下に寄附をしているそうですから。でもそれなら、余計私も負けないように頑張らないといけませんね。
貴女の恋人のショウくんもそうだし、ローザもそうです。子供たちは、ちゃんと親たちを超えて行かなければいけないんです。だから親たちは、なるべく高い壁になって立ちはだからないといけないんです」
陛下の、義理の母親でもあるという、セラ先生。陛下の、ショウくんに対するスパルタぶりは、この人の影響なのかな?
(2,823文字:2018/11/01初稿 2019/07/31投稿予約 2019/09/03 03:00掲載予定)
・ 「御名」の読みについて:「御名(または御名・御名)」は丁寧語、「御名」は天皇陛下の御名乃至は陛下のご署名それ自体を指す、との違いがあります。ちなみに、今上陛下の御名を公文書に記すことを親署といいます。
・ 「種馬魔王」略して「種ウマ王」。
・ 飲食店などでT/Cを使用した場合、その代金はキャンセル不可取引として冒険者ギルドに回送されます。当然額が嵩めば、T/Cの利用停止と強制依頼を命じられることになりますが。なお、冒険者でなくともT/Cを所持・使用出来ます。冒険者以外がT/Cを求める場合、保証料をギルドに納める必要がありますが。そして決済が滞ると、無条件で冒険者登録して働かされることになります。
・ マグロの内臓は、珍味として漁港の食事処などでは供されます。が、髙月美奈さんはさすがに、その下処理と調理の仕方をご存じないようです。
・ 前作既読の読者さんへ:セラ先生は、元ネオハティス市長(代理)。ですが、サッサと息子に市長(領主)の位を譲って楽隠居している模様。伯爵位を継いだ長男の他、例によって父親不詳の長女あり。孤児院ではなく経営の方を手伝っています。また、孤児院に対して行政からの直接の補助金等はありませんが、税の減免などの措置はあります。
・ リリス大公に対する評価:
一般市民……大公殿下。それ以上でもそれ以下でもなし。
個人的に接したことのある人(ソニア他)……何でも出来る、凄い人(その〝技能〟に関わって接するのだから、ある意味当然)。
魔王周辺……ニート、無駄飯喰らい、ダメ人間、駄メイド、駄女神。愛情を込めて、罵倒します。けど正直、「働き者の神様」などが実在したら、迷惑以外の何物でもないのかも。
・ 美奈さんのショッピング。物価は違うけど日本で例えるのなら、100万円分の札束抱えて魚市場に突撃するようなもの。金銭感覚が狂い、ほんの6-7人で消費するには多すぎる量の魚介を購入した模様? まぁ収納には余裕があるし。
・ 物価について:現代日本との物価比較をしようとすると。液体窒素を魔法で生成出来る(つまりコストがゼロに近い)一方で、技術料は日本より割高になる(人件費は安いけど、オール人力の分だけコストがかかる)ので、海産物などの価格差は物価の差(マクロ経済に於ける経済規模の差)を直に反映します。一方で繊維産業等は人件費分だけ割高になりますので、単純に「イェン:円レート」を測ることは出来ません。物流に関しても同様で、燃料費がゼロに近いことから、ランニングコストは現代日本より割安。だけど運搬機械の維持管理コストは割高です。




