第19話 海の者と陸の者
第03節 魔王国へ〔6/8〕
◇◆◇ 宏 ◆◇◆
船尾側の舫綱が流されてしまっている。
この場合、船長ならどういう指示を出すのかはわからない。けど飯塚の指示は、戦闘投網をこちらから投げること。
そして、〔無属性〕でのレーテの投擲は、武田が一番得手としている。
外界に出て、すぐに飯塚が巻上機の反対側を舫杭にホールドした。そして、その合図を待たずに武田がレーテを投射する。
次善の策を指示しようとしていた船員に対し、束ねたままのレーテが飛来する。
「ホールド!」
飯塚の指示。すぐにその意図を察知して、船員たちがレーテを船上に縛り付けた。
「ホールド!」
「巻け!」
そして船上からの合図を待って、飯塚の指示。オレはウィンチを起動させ、レーテを巻いた。けれどすぐ、
「ストップ!」
飯塚が停止の指示。どうしたのか、と思いながらウィンチを停止させた直後。
一瞬にして風向きが変わり、これまでと真逆の風が吹いた。
船は桟橋から離れて行こうとしていたのに、この風で逆に桟橋に迫ってくる!
「巻け!……ストップ!」
けれど飯塚は、慌てずにウィンチの起動を指示。撓んだレーテがぴんと張ったところで、ストップの合図。
そして、ストップの合図の直後、また風向きが変わった。
後で聞いたところ。波濤の飛沫が逆方向に飛んだのだそうだ。だから風向きが変わることを予測し、一旦巻き上げを停止させたのだという。そしてその風は僅かな時間で元の向きに戻ることが予測出来たので、レーテが撓んだままだと勢いがついてレーテが切れる。だから、撓んだ分だけ巻かせたのだという。
……いや、飛沫の飛ぶ方向なんて、普通気付かねぇって。
だけど、飯塚の指示は的確だった。風が強くなる直前、弱くなる直前、そして風向きが変わる直前には「ストップ」の指示がかかり、常に撓みを持たせないように巻く指示を出していた。
だから、この嵐の中。船は意外に安定を保ったまま、桟橋に停泊する事が出来た。
「スターン・ブレスト・ライン、投げろ! スプリング、張れ!」
立て続けに、飯塚が船上に指示。
ちなみに、飯塚が船首に張った舫綱は、「バウ・ライン」とオレたちには言っていたけど、正しくは「バウ側のブレスト・ライン」で、船尾側は「スターン・ライン」ではなく「スターン側のブレスト・ライン」なのだそうだ。バウ・ラインは、船首から更に前の方にある舫杭に、スターン・ラインは、船尾から更に後ろの方にあるビットに、それぞれ繋ぐのだという。
また、「スプリング」というのは、船首から船首後方に、船尾から船尾前方に、それぞれ斜めに張る舫綱のことで、船の前後の動きを抑止する働きを持つのだとか。
とはいえこの頃には、船員たちが桟橋に下りてきて、あとはプロの仕事。飯塚は一人、桟橋側から副船長か港湾局長のような立場で係留の指示を出していたけど。
◇◆◇ ◆◇◆
「助かったぜ。あんたたちのおかげで、船も安全に係留出来た。しかし、陸のモンにしては手際が良かったな」
パスカグーラの、船主ギルドに入って。濡れた体を拭き、乾いた服に着替えて、暖炉で身体を温めて、熱いお茶を飲みながら。
「いえ、耳学問です。実際にやったことはこれまでありませんでした。おかげで色々失敗して、仲間にも怪我させてしまいましたし」
「そうだな。安全確認の初歩が出来ていなかった。あんたが本気で船乗りになりたいのなら、まずそこから勉強する必要があるだろう。
だけど、この嵐の中、あれだけ的確に指示を出せる人間は、そういない。多少の減点は有っても、悪くはなかったと思うぞ」
「有り難うございます。けど、船乗りになる予定は、今のところは……」
「ドレイクの、リンドブルム提督も、世界周航の直前までは船乗りになることを考えていなかったって言うぞ。むしろあの女は、世界周航したくて船に乗ったというのが実状らしい」
そりゃぁスゲェ。筋金入りって奴だな。だけど。
「敵国の内情を、どうしてそんなに詳しくご存知なんですか?」
そうだ。ドレイクは敵のはず。スイザリアの船長が、何故そんなことに詳しい?
「敵? ドレイクが? あぁそうか、陸上では、スイザリアはドレイクと敵対関係にあるって体裁だからな。そういう疑問になるのか」
そういうことだ。って、え?
「船長、それはどういう意味ですか?」
「それってどれだ?」
「〝体裁〟ってことです。スイザリアとドレイクは、敵対関係にあるんじゃないんですか?」
「あぁ、そういう事か。って言っても、お前らの方がその辺りは詳しいんじゃないか?
ドレイクは、マキアの独立を支援していた。そしてフェルマールの後継とされる国だ。
だから、マキアとフェルマール相手に戦争をしたスイザリアは、ドレイクと敵対関係にある。と、謂われている。
だが、フェルマールの後継とされる国は、他にもある。ローズヴェルトだ。ローズヴェルトは旧フェルマール王家の譜代の貴族だったから、ドレイクよりもフェルマールに近い。一方でフェルマールの王子王女が頼ったのはドレイクだった。だから、ドレイクとローズヴェルトは、同じくフェルマールの後継と言いながらも、互いを複雑な感情で見ているはずだ。
また、ドレイクはマキアの独立を支援したが、そもそもマキアはフェルマールの信頼を裏切った。それを考えると、ドレイクはむしろ、マキアの混乱を長引かせる為に王党派を支援していたのかもしれない。長引いて困るのは、マキアの民だからな。
そして、ドレイクとスイザリアは。直接干戈を交えたことはない。ドレイクにとって、積極的にスイザリアと戦争する理由はない、ってことだろう」
成程。海運で、つまり民間の立場から、スイザリア・マキア・ローズヴェルト・ドレイクの四ヶ国を見ている船長だからこそ、この四ヶ国の関係の建前と本音がよく見える、という訳か。
実際、ドレイクにとっては、地政学的にはスイザリアと敵対する理由はない。また人的関係から、あまり積極的に敵対したいとも思わない。
だけど、ローズヴェルトとの関係から、積極的に距離を詰める訳にもいかない。
その結果、建前と本音がちぐはぐになる。しっかり見据えれば、その本音は透けて見えるけど、だからといって外交上の建前は崩せない。
「成程、よくわかりました。
それでも、隣国との外交関係がありますから、建前上の敵対関係はそう簡単に崩せない、ってことですね」
「ま、オレたちみたいな民間人にはあまり関係のない話かもしれないが、な」
「スイザリアの船が、ローズヴェルトの港に入れるのも、そういう政治と民間の乖離から、なのでしょうか?」
「ああ、それは違う。嵐を前にしたら、敵も味方もない。
遭難している船がいたら、敵国人でも救助する。嵐が来たら、敵国の船でも陸揚げする。昔からの、船乗りの常識だ」
それは、船乗りにとっては。
航海中は、国の支援を受けられない。全ては自分たちの中で完結させなければならない。
だからこそ、海の上では、誰もがただの船乗りになるのかもしれない。
(2,995文字⇒2,797文字:2018/09/19初稿 2019/07/01投稿予約 2019/08/08 03:00掲載予定 2019/07/05令和元年07月03日の「なろう」仕様変更に伴う文字数カウント修正)
・ 本来の係留作業では、ブレスト・ライン、バウ及びスターン・ライン、スプリング・ラインの順に舫います。飯塚翔くんの指示でスプリング・ラインを先にしたのは、人手不足の為。取り敢えず支点を増やすことで安定させることを優先させました。
・ 「遠交近攻」とは言いますが。この時代、国境を接していない遠隔国との外交は、あまり重視されていません。友好を保とうにも、隣国を経由しないと遠隔国と連絡が取れない以上、隣国と遠隔国の関係が険悪であれば、遠隔国への通信使は辿り着けませんから。
けれど、ドレイクは海運を通じて遠隔国と連絡を保てるうえ、通信だけなら空路もあり、更には迷宮ルートも持っているので、距離は外交に二の足を踏む理由にはならないのです。




