第12話 ノブレス・オブリージュ
第02節 寄ってたかってMy Fair Lady〔4/5〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
機動要塞を囲んでいた民衆が去った後。
「でも、ちょっと考えてしまいました」
お姫さんが、そう呟きました。
「何を、ですか?」
「彼らの言っていたことは言い掛かりに近いものであったとしても、それでも彼らがスイザリア軍、その中核であったモビレア領軍のしたことに対し、憎しみを抱いているのは、本当なんですよね」
「それは、そうですね。だけど、お姫さん。勘違いしてはいけませんよ。
お姫さんが彼らのことを憐れむのは、はっきり言って間違っていますから」
「それは、どういうことですか?」
「ボクらの世界では、『力ある者は、力無き者を守る義務がある』と言う人がいます。
お姫さんは、それをどう思いますか?」
「……間違って、いないと思います」
「では、お姫さんは、力ある者の側の人ですか? それとも、力無き者?」
「それは……」
「そして、全ての力ある者は、力無き者を守る為に、その力を得たんですか?」
「違う、のでしょうか?」
「そうかもしれません。けれど、違うかもしれません。
少なくともボクらが戦う力を求めたのは、力無き民を守る為ではありません。
ボクら自身が生き延びる為です。
リュースデイルの戦いの折には。〔倉庫〕に民衆を入れれば、全員ウィルマーまで避難させることも出来たでしょう。けれど、ボクらは〔倉庫〕の秘密を明かすより、彼らを見捨てることを選んだんです」
ボクらは、リュースデイルの民よりも、力があるのでしょう。戦う力、生き延びる力。だけど、「誰かを救うということは、別の誰かを見捨てるということ」だとも言います。ボクらは自分たちの目的の為に、彼らを〝見捨てる〟ことを選んだんです。それは悪しき事なのでしょうか?
「そして、力無き者は、力ある者に〝守ってもらえる権利〟があるのでしょうか?」
「……」
「ボクらがこの世界に来た当初。ボクらは、間違いなく〝力無き者〟でした。戦う力は無く、生きる力も無く。何より、嘘と悪意を見抜く力が無く。そして、その結果。ボクらの首には〝首輪〟が着けられました。それは、ボクらが〝力無き者〟だった所為です。
ボクらの世界には、『高貴なる義務』という言葉があります。それは、貴族として民から敬われている身分なら。その待遇に値する義務があるはずだ、というモノです。
お姫さんは、これをどう思いますか?」
「それは、その通りだと思います」
「でも、爺さん、ボクのお師匠様は、笑止千万だと言っていました。
パン屋がパンを焼くことも。
百姓が畑を耕すことも。
そして貴族が領民を守ることも。
どれも義務とは言えない。ただ当たり前のことだ、と。
だけど、パン屋がパンを焼かなければ。
百姓が畑を耕すことを怠れば。
彼らは、今日の糧にも困る立場です。
一方貴族は、領民を守らなくても、毎日遊んで暮らしていても。生きていくには困らないのです。
『高貴なる義務』という言葉は、ボクらの世界で、そんな時代に生まれたんです。貴族が、領民を守るという、当たり前のことさえ忘れて遊び耽るようになった時代。その〝当たり前〟を〝義務〟と言い換えて、当たり前のことを当たり前にさせようとして生まれた言葉なんです。
まるで領民を守る貴族は、立派な貴族だと言いたげに。それが当たり前だという事さえ、誰もが忘れた時代に。
ボクらの世界の、ボクらが生きていた時代。ボクらの国には、貴族はいません。
けれど社会保障制度が充実して、ただ生きるだけなら誰であれ社会に縋ればそれで済むような、そんな世界です。
つまり、貧民街に居れば、生きていくのに困らない。けど、スラムから出たら、働かなきゃ生きていけないのに、働いたその収入の一部を税として徴収される。そして金持ちは、税を納めた更にその上で、スラムで炊き出しをする〝義務〟がある。
制度としては、立派でしょう。けれど、その結果。『働いたら負け』という考え方さえ生まれてしまったんです。働けば、社会保障制度の対象から外れる。働かなければ、社会保障があるから生きていくのには困らない。
こんな社会、どう思いますか?」
「……」
この問い。答えられる人は、裕福な、すなわち〝強者〟の立場にいる人か、現実を無視して虚構の世界で生きている人たちだけでしょう。全ての〝弱者〟を抱合する答えなんてある訳ないのですから。
「考え方のひとつに、こういうのがあります。
『飢えた人に魚を与えれば、一日の飢えから救うことができる。
けれど魚の釣り方を教えれば、一生の飢えから救うことができる』
つまり必要なのは、弱者を直接救済することではなく、弱者が自力でその境遇から脱する事が出来るきっかけを与える事だ、という事です。
その意味では、ボクらの国の社会保障制度は行き過ぎていて、結果間違ってしまったんです」
「ユウ兄さまたちの国のことは存じませんが、わかるような気がします」
「その上で。改めて考えてください。
お姫さんが今、考えるべきことは、何ですか?
彼らに謝罪することですか? 賠償することですか?
それとも、二度と同じような悲劇が起こらないように、反省することですか?
――どれも、違います。
今、お姫さんがしなければならないことは、勉強することです。
あの戦争が、何故起こったのか。回避することは出来なかったのか。
同じことが起こらないようにするには、どうしたらいいのか。
そしてまた同じような戦争が起こったら、何をするべきなのか。
お姫さんの立場で、守るべき民とは誰を指すのか。見捨てるべき民とは誰を指すのか。
お姫さん自身に、何が出来るのか。
今、お姫さんがしなければいけないことは、それを知ることなんです」
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
武田くんが、ドリーに語っている言葉。教えている内容。
それは、美奈たちの胸にも突き刺さっているんだよ。
力があれば、救える対象が増えていくけど。
本来美奈たちが救うべき相手じゃない人を救う為に、本来美奈たちが救うべき相手を危険に曝したら、それは本末転倒。
美奈たちが力を求めるのは、救いたい、守りたい相手がいるからで、力を得たからと、偶然出会っただけの相手にその力を割いてしまったら、その力を得た目的を果たせなくなるかもしれないから。
美奈たちは、あくまでもお互いを守り救う為に、力を求めたんだから。
そしてだからこそ。その〝力〟のひとつ、〔亜空間倉庫〕の秘密を開示するリスクの代償に、ドリーに首輪を掛ける事を求めたんだから。
正直に言えば。ドリーが留学先で落ち零れようが非行に走ろうが、美奈たちには関係ない。美奈たちに宛がわれた依頼は、ドリーを魔王国まで護衛することで、ドリーが落第しないように配慮することじゃない。しかも、落第するか否かは一年後にならないと明らかにならないだろうから。あとは「ドリーの努力が足りなかっただけ」と言って逃げ出すことも出来たんだよ。
それでもやっぱり、美奈たちは五人だけで生きていくことなんか出来ない。関わった人たちからの信用と信頼。それがあって、今を生きているし、昔より行使出来る〝力〟が増えた。だから、その信用と信頼に懸けて、ドリーを導くことを選んだんだよ。
それは義務じゃないけれど。それが美奈たちにとっての〝当たり前〟だから。
(3,065文字⇒2,897文字:2018/09/06初稿 2019/06/01投稿予約 2019/07/25 03:00掲載予定 2019/07/05令和元年07月03日の「なろう」仕様変更に伴う文字数カウント修正)
【注:『飢えた人に魚を与えれば、(以下略)』は、中国の老子の言葉です。が、アフリカその他の地方にも、似たような格言はあるようです】
・ 人を憐れむのは、その人より恵まれている自分があるから。その人より、強い立場にいる自分を自覚しているから。だけど、「守られている」お姫様は、果たして他人を憐れむことが出来るほど、〝強い〟のでしょうか?
・ 義務が先か権利が先か。「どちらが先」ではなく、対になっているというのが現代憲法学の考え方ですが、実際には先後が生じる問題です。
日本国憲法(昭和二十一年憲法)に於ける国民の三大権利(生存権:憲法第25条:『生活保護』の根拠となる憲法条文、教育を受ける権利:同第26条第1項、参政権:同第15条)と三大義務(教育の義務:同第26条第2項、勤労の義務:同第27条第1項、納税の義務:同第30条)はセットだから、前者を要求する際には後者が漏れなく付いてくる、というのが通説です。その上で、「幸福追求権」(生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利:同第13条)は、「三大権利」の後に語られるものなので、当然三大義務を果たした後に、はじめて主張出来る権利(勤労をし、納税をし、そして子弟に教育を施した後でなければ、自身の幸福を追求する権利がない)と論ずる学者もおります。もっともこれは、現在の権利優先の風潮では異端説ととられます。そもそも「三大権利」「三大義務」という表現は講学上のモノ(学問の為の便宜上の表現)であり、法律的な優劣を表す言葉ではないのですが。けど「自分自身の〝幸福の追求〟は、〝子供に対する教育〟(子供が幸せになる為の地盤作り)に劣後する権利」と考えると、不思議と納得出来ます。
・ 強者は「奉仕する義務のある奴隷」、弱者は「権利を享受する貴族」。この社会体制は、でもやはり間違っているといわなければならないのではないでしょうね。




