第08話 誓約
第01節 姫君の留学〔8/8〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
「領主様。姫様に、〝首輪〟を掛けることお許しください」
その日。アドリーヌ姫さまが、モビレアを発つ前日。
ボクらは揃って、領主様ご夫妻に面会を求め、冒頭の台詞を口にしたんです。
「なっ! そんなこと、許すはずがないだろう! お前ら、一体――」
「あなた。理不尽に〝首輪〟を掛けられる苦悩を誰よりも知るのは、彼らです。
その彼らがそれを求めているというのであれば、せめてその理由くらいは聞いてあげてもいいのではありませんか?」
当然のことながら、領主様は激昂し、けれど意外にも、奥方様は冷静に、ボクらに話を促してくださいました。
それは、ボクらのことを理解してくださっている、というのもあるのでしょうけど、今ボクらと共にいるアドリーヌ姫が、それを聞いても全く表情を変えていないというのが大きいのではないかと思います。
そう、アドリーヌ姫には、その事を既に伝え、内諾を得ているのですから。
「まず、ボクらは姫様がこれから向かう、ドレイク王国の学校で使われるテキストを取り寄せ、その内容を確認しました。
その結果。姫様は、留学先で、確実に落ち零れます」
「なん、だと?」
「幾つかの学科に関しては、姫様が全く知らない知識を既知のものとして、その発展知識を教育しています。
もっとも、それ以外の学科であれば、姫様はドレイク王国の平民の子供たちと同等程度の知識・教養を既にお持ちであると認められます」
「……大貴族の娘が、平民の子供と同程度の知識、同程度の教養、だと――」
「そうです。現在の姫君の学力から考えれば、9歳から10歳の児童が通う初等部に入学すれば、授業に付いて行くことが出来るでしょう」
「そして、年下の子供たちとともに学べ、という事か……」
「勿論、貴族の誇りに懸けて、それが出来ないことは理解しています。
けれど、姫様は騎士としてのカリキュラムをも受講すると伺っております。
だとしたら、数ヶ月で授業に追いつく為の、補習を受ける為の時間を作ることも難しくなります。
残る手立ては、姫様が同年代のドレイクの子供たちとせめて同程度の学力を持てるように、現地に着くまでの約一ヶ月間で圧縮教育を行う事です。
ただ、その為には。ボクらの秘密の一部を、姫様に開示しなければなりません。
そして、それを誰にも。父上様にも、婚約者様にも、その秘密を漏らしてもらっては困るのです」
つまり、〔倉庫〕内でのスパルタ式。文字通りの(というより字面の意味より酷い)「缶詰教育」という事です。
けれど、如何にアドリーヌ姫が愛らしいからといって、無条件で〔倉庫〕の秘密を完全に開示することは出来ません。ソニアに対してその秘密を開示したのとは、まるで意味が違うのですから。
だから、その秘密厳守に関して、〔契約〕で担保を取るんです。
「その為の、〔契約魔法〕という事か。
それで、その期間はいつまでとする?」
「この秘密開示は、ボクらの生命線を曝す訳ですから、その秘密が意味を持たなくなるまで。具体的には、一つはボクらが元の世界に帰還するまで」
「それは。場合によっては生涯アドリーヌの首から首輪が外れないという事ではないか?」
「ですので、もう一つ。姫様が、ある『魔法』を習得することで、〔契約〕の条件を満了したものと看做し解除されることになります」
「ある『魔法』?」
具体的なことは告げられませんけど、それは所謂〔無限収納〕と呼ぶべき、〔収納魔法〕の究極。
ボクらの〔倉庫〕は、それを五人で作り出していますけど、〝魔王〟は一人でそれを作り出していると聞きます。
そこまでなら、『異世界関係者』であることがその魔法を完成させる為の重要な条件だ、と思えてしまうのですが、アドルフ陛下の義妹で〝賢者姫〟という二つ名を持つ伯爵夫人もまた、その魔法を習得しているのだとソニアは言っていました。なら。
その魔法習得に必要なものは、ただ「知識」なんです。
「その魔法は、ボクらの他に、ドレイク王アドルフ陛下、そしてドレイク王国の〝賢者姫〟が使えると聞いています。その魔法の四番目の習得者としてアドリーヌ姫の名前が記録されることになれば。
ボクらの持つ、その『魔法』の秘密の重要性も、相対的に低下します」
「アドルフ王と、賢者姫と、そして其方らの三者しか使えぬ魔法を、アドリーヌに習得せよ、と。
どれくらいの期間がかかる?」
「短くても、四年。この留学期間の全てを費やして、卒業時に習得していたら、早いと思えます。
その後ご自身で研究を重ね、十年以内に習得出来れば立派でしょう」
「留学期間中に習得出来る、という事には、ならないのか?」
「ドレイク王国の教育内容。その全てを理解出来れば、その魔法習得までの階梯を八割修了したと言えるでしょう。けど、残り二割。
当然、ボクらもそのヒントは与えます。けど、やはり残り二割はご自身で掴んでいただかなければならないんです」
あとは、ボクらがこの二年間で培ってきた信用と、領主様のご判断。
騎士課程を省略すれば、補習授業を受ける時間を作れますから、そんなに慌てて詰め込む必要もなくなります。
或いは、年下の子たちに交じって初等部から勉強を始めるというのであれば、やはり詰め込み教育は必要ありません。
この留学が、姫様が〝首輪〟を掛けても成し得なければならない、というだけの価値があるのか。
それは、ボクらにはわからないことなのですから。
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
ところで。ベルダは、今回の依頼には同行しないことになったの。
「どうして?」
「さすがに、リーサの一件とアドリーヌ公女の覚悟を見て、色々考えることが出来て、ね。
しばらくは、娼婦業からも足を洗って、自分の生き方を見直してみたい」
「うん、善い事だね。
でも、当座の生活資金はどうするの?」
「そうだね、当面は冒険者として、お金を貯めるかな?」
「それも善いかも。でもね、これ」
そう言って、あたしは結構な枚数の金貨が入った袋を、ベルダに渡したの。
「これは?」
「ベルダが、聖都での娼婦業で得た収入と。あたしたちと一緒に達成した依頼の報酬の、ベルダの取り分。おまけで、あたしたちからの餞別も」
王族案件の報酬はかなりのモノだし、そもそもベルダが身体を売って得たお金に手を付けるのは、皆厭がったから。なのにベルダは、銅貨一枚に至るまで全部こっちに回していたから、結構な金額が貯金されていたんだよ?
「こんなに……」
「娼婦を長く続けて、幸せになれた女は歴史上存在しないよ?
やっぱり幸せになりたければ、どこかのタイミングで足を洗わないと。
そして多分、今がそのチャンスなんだよ?」
特に、衛生環境に問題があるこの世界で、長く娼婦を続けていたら。
それはロシアンルーレット。いつか必ず病気に罹るから。だからその前に、ちゃんと引退しなきゃだよ。
「有り難う。あんたたちに出会えたのは、多分あたしの人生で最大の幸運だったよ」
(2,995文字⇒2,777文字:2018/09/03初稿 2019/06/01投稿予約 2019/07/17 03:00掲載予定 2019/07/05令和元年07月03日の「なろう」仕様変更に伴う文字数カウント修正)
・ アドリーヌ公女の〝首輪〟は、対外的には「人質としてドレイク王国に赴く公女が、国を裏切らないようにする為の戒め」として課せられたと認識されるでしょう。
・ ベルダさんは、この後しばらくはアマデオ殿下付きの斥候をしますが、某領兵隊長さんと結婚後、髙月美奈さんや松村雫さんに教えてもらった衛生知識を活かし、モビレア領軍ウィルマー方面隊衛生兵科長として隊を率います。
各国王家・領主・将軍などが、モビレア(サウスベルナンド)領軍とドレイク王国軍(有翼騎士団が衛生兵を兼ねる為、この国には「衛生兵」という兵科はない)のみ戦死率(正確には戦傷者の戦闘後死亡率)が異常に低いその秘密として、衛生兵の存在に着目するようになるのですが、それは更に未来のお話です。




