第29話 巡礼馬車1 ~フローレスの恋歌~
第05節 巡礼の旅?〔5/6〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
勿論、巡礼でアザリア教国を訪れる為には、皆巡礼馬車を利用しなければならないという訳じゃない。独自に徒歩で、或いは馬で旅をする巡礼者もいる。
けど、巡礼馬車を利用した方が圧倒的に楽なんだ。例えば、入境税は馬車の代金に含まれている。割符を受け取る時点で、事実上の入管審査が終わり入境税の納付も済んでいるとされるので、国境で煩わしい手続きをしなくて済む。何よりも、一人旅に比べて道中の安全性が比較にならないほど跳ね上がるから。
だからこそ、その巡礼馬車を「敢えて」使わない、という事は、〝使えない理由〟があると看做され、入管手続き(正確には「出国手続き」)に時間がかかるのだという。なお、巡礼馬車は基本誰でも使えるけれど、〝違約紋〟持ちの奴隷やその他の前科紋持ち(罪を犯し、その償いの形として刺青を刻まれた人)などは無理だし、指名手配犯も利用出来ない。
巡礼馬車の名簿は、当局からの要請があれば開示しなければならないこととなっているようだ。だから、調べられて困る身分証を使用している人は、巡礼馬車に乗らないはず、という事みたい。もっとも、指名手配犯が本名の身分証で公共交通機関の使用を申請することなどはあり得ないけど。
ちなみに、パトリシア姫(のお忍び用の偽名身分証を持つ人)が、巡礼馬車を使用した記録も確認されている。結局これが、駆け落ち先の裏付けになった模様。
そして、あたしたちの乗った巡礼馬車。その乗客構成は、こんな感じだ。
○ あたしたち一行 8人(この場合、エリスも一人前として勘定される)
○ 家族連れ 3人一組(父親に〝首輪〟あり)
○ 若夫婦+乳児 一組(乳児は勘定に入れず)
○ 老夫婦 一組
○ 歳の差カップル(?) 一組
○ 女性一人旅 2人(一人は〝首輪〟あり)
○ 男性一人旅 1人(〝首輪〟あり)
以上20人+乳児が、その全員となる(こう書くと、いずれ殺人事件でも起こるのかって感じだけど。この付言もフラグ扱いされそうだけど)。また、「家族」「夫婦」「カップル」「一人旅」等というのはあたしの印象でしかなく、それが勘違い或いは偽装である可能性も否定出来ない。
〝首輪〟持ちがあたしたち以外に三人もいることで吃驚していたら、ベルダに笑われた。「あんたら本当に何にも知らないんだな」って。
「どういうこと?」
「巡礼は権利とされるからね。雇用主は正当な理由がなければ断れないんだ。
だけど、そのまま逃げ出されたら困るから、期限を決めて戻ってくるように〔契約〕するんだよ。
もっとも、アザリア聖都は『脱走奴隷の天国』なんても言われている。『善神の名の下に平等』だから、〝脱走紋〟を付けていても聖都では差別することが禁止されているから。
それを知っていれば〔契約〕自体に意味がなくなるけど、脱走を考える奴が雇用主と〔契約〕することはあり得ないから。だから〝首輪〟をしているってことは、元の職場に戻る意思があるってことで、むしろ誠実だと解釈されるんだよ」
成程ね。あの外交官僚と同じ、〝自らの立証〟で〔契約〕を受け入れる、という事なのか。
◇◆◇ ◆◇◆
午後の出発だったから、この馬車はそれほど距離を進まずに野営することになる。
そして、これから何事もなければ十日間、行動を共にする同乗者だ。やっぱり少しずつでも交流は始まる。もっとも、相手のプライバシーに踏み込まないのは一種のマナーのようだが。
「何を読んでいるんですか、〝フローレス〟嬢?」
「向こうではお花屋さんをやろうと思っているんです。うちの良人の稼ぎだけでは食べていけないから」
ベルダが、歳の差カップルの彼女に声をかけ、会話を楽しんでいた。けど、ベルダ、なんでその人の名前を知っているの?
「〝フローレス〟というのは、リングダッド王国で知られる物語の主人公の名前です。貴族の令嬢が町の靴職人に恋をして、駆け落ちするという物語なんです。
巡礼馬車という状況に相応しい役振りですね。ちなみにフローレス姫は、駆け落ち先で花屋をするというあらすじです」
ソニアが、解説してくれた。でも、現実に駆け落ちしたお騒がせ姫を追いかけている状況で、駆け落ちネタを振るベルダも、結構強心臓の持ち主かも?
その一方で、平民の識字率が低く、それ以前に活版印刷などある訳もないこの世界で、「本を所有出来る」という時点で、この女性は富裕層の出身だという事になる。
……と思っていたら。
「もし、シズさまも興味がおありでしたら、お貸ししますよ?」
と、ソニア。
「ソニアも持っているの?」
「はい。『フローレスの恋歌』『フローレスの逃避行』『フローレスの幸せ』の三部作全て持っています。お読みになりますか?」
「……興味があるわ」
「では、――こちらの方がいいですね」
ソニアが〔アイテムボックス〕の鞄を開いて出したその本は、装丁自体に目立ったものはなかったけど、開いてみたら、手筆写本ではなく活字本だった。しかも、こちらの文字と日本語の対訳版。更に、カラー口絵並びに挿絵付。ちなみに「装丁」だと思っていたものはブックカバーで、その下にはイラスト入りの表紙がちゃんとあった。
「陛下の使用される秘密言語の、勉強用の教本です。こちらの方が読み易いかと」
最早、ツッコミどころが多過ぎてどこを突っ込んだらいいのやら。
ちなみに、この物語は。追手の脅威から愛する靴職人を守る為、フローレス姫が城に戻る結末になっていた。……物語の方が、現実より無難な展開な点について。
◇◆◇ ◆◇◆
乳児を連れた若夫婦にとって、やっぱりこの旅は大変そう。
この馬車に乗っている乗客は皆、大荷物を持っている訳じゃない。途中で補給することを考えているのではなく、ぎりぎりまで切り詰めないと、巡礼に出ることも出来ないという事だ。だから、娯楽用の本を持っているというだけで、「歳の差カップル」(や、ソニア)が富裕層出身である、と認識される充分な理由になるという訳だ。
そして、食料も最小限となると、子供にあげる乳の出も良いとは言えない。そうなると、辛抱するということが出来ない乳児は、全力で主張することになる。それは、他の乗客にとっては迷惑以外の何物でもなく。
だけど、だからといってあたしたちが何かをすることは出来ない。隠れてパンの一切れを母親に渡すことくらいは出来るけど、一度そんなことをすれば、旅の終わりまで世話しなければならなくなる。
あたしたちに出来ることは、野営時にウサギの2-3羽も狩ってきて、乗客皆に振る舞う程度が関の山。でも、それだけでも乗客にとっては「冒険者が同乗する馬車に乗れた幸運」に感謝しているようだ。
こうして、秘密も隠し事もてんこ盛りの乗合馬車は、南に向けて走って行くのだった。
(2,842文字:2018/08/10初稿 2019/03/31投稿予約 2019/05/18 03:00掲載 2019/06/20誤字修正)
・ 〝前科紋〟の形は、国によって地方によって、或いはその犯罪の内容によって異なります。けれどだからこそ、どのような形であれ刺青があれば、どこかで罪を犯した過去があると認識されます。刺青の技術も未熟だから、それを原因とした感染症の不安もあり、ファッションタトゥーなどの文化はありません(辺境少数民族の風習までは関知しませんが)。
・ 武田雄二(ソニアが出した本を見ながら):「こ、これは! ……この日本語フォントはMS明朝です。確かMS明朝は㈱リコーが提供し、その著作権は日本マイクロソフト㈱が管理しています。そしてWindows系列のOSがインストールされたPCで作成・印刷する分には別段許諾や使用料の支払い無しで使用が許されています。けど、そのフォントの活版を作るのは違法です。ドレイク王国は、地球世界最強の権利集団のひとつを敵に回したようですね」
松村雫:「権利関係を言うのなら、このフローレス姫の物語自体の著作権を問うべきでは?」
なおこの世界には、まだ著作権など知的所有権の概念はありません。一般的でないという以前に、管理出来ませんから。また、日本で教科書に本文の一部または全部を掲載することは、著作権法第33条で許可されています(但し著作権者への通知・その他の必要な手続きは有りますが)。




