第11話 姓の重さ
第03節 冒険の準備〔1/7〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
時間を巻き戻して、現地の人たちとコミュニケーションが出来るようになった、その翌日(9日目)。
俺たちは、魔法ではなく武技の講習を受けることを選択した。
理由は、松村さんのストレスがかなりヤバい水準まで来ていたからである。
考えてみれば当然だろう。
いきなり拉致られ、第三者とコミュニケーションが出来ない状態に放り込まれ、男と寝食どころか排泄まで共にすることを強要され、そして朝に濡れタオルで身体を拭うことは出来ても身体も髪も満足に洗うことも出来ず。
石造りの部屋は、お世辞にも清潔とは言えず、温度も湿度も、平成日本の快適な空間とは天と地ほども違う。
この状況でリラックス出来る女がいれば、その方が異常だろう。むしろ、美奈はよく持ち堪えていると言えるが、手前味噌ながら美奈の場合は俺がいるから、と考えることも出来る。
そして男子勢も、全くストレスを感じていない訳ではない。
その所為もあり、今朝松村さんと柏木の間で些細なきっかけでかなり激しい言い争いが起こってしまい、武田と方針を変更することを相談したのだ。
◇◆◇ ◆◇◆
「私は、キミたちの戦技指導をすることとなった、エラン・ブロウトン騎士爵という。
騎士になる前は冒険者として各地を回っていたから、多くのことを知っており、多くのことをキミたちに教える事が出来るだろう。信じてついてきなさい」
衛兵さんに連れられてやって来た練兵場に、三十前後の男性がいた。靴には黄金拍車。間違いなく騎士階級の人だ。
「それで、キミたちの名は? 私はキミたちを何と呼べばいい?」
「俺は、飯塚翔。ですが、〝ショウ〟とお呼びください」
おそらく、この世界の人たちには「Iizuka」も「Kakeru」も発音し難いに違いないと思い、美奈が俺を呼ぶ呼び方を紹介した。
「美奈は、髙月美奈だよ。〝ミナ〟で良いよ」
「松村雫です。しずく……否、〝シズ〟とお呼びください」
「武田雄二です。〝ユウ〟で良いです」
「柏木宏だ。〝ヒロ〟で良い、です」
「ショウ、ミナ、シズ、ユウ、ヒロ、だな。ではこれからそう呼ばせてもらおう。
キミたちは姓を持つのか。だが、そうだとしてもこちらの世界では、名乗りで姓を口にしない方が良い。この国で姓を持つのは、貴族か或いは貴族かぶれの豪商だけだ。平民の前で姓を名乗ったら莫迦にされるだろうし、貴族の前でなら逆に気分を害したという理由で斬られても文句は言えないだろうからね」
苗字ひとつで斬られたら堪らない。今後はショウとのみ名乗るようにしよう。
と、松村……シズが口を開いた。
「わかりました。有り難うございます。
Sir.エランは、あたしたちが苗字を持つことを気になさらないのですか?」
「卿? あぁ、卿の称号は、この世界では家名につける。騎士は一代爵位だが、基本的に称号は家系に属すると考えられるからね。
そして、〝卿〟の称号で呼ぶのは、貴族同士でだ。位階の上下で生まれる無用な軋轢を避けたいとき、爵位ではなく〝卿〟と呼ぶ。だから平民が貴族を〝卿〟と呼ぶのも、不敬に当たるから気を付けなさい。
私を呼ぶ際は、人前では〝ブロウトン騎士爵様〟と呼びなさい。ただ普段は〝エランさん〟で構わない。勿論教練中は〝エラン先生〟と呼んで欲しいがね。まぁ、私は冒険者上がり。つまり、生まれはキミたちと同じ平民だからね。あまり畏まった礼法は、公式の場でもない限り避けたいというのが本音だよ。
あぁ、質問の答えがまだだったね。
私は冒険者として、かなり様々なところを旅している。そもそも私の生まれは海を渡った別の大陸だ。
そして、違う土地では違う風習がある。別の土地の人間にしてみたら異常としか思えないようなことを、当たり前のこととしている土地だってあるんだ。
なら、違う世界からの旅人であるキミたちは、私たちとはまるで違う風習を常識としていても、別に不思議には思わないよ」
◇◆◇ ◆◇◆
そして、俺たちはエラン先生から戦闘技術を学ぶこととなった。
「まずは、武器の選択からだね。
キミたちの体つきを見ると、戦闘職とは言い難い。武器に親しんでいるようには見えないな。
だけど、それなら長柄の武器をお勧めするよ」
「あたしは、一応弓を嗜んでいましたが」
エラン先生の言葉に、シズが反発するように答えた。
「シズ。キミの身体の、筋肉の付き方を見ると、弓弦を引いたことがあったとしても、それは神官が儀式で行う〝鳴弦〟の為のモノと大差ないだろう。実戦では役に立ちそうにないな。
それに、この国では弓より弩の方が主流だから、キミの弓に番える矢の入手は、意外と難しい。矢を自分で作れるというのなら、キミの弓技を実戦に通用するように鍛えるのも、選択肢のひとつだろうけれどね」
「わかりました。では、薙刀、乃至は大刀にします」
弓を却下される理由に納得がいったからか、シズはあっさり引き下がり、代替提案をしてきた。
「おい松村、お前薙刀なんか使えるのか?」
「当然だ。うちは造り酒屋だからな」
この天才少女に、更なる隠された才能があると知り、柏木……ヒロがツッコミを入れてきた。
「いや、どうしてそれが根拠になるのかわからないんだが」
「造り酒屋は、蔵を持ち醸造を行う酒屋のことだ。土着の古豪が多く、武士に金を貸したり流通や土木などの他の事業にも手を出したりしていたところも少なくない。だから、杜氏の子らは武芸十八般を学ぶことが義務付けられているんだ」
それが世間一般の「造り酒屋」の家の常識なのか、それともこいつの家の常識なのかは知らないけれど。
「フム。ではシズの体格に合わせた、細身の大刀を用意しよう。
他の者たちは、希望はあるかな?」
「希望、っていうか、剣の使い方は教えてくれないんですか?」
やっぱり異世界と言ったら〝剣と魔法〟じゃないか。
「教えても良いが、無意味だろう。
剣を振るう体つきになる為には、長い時間がかかる。そして君たちの体格は、既に出来上がっていることを考えれば、今からでは遅きに失する。そのハンデを乗り越える為には、普通以上の時間を修練に充てる必要があり、その時間を用意することは、我が国には出来ない」
「でも、槍などの長柄の武器は、内懐に入られたら終わりじゃないですか」
「これまで戦う為の身体を作って来なかったキミたちにとっては、どのような武器を手に取っても、近付かれたらそれで終わりだ。
賢し気なことを考えるくらいなら、近付かせないことを考えなさい」
俺の『厨二脳』は、思っているほどリハビリされていなかったようだ。武器を手渡され、二三度振るえばその使い方を習熟出来るのは、ゲームの中だけ。なら余計なことは考えずに、先生の指導に従うことにしよう。
(2,956文字:2017/11/29初稿 2018/03/01投稿予約 2018/04/21 03:00掲載 2018/04/21誤字修正 2021/04/07誤字修正)
・ この世界では、『卿』の称号は勲位(個人に冠する称号)ではなく家号(家系に冠する称号)です。
・ 松村雫さんの体つきは、弓道という武道を嗜む者として調整されていますが、一日中鎧を着込んで動き回る戦士や冒険者としての体つきではありません。制限時間内で全力を尽くす、アスリートのそれです。
また洋弓と和弓では、弓の引き方が違います。洋弓は腕の力で引き、和弓は背筋の力で引きますので、洋弓を前提に体つきを見たら、「弓兵」の筋肉の付き方ではない、と認識されても不思議ではありません。
・ 大刀は、片刃・長柄の武器で、一般に「青龍刀」と呼ばれる種類のものです。この世界に於いては、薙刀との区別は重心の位置(刀身に重心があるのが「大刀」、柄に重心があるのが「薙刀」)の違いです。ちなみに、柄に重心があり、けれど刀身が前方に向かって反っている物は「戦鎌」(「バトルサイズ」とも)と呼びます。