第32話 受け継がれたモノ
第07節 兄さんが遺したモノ〔3/4〕
◇◆◇ 宏 ◆◇◆
今、日本の銀渓苑は、入間体制の三代目に入っている。
現亭主・入間双葉は、史郎兄さんのお姉さん。柏木・入間を通じて、初めての女亭主だ。今の日本社会がそういう風潮だっていうのもあるけれど、やっぱり当人の才覚もある。国際社会、男女同権社会、少子高齢化社会。そういうのを踏まえて、最適なものをお客様に提供し、そうでありながら銀渓苑の精髄を守る。それが出来るのは、双葉さんしかいないと言われ、若年ながら最高経営責任者の地位についた。
けど。日本の銀渓苑で700年後。双葉さんの名前は、残っているだろうか?
そもそも銀渓苑自体が残っているかどうかもわからない。残っていたとしても、双葉さんの名前は、おそらく平成最後の女亭主、という一行でしか記述されないんじゃないだろうか?
双葉さんの生み出したモノも、仮令形を変えながらでも、700年後まで残っているとは思えない。
そう考えると。
皆が莫迦にしていた、史郎兄さんは。
全くの異文化の中で、銀渓苑を残し、それが700年以上続いている。柏木や入間の連中に伝えたら、どんな顔をするか。今から楽しみだ。
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
古代帝国官僚、シロー・ウィルマー。その名はあちらこちらで聞く。歴史上の人物としては、下手をしたら皇帝アレックスより有名かもしれない。
だけど、その本名は「入間史郎」。それも、柏木の親戚のお兄さんだったなんて。
俺たちがこの世界に召喚される七年前。柏木は「親戚の事情」で引っ越していった。その事情が史郎氏の失踪だったんだろう。
そして、史郎氏が失踪したのは日本時間で七年前なのに、こちらの世界では700年以上が経過している。……こっちの700年が地球で7年、という可能性もない訳じゃないだろうけれど、〔亜空間倉庫〕の時間の流れがそれを否定する。つまり、二つの世界の時間の流れは、無関係?
「だけど、この七百年間で変わっていったモノ、変わらず受け継がれたモノ。それについては興味がある」
柏木が、話を続けた。
「柏木は、銀渓苑の経営権を入間に譲った。けど、それは柏木のやり方が現代の日本に適合しなくなったからに過ぎない。あの町の、温泉旅館の運営に関しては、柏木の方が多くを知っているという自負がある。
だから、柏木は入間に対し、監査の権限を求めたんだ。合理化の名目で、手放してはならない物を捨てることは許さない、と。
その、現場監査の符牒が、『〝ドングリ〟拾い』なんだ」
柏の樹は、楢の樹の一種。その実は、ドングリ。『〝ドングリ〟が落ちていないか』、つまり『銀渓苑の良いところを捨てていないか』を確認する、という意味なのだそうだ。
「まさか、この符牒までこっちの銀渓苑に伝わっているとは思っていなかったけれどな」
柏木が冗談めかしてそう言うと。
「はい。これまで『〝ドングリ〟拾い』が行われたことはありません。けれど、始祖様から言い伝えられた言葉で、『いつかカシワギを名乗る者が〝ドングリ〟を拾いに来るかもしれない』というのがありました。その時は、求められる全てを見せて、その指示に従え、と」
女将さんも笑っていた。
七百年。壮絶な時間を隔てた、業務監査。だけど。
「だけど、柏木。七百年経っているんなら、当然色々変わっているんじゃないか? 俺たちにとっては数年前の流行でも、ここでは七百年前に異世界から伝わったものだ。そのまま残っている方が変だし、変わっていくことの方が自然じゃないか?」
「当然だ。守旧や懐古が最善だ、なんてことはあり得ない。その辺りは松村の守備範囲かな?
その一方で、軽佻浮薄な流行追従は、企業経営を考えたら無駄にしかならない。このあたりのことは武田が詳しいと思うけどな。
伝統を守るってことは、同時にそれを変え、壊し、そしてまた新たに生み出すことを言う。だから、何を変え、何を壊し、何を生み出し、そして何を残したのか。それを知りたいんだ」
銀渓苑は、寛永年間に創業したというのなら。その歴史は300年を超える。
その伝統を引き継ぎ、経営を分家に委ねたとはいえなおその歴史を背負う、柏木の家。
その三百年があるからこそ、「変え、壊し、そしてまた新たに生み出す」ことを躊躇しない。
だから、興味もあるんだろう。ここは、もしかしたら日本の銀渓苑の七百年後でもあるのかもしれないのだから。
「はじめてこの町の、銀渓苑を見た時。オレがどれだけ嬉しかったか、わかるか?
一見日本建築に見え、でもスイザリアの建築様式で建てられた本館。そして、その門構え。降りしきる雪と、渓流のせせらぎをイメージした、初代から伝わる銀渓苑の象徴だ。
建築様式を変えても、建築資材を変えても、この意匠は残っている。
それが、オレにとって、『柏木』にとって、どんな意味があるか、わかる奴はいるか?」
わかる訳はない。三百年の歴史にさえ圧倒される俺たちが、それに七百年の時を上乗せされ一千年受け継がれた意匠。その重さを、理解することなんか出来るはずがない。
だけどなるほど。だからこそ、知りたいんだ。何が変わり、何が失われ、何が生まれ、何が残ったのか、を。
「松村の礼法講座で、膳の持ち方ってのがあったろ? 肩の高さで腕を前に伸ばして膳を持つ、『肩通り』。これは、唾などが膳に入らないようにという気遣いだって。
その作法は、オレも親から学んでいた。けど、そんな意味があるなんて知らなかった。
襖の開け方もそうだ。オレは単に、作法としてそうしろと学んだんだ。
だけど、そこに意味があるから、それは日本でも廃れずに伝えられてきた。
正座の作法は、今では椅子に坐る作法になり、襖を開ける作法は、ドアを開ける作法に取って代わられた。けど、その礼法の基本は変わらないから、ただ動作のみが変わっていった。
そういう変化を、リアルタイムで視察出来る絶好の機会だからな。『柏木』の名前を笠に着て、隅から隅まで見せてほしい」
◇◆◇ ◆◇◆
言うまでもないが、柏木は監査の技法など知りはしない。また、指摘出来るほど日本の【銀渓苑】を知っている訳でもない。けれどそれは、お互いはじめからわかり切ったこと。
この、柏木の「監査」は。この七百年で、入間史郎が伝えたモノの、何が残り、何が変わっているのかを指摘する。それだけだ。
例えば、俺たちは仲居さんの衣装を見て、和服を連想した。そういう事を、銀渓苑の人たちは知りたがっているのだ。「和服を連想した」という事は、その意匠の精髄は伝承されており、けれど〝連想〟に留まるという事は、この七百年で変わっていったモノだということ。
それが良いことなのか悪いことなのかは、ここの人たちが考えること。この人たちにとって柏木や俺たちの感性など、七百年前のモノなのだから。
それでも。七百年という時を超えて受け継がれた〝伝統〟を、俺たちは素直に敬服した。
(2,982文字:2018/02/27初稿 2018/09/30投稿予約 2018/11/25 03:00掲載予定)
・ 銀渓苑の創業者(柏木家の始祖)の名は、銀渓苑の史書には記録されていますが、当然ながら一般には知られていません。一方シロー・ウィルマーの名は、一定以上の立場にいて歴史を学ぶ機会がある人なら、誰でも知っていると考えると。
・ 柏木宏くんが小学生時代転校した理由は、入間史郎失踪に絡みマスコミの追及を受け易い柏木・入間両一族の子供たちを、一箇所にまとめて保護しようと考えた為です。
・ 企業経営に於いて「軽佻浮薄な流行追従」で利益を求めるやり方で成功出来るのは、唯一「勝ち逃げ」だけです。その流行が始まる可能な限りの初期から参入し、最小の設備投資で最短の事業展開。そして他社が参入するタイミングで撤退。それが成功の方程式です。




