第29話 再びの、旅の空
第06節 北へ〔6/6〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
あたしたちがこの世界に転移したのは、日本時間で5月下旬だった。
転移先の西大陸では、2月頃の寒さに心までも凍えていきそうだった。
そして、西大陸で約3ヶ月暮らし、『ビリィ塩湖地下迷宮』から『ベスタ大迷宮』を経由して東大陸に辿り着くと、そこは8月下旬の暑さだった。
こう考えてみると、季節的な意味では日本にいたころとほぼ同じサイクルに戻っていると考える事が出来る。
そして今。この世界に来て、371日目。つまり、6月頃にして季節はこれから夏。
これからあたしたちが向かう先は、北の、『カラン王国』。小鬼が作ったという王国を調査する。
地球史で譬えると、これは一体どういったものなのだろう?
海を越えて新大陸に辿り着いたら、そこには異民族の国があった、というモノなのだろうか?
月に到着してみたら、そこに宇宙人の前線基地があった、というモノなのだろうか?
或いは。森の中で、オランウータンが高度な芸術文化を伴う文明社会を築いていた、というモノなのだろうか?
どれであれ、すべきことはファーストコンタクト。幾度もそれに失敗し、貴重な文化や伝統を数多く破壊してしまった地球の歴史が、その必要性を強く訴える。
そして、文化が違えば考え方も異なる。例えば、西洋文化圏では「白旗」は〝降伏〟を意味するが、モンゴルでは〝突撃〟を意味する。その為チンギス=汗の欧州侵略時には、欧州軍は最後の一兵まで殺し尽くされることになったという。ついでながら、日本の古代史に於ける源氏の旗も「白旗」だ。平家の旗が「紅旗」だから、日本では伝統的に二者が相競い合う時には「紅白戦」と呼ぶのだから。
閑話休題。ゴブリンとのファーストコンタクト。
その為に、あたしたちがすべきこと。
まずは、調査だ。
◇◆◇ ◆◇◆
『カラン王国』の領土と主張されている場所。
そこは、現在の人類の行政区分では「スイザリア王国南東ベルナンド地方」となる。
面積的には、伯爵領には小さく、男爵領には大きいが、それ以上に未開拓領域が大きいのが特徴だ。そしてその未開拓領地には伝統的に魔物が多く棲み付き、幾つかの迷宮と魔物の集落があったことも確認されている。勿論、ゴブリンの集落もだ。他にも、山妖精の集落や猫獣人の集落も近くにあったようだ。
人間が生活出来る領域は山間のハティス街道と呼ばれる道沿いのみで、「南東ベルナンド地方」は、旧フェルマール王国時代は「ハティス男爵領」と呼ばれていたという。
「ん? 〝ハティス男爵領〟?」
その名称に、聞き覚えがある。確かソニアさんが言った「魔王国建国の地」とされる町の名前が、「新ハティス」だったのではなかったか?
「はい。私は旧ハティスの生まれです。
とはいっても、物心がつく前に『フェルマール戦争』が起き、町は燃え落ちました。私の父も守備軍として町に残り、町と運命を共にしたと聞いています」
本人に問いただすと、衝撃の歴史を聞かされた。
「その後、ハティスから脱出した女子供たちは、安住の地を求めて旅を続けました。
けど、一万に達しようかという数の難民団となった私たちを受け入れてくれる領はなく、資金や物資の支援をしてくれた領主たちも、自領の難民たちを押し付けたいなどの思惑があったようです。
そして、最後に私たちの受け入れを表明してくれたのが、『セラの孤児院』と名乗った、商会でした」
「孤児院が、難民を受け入れる、か。その孤児院商会は、どういった思惑があったのだろうか?」
「ふふっ。その商会の思惑、その裏を心配する人は、難民団の幹部には一人もいませんでした。何故なら、『セラの孤児院』とは、ハティスの町長夫人で難民団の団長であるセラさまが、町長とのご結婚前から経営なされていた孤児院の名前ですから。そしてその名を冠した商会。セラさまを商会長として登録された、その商会の名を使うことを許された商人など、一人しかいないのです」
「それは――」
「孤児院に、多くの知識と智慧を齎し、たくさんの援助をしてくれ、そして孤児院が自活出来るように商売の種を揃えて商会として設立させた、冒険者兼商人。
その当時は既に冒険者を廃業して騎士となり、国と運命を共にしたはずの、町の英雄です」
そのエピソードは、美奈からも聞いたことがある。モビレアにある孤児院の、院長先生の、幼少時代の逸話。焼け落ちた町にかつてあった孤児院を救った、(おそらく)転生者である冒険者の物語。
ここでもまた、時と人物が重なる。その冒険者が誰なのか。ソニアさんの、夢見るような語り方で既に知れている。ギルマスも言っていたじゃないか、「身寄りのない自分を受け入れてくれた町が滅びたのち、元その町の住民だった難民一万余を受け入れ、また仕えていた国の王女たちや幼い王族を保護し、彼らを守る為の国を興した」と。
「私は、ハティスのことを憶えていません。難民時代のことは、つらく苦しい毎日だったと朧げに残っている程度です。
私の記憶は、だからボルド市に仮設された難民村に身を落ち着けてからです。
新しく出来たネオハティスの街で、陛下の使い魔である魔鷹と遊んだ日々からが、私たちの歴史のはじまりです。
でも、私たちと陛下が出会った町、私たちの根であるハティスの街のことは、大人たちから何度も聞かされていました。だから、一度は行ってみたい場所でもあります」
◇◆◇ ◆◇◆
今回の依頼について、念の為領主様にも詳しい話を聞きに行った。
「ゴブリンをはじめとする、魔物の集落など、世界中のどこにでもある。
ゴブリンの王国などを認めたら、その他の魔物の集落の全てが人類に対して独立運動を起こすことを想定しなければならなくなる。そんなことは、出来るはずがない。
そもそも、この世の魔物の全てを殺し尽くす事が出来れば、はじめからそんな心配はないのだろうが、それが出来ないからこそ冒険者がいて、市民を守る為の領主がいるのだからな」
領主様のお言葉はもっともなこと。だけど、幾つかの問題を短絡している。
魔物同士は、連絡出来るのか? この集落のゴブリンと、あの集落のゴブリン。そこの集落のゴブリンと、隣接する集落の豚鬼。或いは隣接していない地の、別の魔物の集落。
そして、ゴブリン以外の魔物が、人間の言葉を解したという話は、それこそ物語の中でさえ竜くらいしか出てこない。なら、「国家を建設」し「人間に対して宣言」する魔物は、ゴブリン以外にいるのだろうか?
「ただ、この一件に関しては、ギルマスからも話を聞いたと思うが、ローズヴェルト王国とも共同歩調をとることになる。このモビレアと隣接するアルバニー伯爵領から、既に先遣隊がリュースデイルの関を目指しているという。
まぁモビレアからの特命冒険者、となると先方は複雑だろうから、接触せずに済むのなら接触せずに諸君らは任務を遂行してくれた方が良いかもしれないな」
そしてあたしらは、北に向けて出発した。
(2,945文字:2018/02/25初稿 2018/09/30投稿予約 2018/11/19 03:00掲載予定)
・ 松村雫さんたちは、「A・スチール」発祥の地の名称を聞いていたはずですが、忘れてしまった(というか、思い出さなかった)ようです。




