第24話 領主城滞在記
第06節 北へ〔1/6〕
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
領主の城には、結局五日間滞在することになった。
建前上は「取り調べの為」だが、どこからどう見ても客分扱いだったのは、領主のみならず使用人の皆さんにもあたしらが無害だと認めてもらえたという事だろうか?
バタバタした最初の一日はバタバタしたまま過ぎ去ってしまったが、二日目からは普通に公爵一家があたしたちを食事に誘いに来た。公爵夫人に「着ていく服がない」とシンデレラのようなことを言ったら、普段着で構わない、と。お言葉に甘えて平服で座に着かせていただいた。
けれど、その所為で。その日のうちに、公爵夫人は出入りの仕立屋を呼び、あたしと美奈のドレスを仕立てると息巻いた。必死で固辞したのだが、聞き入れてもらえず。
また、三日目には公女アドリーヌさまがあたしの部屋に飛び込んできた。公女殿下はどうやら作法の講義が苦手なようで、家庭教師が来たら、逃げ回っているのだそうだ。だけど。
「公女様。どうして作法の講義がお厭なのですか?」
「だって、どうしてただ立っているだけでぐちぐち言われるの? どうして歩くだけで怒られなきゃいけないの? そんなの変じゃない!」
「そうですね。普通の人は、誰からも歩き方を教えてもらいません。いつの間にか自然に歩けるようになり、考えること無く歩きます。でも、だから変な癖がついてしまってみっともない歩き方になってしまう人も、少なくないんです。
公女様は、綺麗なドレスを着るのはお好きですか?」
「うん! だって、綺麗な服を着ると華やかな気分になれるじゃない?」
「そうですね。では、ただ歩くだけで華やかな気分になれれば、それはもっと素敵ではありませんか?」
「……え?」
「ちょっと見ていてください」
そう言って、あたしは公女様の前で、部屋の隅から隅まで一往復、歩いてみせた。
あたしが学んでいる礼法は、所謂「武家の礼法」だ。それは西洋貴族の礼法とは違い、戦場に身を置くことが前提の礼法になる。だから単なる歩法にしても「魅せる」為のモノではなく、身体に負担をかけず、またどの方向に対しても即応出来る姿勢を保ち続けることが本義となる。
それでも。「整った姿勢」を保ち、「どの方向に対しても即応出来る」すなわち意識に余裕があり、また周辺に意識を配れるのであれば。これは貴婦人の所作としても充分に通用するものだろう。
「――如何ですか?」
「凄い! きれー。水面に葉っぱが流れていくみたい」
「有り難うございます。でも、これと同じことを、公女様も出来るのですよ?」
「でも……」
「ちょうど良いじゃないですか。今、姫様は家庭教師の先生から逃げていらっしゃいます。つまり、礼法の授業をサボっておられる訳です。なのに、その時間を費やして、ちゃんとした歩法を身に着けられたら。家庭教師の先生も吃驚なさるのではありませんか?」
その、あたしの提案は、公女殿下には魅力的だったようだ。そして、「やらされる」のと、「本人が興味を持ってやりたがる」のでは、成果の度合いが違う。また特に歩法などは、薫習に縛られてしまう。その為、幼いうちから身に着けておけば、それだけ意識せずに歩けるようになるのだ。
たった三日間。歩法を中心とした礼法講座だったけど、アドリーヌ公女殿下には学ぶことが多かったようで、城を辞する時公爵夫人に感謝の言葉を戴くことになった。
ところで。あたしの弓と、クボタンをはじめとする護身具は、二日目には返却してもらえた。それだけではなく、登城の際に預けた小剣も。確かにあたしたちには〔亜空間倉庫〕があるから、表面上の武装解除には意味がない。けど、だからといって帯剣を許すのは、間違いなく特例だ。それどころか、今後も登城の際に剣を預ける必要はないとのお墨付きまでいただいてしまった。
そして城にいる間。毎朝恒例の『杖道講座』はお休み、とはしなかった。
衛士たちの練武場の一角を借りて、彼らとともに杖道の鍛錬。勿論、一般の参加者はない、と思っていたら、衛士たちが興味を持ってきた。
「それにしても。松村さんは忙しいな。お姫様に対する礼法講座に、衛士に対する杖道講座。貴婦人と騎士の両方の役をこなす訳だ」
〔倉庫〕で、飯塚にそう言われてしまった。
「武芸十八般っていうだろう? 一つの武芸を窮めるのに一生かかるのに、18もの武芸を窮めることなんか、常識的に考えて出来るはずはない。けど、日本の武術は、基本的な体捌きは同じで、違いはルールだけなんだ。
以前も話したと思うけど、杖術は『剣が折れた、槍の穂先が砕けた、弓の弦が切れた』などの状況でも戦闘力を維持することが前提で、だから当然杖道は、剣道・槍道・弓道などと同一の動きになる。
そしてその体捌きを日常で表現するものが、礼法だ。むしろ、この両者を分けて考える西洋の方が、あたしには無意味に思えるね」
◇◆◇ ◆◇◆
なんだかんだで忙しかったのは、あたしだけじゃなかった。
武田は、歴史や経済について多くを学ぶことを求め、ちょうど城にいた(公女様の)家庭教師に喰いついた。お姫様も、共に学ぶ仲間がいるというだけで、一人で勉強するよりは身が入るようだ。しかも、時には年上である武田にも教える立場になれるのだし。
柏木は、衛士に交じって武芸の鍛錬。あたしらの中ではどうしても単調になりがちだから、色々なパターンの戦況での対応策を学んでおきたいのだそうだ。
飯塚は、ハンス執事長に弟子入りしたかの如く、色々と聞いて回っている。
飯塚がハンス執事長の弟子ならば、美奈は侍女長に弟子入り? いつの間にやら侍女たちに交じって給仕や掃除などをしていた。
ただ美奈の場合、〔泡〕で全体を把握する事が出来るので(それどころか〔泡〕に石鹸水を纏わせて掃除に応用することも出来るようになっている)、むしろ侍女長が美奈に色々聞いていた。
「えっと、難しい話じゃないんだよ? 『美しい動き』っていうのは、無駄のない動きなんだよ? なら、侍女さんたちの中で一番美しい動きをしている人のを真似すれば、一通りの事が出来るようになるんだよ?
逆に、余りにも美しくない動きをしている人がいれば、その人は何かがあるんだよ?
例えば、あの女。左肩が僅かに下がっていて、しきりに周囲の視線を気にしていますよね? あの人の左のポケットに、きっと人に見られちゃいけないモノが入っているんだよ?」
〔泡〕で城中の人間の導線を把握したように、人間の「体幹の導線」の乱れで、隠し事を見抜く。この城で美奈が身に着けたスキルは、はっきり言ってちょっと怖いものがある。
◇◆◇ ◆◇◆
そんな五日間を過ごし、あたしらは城を辞した。
ギルドに顔を出すと、あたしたちは事後発注という形で銀札の依頼を熟したことになっていた。領主一家の護衛並びに城内の不正分子の大掃除、そして公女殿下に対する礼法指導など。
そして後日、『青い鈴』に、公爵夫人からドレスが届けられた。「これを着てまた遊びにいらっしゃい」とのメッセージと共に。
(2,953文字:2018/02/18初稿 2018/09/30投稿予約 2018/11/09 03:00掲載予定)
【注:『薫習』(仏教用語)とは、「長年の習慣が、残り香のように染みついてしまうこと」を意味します】
・ 「貴族の礼法」の歩法は、美しさを見せる(美しく魅せる)ことが前提の為、〝一本橋の上を歩くように〟一直線に歩きます。けど、一直線に歩く為には腰を捻らなければならず、その反動を吸収する為に上半身を反対方向に捻らなければなりません。結果、揺れる体幹を抑える訓練をする為に、「頭に本を乗せて歩く」などをするのです。
一方、「武家の礼法」の歩法は、自然に足を前に出します。足は左右にあるのだから、当然それは二直線。けどその結果、腰を捻る必要はなく(だから体幹は乱れず)、無駄な力が入らず、更に周囲に意識を配る余裕も生まれるのです。ついでに言えば、和服で「一直線に歩く」ことに意味がないというのも理由ですが。
そんな違いがあるから、松村雫さんは、公女殿下に歩法を指導する前に、公女殿下の家庭教師に一通りヒアリングしています。
・ 公爵夫人から頂戴したものは、ドレスだけでなくアクセサリーも込みで、です。実はそれだけで、平民にとっては一財産。男子用のタキシードとカフスボタンなども一緒にありました(けど、どう見ても男子用はおまけ)。




