P-1 放課後の情景
プロローグ〔1/2〕
◆◇◆ ◇◆◇
その日。
梅雨入りも間近の晩春の日差しが「夕暮」というにはまだ力強く、教室の中を照らしていた。
その日のその情景が、彼らにとっての最後の高校の記憶となることなど、その時は想像することも出来ず。
その日。
一人の少年は、漫画を読んでいた。
一人の少年は、ノートPCで何やら遊んでいるようだ。
一人の少女は、物憂げに校庭を見下ろしていた。
一人の少女は、音楽を聴きながらこの場にいない一人の少年が戻って来るのを待っていた。
そして、一人の少年は。
◆◇◆ ◇◆◇
その少年が教室に足を踏み入れた時。
イヤホンで耳を閉ざしていたはずの少女は、跳ねるように少年の方を向いた。
「遅かったね、ショウくん」
そして、野の花が咲くような笑顔を見せて、少年の名を呼んだ。
◆◇◆ ◇◆◇
「ったく、田島の奴、ねちねちねちねちしつこいっつーの!」
少女に「ショウくん」と呼ばれた少年、飯塚翔は、少女、髙月美奈にそう愚痴った。
「でもショウくん、進路希望調査票を白紙で出したんでしょう?」
「んなこと言ったって、未だ二年の春だぜ? 将来の進路なんか、わかるもんかよ」
「え? 美奈はもう決めてるよ?」
「どんな進路だ? 言ってみろ」
「近くの短大の家政科に行って、花嫁修業して、卒業したらショウくんのお嫁さんになるの」
「ばっ、莫迦なこと言ってんじゃねーよ!」
「莫迦じゃないもん。お義母さまにも許可貰っているもん。
でも、高校卒業するまでは子作りはしちゃ駄目だって」
「こづ……。当たり前だろ!」
幼馴染の恋人同士。その近過ぎる距離感は、恋人という関係になった後も、一緒にお風呂に入った幼い日からまるで変わらず、周りからはままごと染みたじゃれ合いにしか見えない。
「全く、お前らは相変わらず仲が良いな」
漫画を読んでいた少年が顔を上げ、じゃれ合っている二人に声を投げる。
「美奈がいつまで経ってもガキのままだからだよ」
「あ~っ、ショウくん酷い。全部美奈の所為にする気?」
「いいから黙れ。つうか剛田は進路希望、なんて書いたんだ?」
「『剛田』と呼ぶんじゃねぇ。オレの名前は柏木宏だ!」
元いじめっ子のガキ大将は、小学校高学年の頃親戚に絡むとある事件をきっかけに町を離れ、そして高校で再会した。その数年間で色々あったらしく、昔の乱暴者は頼り甲斐のあるムードメーカーに変貌していた。
そしてだからこそ。某国民的アニメのガキ大将に由来する呼称を嫌い、それでいながら少年たちは、それを揶揄いのネタに出来る程度には和解する事が出来ていた。
「オレは身体を使うことしか出来ねぇからな。体育の先生になりたいって言ったら、田島の奴鼻で笑いやがった。『体育教師は知的な職業だ。お前みたいなゴリラが出来る仕事じゃない』ってな」
「酷いな。あれでも担任かよ」
「否、田島教諭の言葉は正しいだろう。高校教師が一日に受け持つ講義は大凡4コマ。だがその4時間の授業の為に、その倍の時間を掛けて準備や研究をする。体育教師なら、その準備時間は運動学や生理科学の理論をまとめる時間という事だ。
生徒から見て身体を使う事しかしていないからとて、身体を使うことしか出来ない人間が成れる仕事じゃない」
冷静に指摘したのは、さっきまで校庭を眺めていた、長身の少女、松村雫。眉目秀麗、文武両道、才色兼備と四文字熟語で表現され、女子の間でも人気の高い少女だった(ちなみに男子からは遠巻きにされている)。けれど親しい友人は多くないとも言われている。
「でもおシズさんは将来のこと考えているの? っていうか、部活は?」
雫の名を、気軽に「おシズさん」と呼ぶ美奈。天然の美奈とクールビューティの雫は、どういう訳かウマが合うようだ。
「親は家業の造り酒屋を継いでほしいみたいだけどな。ただその為に、ろくに知りもしない男を婿取りしなけりゃならないなんて言うのは冗談じゃない。
武の道にも興味はあるけど、今日も『技術はあっても心は無い』って顧問に言い捨てられたばっかりだしな。ったく、何様のつもりだよ」
「顧問教諭様なんだろ? おめぇが弓道部で一番技術があるにもかかわらず、一番熱意が無いのは部外者のオレだってわかるぜ」
「ジャ○アンのくせに生意気言うんじゃない。お前に弓道の何がわかる?」
「弓道の、っていうより、松村さんが天才過ぎて『苦労の果ての成果』を見出せていないのは、傍で見ていれば大体わかりますよ」
答えたのは、宏ではなかった。
クラスでは典型的なオタクと称される、武田雄二。さっきまでPCを覗き込んでいた少年だ。
「どういう意味だ?」
「ボクが子供の頃、色々なことを教えてくれた爺さんが言っていたんです。
『ヒトは、出来ないことがあるから、それを出来るようになりたいと努力し、知恵を磨き、道具を作る。
他人より足が遅いから、速く走りたいと練習する。疑問が解けないから、それを解く為に方程式を編み出す。そして人間は空が飛べないから、飛行機を作る』って。
けど、松村さんは勉強すれば全国一位、運動すれば高校記録。
おまけに芸能プロダクションからスカウトが来るほどの美貌と、他の女子が参考にする程のファッションセンス。
だから、『必死になる』ことがありません。手遊びに手を出して、その道に青春を捧げた人の成績を超えます。
それが、部活をやっている生徒や顧問の先生は気に入らない。しかも、大会なんかでは『勝ちたい』って欲が無いから、どうでもいいところで無意味なミスをする。だから周りからは、巫山戯ているようにしか見えない。莫迦にしているようにしか見えない」
雄二の言葉は、雫の痛いところを思いっきり引っ掻いたようだ。
「ならあたしはどうすれば良い?」
「色んなことを、試してみれば良いんじゃないですか?
松村さんは凄いけど、現実にはまだ高校生でしかないんですから。
スポーツは国内競技レベル、勉強だってマークシートの範囲でしかありません。
国際大会レベルなら、松村さんだって必死に練習しないと勝負にさえならないかもしれませんし、勉強だって答えのない哲学や未開拓の科学分野に挑戦したって訳じゃないでしょう?
色んなことをやってみれば、もしかしたら人生を費やすに値する挑戦を、見つけられるかもしれませんよ?」
それは多分、一つの答え。
但し、「言うは易し」という類の解答だ。少なくとも、当座の役には立たない。
雄二の言葉を、参考程度に受け止めて、いい加減下校しようと雫がカバンに手を伸ばした時。
教室の、床も壁も窓も天井も、一斉に白い光を放ったのである。
(2,797文字:2017/11/25初稿 2018/03/01投稿予約 2018/03/31 19:00掲載掲載 2018/03/31衍字修正)
【注:「剛田」「ジャ○アン」は、〔藤子不二雄著『ドラえもん』小学館てんとう虫コミックス〕の登場人物です】