補講の時間
部屋着に着替えてリビング兼ダイニングに向かうと食欲を刺激するスパイシーな香りがした。
机にはその美味しそうな香りを放つカレーがすでに三人分用意されており、それと一緒にサラダとスープが用意されていた。
「あ、ちょっと兄さん。遅いよ~。もう準備出来てるんだからね♪」
普段なら考えられないような甘い声を出した憂羽が皿を出しながら笑った。
おおぅ、今一瞬寒気が。ついでに腕には鳥肌が立った。
「そうだよっ、朝陽くん!もうあたしお腹空いたよ~。」
すでにテーブルについていた葉音先輩はいつも通り…というわけではないけれども違和感がないくらいにはテンションを取り戻している。
そこで俺の腹の無視が空腹を訴えるように一鳴りし、ようやく机につく。
憂羽も座ったことを見届けてから手を合わせ、妙な空気が抜け切れていない場で食事は開始した。
❁
「大事なのは『間』の取り方だよ。」
「『間』ですか?」
カレーを口に運びながら本来の目的である『葉音先輩による演劇レッスン』は続く。
真っ先に出てきたことは台詞を読み上げるときに重要になるという『間』の取り方についてだった。
「うん、『間』っていうのはね、部活の初めに話した台詞を区切るっていう話にも繋がるんだよ。声を大きくするだけじゃ、伝わらないこともある。だから、上手く『間』を取るってことが舞台を作り上げていくための鍵になるってわけ。」
「なるほど…」
「だから、そうだな…まずは人間観察をするといいよ。教師とか身近な人でもいいし、なんなら洋画とかアニメでもいい。アニメだったら、声優さんは声に特化した人たちだから、すごく感情の入れ方なんかも勉強になるし、台詞の読み上げ方なんかの勉強にもなるはずだよっ!」
「確かに…そうかも…」
まさか普段何気なく見てたものにそんな見方があったなんて…
今度見るときはもっと考えて注意深く見てみよう。教師も、アニメも。
「よし!じゃあ、じゃんじゃん行くよ!」
「はい!いくらでも来てください!」
「ちょっと…兄さんも葉音さんもあたしの存在忘れてない?」
傍から呆れたような声が聞こえた気がするが別に大したことでもないのでそのまま葉音先輩の話を聞き入った。
❁
「ふぅ…」
食後のデザートも食べ終わり一息つく。
テレビではバラエティ番組が流れており、葉音先輩は一言も発さないでその画面に視線を向けていた。
心なしか目が少し輝いているようにも見える。
憂羽は洗い物も真っ最中。初めは葉音先輩も手伝うと言っていたがお客様だからと丁重にお断りし、代わりに俺が憂羽と並んで食器の片付けを手伝っていた。
「葉音さんって変わってるけどいい人よね。」
食器をスポンジで擦りながら憂羽が口を開く。
「普段はもっと賑やかな人だぞ。真面目って言うよりムードメーカーって感じで。」
「そうね、すごく話しやすいもの。あたしにも良くしてくれるし。可愛いし、頭もいいし。」
「おい、後半のそれは関係ないだろ。」
しかも後半の言葉を言うたびに声の温度がだんだん下がっていった気がする。
「いい人だけど、あたしは認めないわ、あんな人なんて。きっと兄さんはああいう人にコロッと行っちゃうんだわ。ホント兄さんは汚らわしい!!」
「謝れ!それは俺に対して失礼だから!言いがかりだから!」
「だいたいただのオタクの兄さんがあんな人と釣り合うなんてことないわよ。自分の立場を考えなさい。そしてついでに鏡を見なさいよ。」
「おい、遠まわしに俺の顔が…その…あれだって言いたいのか?」
かっこ悪い、だなんて自分で言うのは憚られたため言葉を濁す。
「あのな、俺は基本高スペックなんだぞ。顔も悪くないし、成績もそんなに悪くないし、知識も豊富だし。」
「うっわ。自分でそれ言うとかマジキモイ!!って言うかコミュ障でオタク趣味ってだけでマイナスだから!成績も平凡だし!なんならあたしの方がいいし。あ、なんならあたしが勉強見てあげようか?高一の内容くらいなら多分分かるし。」
「マジで失礼過ぎんだろ!だいたい中三のお前に高一の勉強が分かるか!」
「塾でやってる中三の内容簡単すぎるから、頼んで特別に高校の勉強も塾終わりに教えてもらってんの。なるべく上の高校行きたいからね。家から一番近いからって理由で高校選んだ兄さんとは違ってあたしは先を見据えてるから。」
「お前と一緒にされてたまるか!この天才め!」
「あら、それは褒めてるのかしら?」
「そうだよ!!こんちくしょう!」
「ああ、もう兄さんさっさと洗い終わったお皿片付けてよ。ホント使えないわね。」
「ホントお前はきついな!それが実の兄に対しての態度か!」
「ああもう、ホント文句が多いわね。このバカ兄は。だいたいあたしは兄さんのこと兄さんだなんて思ったことないわよ。ただ同じ母親から運悪く産まれただけの関係。」
「それを兄妹っていうんだろ、なに意味わかんねぇこと言ったんだ!」
「ああ、もううっさい!いいから黙って手だけ動かしてればいいのよ!」
「………」
それ以上何も言う気にはならず俺は口を紡ぐ。
何か言っても鋭い答えで返されるだけなのは分かってるし。そもそも疲れるだけだし。
そして俺は全部の食器を片付け終わるまでただ黙々と手を動かし続けた。
決して妹に言い負かされたからじゃない。ここ重要。
❁
さすがにもう外は暗く、辺りも静かだ。時折遠くから犬の遠吠えも聞こえてくる。
そろそろ葉音先輩を送るかな。さすがにご両親も心配するだろうし。
そう思い、ソファに座ってテレビを見ている葉音先輩のところに向かう。
「葉音先輩、もう遅いですし俺、送りますよ。」
「んー…、ああ、もうこんな時間か……」
そう言いながら葉音先輩はふわっと欠伸を漏らす。
そしてゆっくり立ち上がると傍に置いていたリュックサックを掴み、眠そうな表情でフラフラと玄関に向かって歩いて行った。
俺も葉音先輩に続いて、玄関に向かおうとすると憂羽がいつの間にか近くに寄ってきていた。
「いい?兄さん。ちゃんと送り届けるのよ?守るのよ?葉音さんも、貞操も。」
「ああ、もちろ…ってちょっと待て。お前今最後なんて言った?ねぇ、なんて言った?」
「ああもう!!いいから早く行け!そしてそのまま帰ってくんな!」
いきなり声を荒げ、そのまま背中を押されリビングの外に押し出される。
そして大きな音を立てて扉は閉められた。
俺なんか怒らせるようなこと言ったかな?
ホント情緒不安定って言うか、あまりにも理不尽すぎるというか。
「あーさーひーくーん、じゃあ、帰るねー。」
「ああちょっと待って!送りますからっ!!」
もうすでに玄関の取っ手に手を掛けた葉音先輩の元へ俺は急いだ。




