先輩と妹
「葉音先輩!」
いつもより部活の時間が長引いた後、俺はタイミングを窺って葉音先輩に話しかけた。
他の部員はみんなもう帰った後でここにいるのは葉音先輩に用があった俺と施錠をするためのんびりと帰り支度をしていた葉音先輩だけだ。
「ん?なんだい?」
鞄を肩に掛けながら葉音先輩はのんびりとした声を上げた。
「俺に先輩の知っていること全部教えてください!」
インターネットで調べることには絶対的な限界がある。やはり文字だけでは理解もなかなか進まない。
だから、伝統ある『演劇部』の現部長である葉音先輩に聞くのが一番手っ取り早いと考えたのだ。
今日は葉音先輩、そして他の先輩にも別の日に聞きに行く予定だ。それぞれ考え方も違うだろうし、見方も違う。
一刻も早く技術を身に着けるためにも知識を満たす必要があるのだ。
俺の頭の中はその思いで埋め尽くされ、知りたいという思いで生まれた興奮から顔が紅潮しているのが自分でも分かる。
一方、そんな俺に詰め寄られた葉音先輩はというと変に視線を泳がせ、数歩後ろに下がって俺から距離を取った。
「朝陽くん……気持ちは嬉しいんだけどあたしたちまだ知り合って日が浅いというか、いやー…朝陽くんはそう思っててもあたしは朝陽くんのことずっと後輩としてしか見てこなかったわけで…だから困るなー…なんて。」
頭を掻きながら顔を赤くする葉音先輩を見てようやく俺の言葉が俺の思ったように伝わっていないことに気付いた。
「違いますよ!?別に俺は変な意味で言ったわけじゃなくって!!さっきのは先輩の知ってる演劇がもっと上手くなるための知識を教えて欲しいっていう意味で!!」
慌ててそう言うと葉音先輩は胸元に抱えた鞄を持つ手を緩めた。
「なーんだ、もうびっくりするなぁっ!それならそうと言ってよ~。うん、じゃあ可愛い後輩のためにあたしが一肌脱いじゃおうかな。」
「ホントですかっ!」
「……っと思ったけど今日は無理だねぇ、残念ながら。」
期待していた気持ちが一気に下がる。
『何でですか』と聞く前に葉音先輩は言葉の続きを言う。
「今日はもう施錠しないといけないんだよね。元々今日は早めに施錠するように事務の人に言われてたし思いのほか部活が長引いたからね~。だから、もう時間ギリギリなわけ。」
「そ…そんなぁ。…じゃ、じゃあ帰りながらでいいです!どうですか!?」
なおも俺は食い下がる。もう全然かっこよさのかけらもないし、非常に情けない言い方ではあったけれども知識を吸収するために背に腹は代えられない。
「でもあたし今日外で食べて帰るつもりなんだよねぇ。急がないと閉まっちゃう可能性もあるし、お腹空いたし。……じゃさ、一緒に食べに行く?」
「えぇ!良いんですか!」
「うん、そんなにやる気になってる後輩を無下にも出来ないからね。」
「ありがとうございます!!ほんと助かります!…じゃ、じゃあ、家に連絡するので少し待っててください!!」
「はいはーい、あ、でももう閉めるから外に出てね~。」
「了解です!!」
やった、これで俺はもっと桜ヶ岡先輩に近づける!
桜ヶ岡先輩に聞いた方がもっと話せたり、先輩のことを色々知ることも出来るのかもしれない、でも俺はそれよりも演技が上手くなって先輩に褒めて……もといびっくりして欲しいのだ。
梅雨の終わりになり、現在雨は降っていないものの生ぬるい風が吹き抜ける外に出て、鞄から携帯を取り出す。
そして、慣れた手つきで携帯を操作し、家にコールッ!!
何度か無機質なコール音が鳴り響いた後、聞きなれたはずの妹の声が聞こえた。俺に接する時とは大きく異なる外向きのぶりっ子声で。
『もしもし、どちら様でしょうかっ?』
「いや、俺だけど。」
俺の家の電話は登録された番号は電話機の画面に表示されるようになっているはずなんだけどな…
あっれー?おかしいなー?
まさか家族の中で俺だけ番号を登録されてないなんてことないよなぁ?
その予想は的中していたのか、電話の相手は舌打ちをし、雰囲気をガラリと変えたのが分かった。
『…なんだ、兄さんか。あーあ、いい風に電話取って損したぁ。…で、何よ。三秒以内に用件言わないと切るわよ。』
「いやいやいやいや!ちょっと待てぇ!用件があるから電話したんだろ!!切るな!切らないでください!」
『はぁ…ちっ、で何の用?』
今、こいつ舌打ちしたよな?ホント、可愛くない。
「俺今日先輩と食べて帰るから。だから晩飯いらない。」
いつ通話を切られるのかも分からないため、手短に用件を言う。あとは妹様の『あー、はいはい』というような投げやりな了承の言葉を待つだけだ。
『はぁ!?なに言ってんのよ、このバカ兄!!』
だが、そんな答えは返ってこなく、代わりに返ってきたのは声を荒げた憂羽の怒りの声だった。
『今日はお父さんもお母さんも遅くなるって言うからあたしが作ったのよ!!なに?せっかくあたしが時間をかけて作った料理が食べられないって言うの!?』
「違うよ!そうじゃなくて晩飯食べながら葉音先輩に演劇について色々教えてもらうことになってるんだよ!!」
『…葉音先輩…?』
あ、やば。うっかり先輩の名前を出してしまった。
なぜか憂羽は昔から俺が異性の名前を出すといつも以上に不機嫌になるのに。
『へー…、先輩とご飯食べて話すだけならやましい気持ちなんてないわよねぇ?』
「そんなの当たり前だろ!」
そもそも俺は他に好きな人いるし!!
『だったらうちでもいいわよね?』
憂羽の言いように憂羽が何を考えているのかは分かった。
「絶対やだかんな!うちに連れて行くのは!」
『いいじゃないのよ!どうせ作りすぎてるから一人増えても変わらないし。それともなに?やっぱりやましい気持ちでもあるの?』
「いや、そうじゃなくて…」
どうこの場を回避しよう…
昔から憂羽は頑固で一度自分の中で決めたことは変えないのだ。
こうなってしまったらてこでも動かない。
「どしたの?」
そこで施錠を終えたらしい葉音先輩が鞄を背負い直しながら俺の方に近づいて来た。
『…今のって女の声…』
耳元からこちらの音を拾ったらしい憂羽の冷たい声が聞こえる。
「いや、なんでもないです!ちょっと手間取っちゃって!」
携帯を耳から一時的に離し葉音先輩になんでもないように笑いかける。
そして再び携帯を耳に当てた。
「もしもし?それで晩飯のことなんだけど……」
『…兄さん。さっきの人に今すぐ電話を代わって。』
「は?そんなの嫌に決まって……」
『早く変わらないと兄さんの部屋が悲惨なことになるわよ?』
「葉音先輩!!うちの妹が葉音先輩と話したいみたいなんですけど大丈夫でしょうか!!」
あっさりと妹の脅しに負ける俺。
俺のお宝グッズたちを処分するなんてこと憂羽ならやりかねない。いや、もしかしたらもっとひどいことになる可能性も…!!
「……?」
葉音先輩は首をかしげながらも俺から携帯を受け取り耳に当てた。
「…もしもし。いつもお世話になっております。私、由真朝陽くんと同じ演劇部で部長をしております。鈴暮葉音と申します。……はい…はい。…そうですか‥‥はい…分かりました。」
いつもとは異なるテンションで真面目に電話に出る葉音先輩に思わず驚く。
いつもテンションが高いトラブルメーカーという印象だからこういう雰囲気の先輩はとても新鮮だ。
しばらくすると葉音先輩は通話を切った。
「はい、朝陽くん。」
そして差し出された携帯電話はを受け取る。
「よし、じゃあ行こうか。」
「行くって…どこに?」
「どこって…朝陽くんの家だけど。」
「マジで行くつもりなんですか!?」
憂羽のやつ先輩に何言ったんだ!?
「うんっ、マジマジ!大マジ!」
「妹になに言われたんですか!?」
「それは乙女の秘密だから言えないな~。」
そう言い先輩はコロコロと笑う。
ホントに何話したんだ!!
「ほら、行くよ~。早くしないと正門も閉まっちゃうからね。」
先輩はそのまま正門に向けて歩き出す。
「あ、ちょ、ちょっと!」
俺の生死の言葉は当然先輩に届くはずもなく俺はだんだんと遠ざかって行く先輩の背中を追いかけた。