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ベッドの上で仰向けになりながら、香苗はこんな治療は無意味だと考えていた。
この病院に来てすぐに簡単な問診を受け、長ったらしいだけのアンケートを書かされたが、
その最中も頭の中はスマホのゲームのことで一杯だったのだ。
それが終わるとこの部屋に通された。
いや通されたというよりかは、隔離された、と言った方が正しいのではないか。
このドアも壁も床もベッドも、全て白一色で統一された部屋はあまりに人工的な感じがして落ち着かない。
天井でチカチカ光る蛍光灯もまた、部屋の無機質さと閉塞感を増長させるのに一役買っている。
ドアは一般的な病院によくある横開きのドア。ただ一般的なそれと違うのは、ドアに電子ロックが
かけられていてこちら側からは自由に開けられない点だ。
部屋の中に簡単なユニットバスがついているので特段困りはしないし、ナースコールや部屋に備え付けの電話
(例外なくこれも白い)で連絡を取れば、医師や看護師の付き添いありで外へも出られる。
しかし何よりも隔離されている感覚をより味あわせているものが窓の格子である。
確かにこんなところに入院するような者は、ここが7階の高さとはいえ、いとも簡単に
飛び降りてしまいそうではある。そういう意味では入口の電子ロックも窓の格子も納得がいく。
薄っぺらい病衣とベッドのシーツの手触りに嫌気がさしながらも、この1週間の治療が終われば
また自由になれると早苗は思った。
夫と離婚し、この山中の精神病院に入院する今日までの時間は嵐のようだった。
離婚の原因は香苗のゲーム中毒。
最初は職場の同僚との、共通の話題作りで始めたに過ぎなかった。
だが次第にゲームは私生活を蝕み、香苗の中でゲームが生活の大半となる。
食事などもちろん準備しない。掃除もずっとしなかった。
課金にも手を出し、気がつけばクレジットカードの請求額は月10万円程に膨らんでいた。
向こうの両親にも、自分の親にも泣かれた。夫はもう何も言わなかった。
離婚届を記入している時ですらゲームの事が忘れられない。頭の中はゲーム一色。
過去の辛い記憶ですら、ゲームに結びつく。現に今もそわそわと落ち着かない。
まだ本格的な治療が始まっていないため、スマートフォンの携帯は許されている。しかしWi-Fiはおろか、
電波すら届いていない。
アプリどころかネットすら見れないのだ。
ロック画面で時間を確認する。
午後8時45分。
スマートフォンから目を離し再び天井を見上げる。
ふと、部屋の灯りが全て落ちた。香苗は思わずベッドから起き上がる。窓の外の月明かりだけが部屋を照らしている。
就寝にはまだ時間があるはずだ。停電だろうか、それにしてはなんのアナウンスもない。
ゲーム中毒の彼女でもさすがに、慣れない場所、暗い部屋に一人では心細かった。
だが、入口を見て彼女はさらに驚いた。
「ロックが外れてる…?」
電子ロックがかかっていることを示す赤いランプが消えていた。解錠時の緑のランプもついていない。
この停電で部屋のロックが解除されているのか。
彼女は気がつくと、ドアに手を伸ばしていた。
一瞬手を引っ込める。しかし、また手を伸ばし取っ手を掴む。
その時、アナウンスが聞こえた。ひどくノイズ混じりで音量も滅茶苦茶で早苗は竦み上がった。
情けない声を出し、ドアから手を引っ込め、音の方へと顔を向ける。
こんな時、薄っぺらい病衣は更に不安を掻き立てる。
アナウンスはほとんどがノイズだったが、時折声が聞こえた。野太い男の声だ。この病院の医者なのだろうか。
『………れ…ら……迎え……きま…す。』
ところどころしか聞こえない。だが病院の者がこんなアナウンスするだろうか。
何と言っているのだろう。だが次に聞こえた単語に香苗は恐怖を覚えた。
『吉澤香苗さん。』