Good Morning, Sunday.
水河葵のとあるSunday Morning
ぶん、ぐぉん、ぶんっ
外からでも微かに重ったるい特有の音が聞こえてくる。
それに引き換え、私のこころはこの音で弾み、軽やかになる。
音がするのは、誰か先客がいる証拠だから。
日曜日の朝。AM7:00。春が近づいてきた最近、早朝でもあたりが明るくなり始めたのが嬉しい。少しの日差しは、今日の先行きを明るく照らしてくれるよう。
ちょっぴり重たいランドリーの扉まで小石でできた通路を足早に進み、もってきた洗濯かごを地べたにトスン、と置いた。「かりふぉるにあ・ふらっと」の住人だけに渡された鍵を鍵穴へとさしこんで回す。管理人さんのいる「センター」正面入口から入らずにコインランドリーへと直に入ることができる、裏口専用の鍵だ。少し古くなった旧式の鍵は妹いわく使うのにコツがいるらしい。ただ、中学校の時から毎週通った私にしてみれば、これ以上回しやすい鍵穴もない。
ぶん、ぐぉんっ、ぶん、ぶん、ぐぉんっ
入ればすぐさま、重苦しい音が反響して響いていた。その音の合間をぬうように、ばらり、と紙をめくる音がする。それから、大きなあくびも。
「ふぁ?」
あくび顔のままこちらをむいたのは、”近所のお兄ちゃん”。花の男子大学生・高石尚。大きく空けた口を隠す恥じらいもみせずに、こちらに視線を向ける。洗濯機を背もたれに丸イスに腰掛け、だぼついたグレーのスウェットに包まれた足をかったるく組んでいる。膝の上には、週刊マンガ誌。ただし、彼が買ったものではなく、毎週律儀に管理人さんが“忘れて”いってくれているものだ。
彼のことは、それこそ生まれた時から知っている。いや、生まれた時にはもう、そこにいた。
そう言った方が年下の私にしてみれば、正確なのかもしれない。さっくり言えば“近所のお兄ちゃん”だけれども、管理人さんいわく「抜け目なく賢い器用なやつ」で、私の母親いわく「かっこよくて礼儀正しいお兄ちゃん」で、妹いわく「優しいパトロン(マンガ限定)」らしい。
「おぉ、おはよう。小娘。」
そういって、にやにや笑う彼に対する私の評価は、「いつまでたっても小学生男子」だ。こんなヤツのどこがよくって、近所のあこがれのお姉さんが付き合おうっていうのかが、ちょっとよく分からない。本当に、どこがよくって。そう思って睨みを利かせていたら、ちょいちょいっと、綺麗な長い人差し指で手招きされる。
訝しげに、けれども吸い込まれるように、私は彼の方へと足を進める。尚は、スウェットを着ていると分からないけれども、実際は嫌になるくらい長い脚で少し離れた位置にあったもうひとつの丸イスを、がらがらと自分の隣まで雑に引き寄せた。
「お行儀が悪いな、もう。」
ついついこぼれ出るのは、私のいつもの小言。そんな私を面白そうに眺めては、何も言わずにぽんぽん、と空いた丸イスをたたいた。『ここに座ったら?』なんて優しく声をかけてくれたのは、もうずいぶん前のことのような気がする。
「華の高校生のうちから可愛げがなくてどうする。」
優しい憧れのお兄ちゃん、もかわいい年下の女の子、も毎週決まって顔を合わせたら、互いの本性が見えてくるってものである。
「うるさい。」
私の反論には涼しい顔をして、読み途中だったマンガへと視線を戻す。「可愛げ」がないのは主観的にも、客観的にもよくわかっている。この前だって部活の男友達に言われたばかりだ。「お前は、結構好みの美人だけど、色気も可愛げも感じないんだよな。なんでだろうな?」こっちが聞きたい。その上、続く言葉は、まぁ、お前ほどちょうどいい女友達はいない。別に、相手に対してこっちも異性としての情は持っていなかったからどうでもいい、とは思っていたけれども、男子複数名に同じことを指摘されれば、気になってしまっても仕方ない。それもあってなのだろうか。涼しい顔して的確に同じ地雷を踏んできた尚に、私は自分でも不思議に思うほどいら立ちを覚えた。座っている彼のつむじを少し睨んでから、わたしはいつもみたくは、彼の隣に座らなかった。
尚から一番離れた場所におかれた洗濯機にまずは持ってきた洗濯物をほおり込む。少し雑談をしてから洗濯物を始めるといういつもの私と違う行動を感じとってか、ちらり、と彼が視線をよこしたけれども無視。流れ作業でピ、ピ、と設定をし、運転ボタンを押す。尚の回している洗濯物と、私の回し始めたもの。重い音が二重になって、ぐぉん、ぐぉん、と鳴り響く。からっぽになったかごを抱えて、私はしばらくの間ぼぉっと回る洗濯機を眺めていた。けれども、ぱらり、とマンガをめくるまぬけな音が大きく聞こえて、なんだかバカらしくなる。どうせ、こんなことしたって、尚にとっては、いつもの“売り言葉”なだけだろうし、もともと自覚してる私の特性を言い当てられたくらいで怒るなんて、私らしくないし大人げない。
ため息をひとつ。それからようやく、のろのろと彼の隣に腰を下ろした。「だって、丸イスは二つしかない」から、ここに座るしかない。いつもみたく席についた私に、ちら、とよこした彼の視線を感じたけれども、やっぱり無視して、手持無沙汰に空っぽになった洗濯かごの中を見ていた。あぁ、今日に限っていつもみたいに文庫本を持ってくるのを忘れた。バカ、わたし、馬鹿。取りに帰ろうか、でも、この流れだと、ますます意地っ張りに怒ってるみたいに思えちゃう気がする、そんな風にウジウジ悩む私も、らしくなくてうっとおしくなる。そんな自分に、ため息がもう一つこぼれ出た。
ふいに、がさごそ、と紙袋を漁る音が隣からする。
「ん。」
目の前に差し出されたのは、待っていた少年漫画の新刊だった。
「へ?」
「このまえ、かりんちゃんに会った時、貸すって約束したから。」
かりんとは私の妹の名前だ。
「お前もこのシリーズ読んでるんだったら、読めば?」
ぱちくり、と尚の顔を思わず凝視していると、ん、とマンガを押しつけられた。
「あ、りがとう。」
ぼんやり答えた私に、ふっと片頬をあげて笑う。
続いて、はい、と差し出された彼のこぶしの下に、私が手のひらを広げると、イチゴ味のミルクキャンディがひとつぽとり、と落ちてきた。
「ラウンジにおいてあった。」
それだけ言うと、視線をマンガに戻して、彼は朗らかな鼻歌を歌う。
ありがとね、っていい感じの女の子が2人で歌う曲。
「それ、」
「ん?」
「その歌、ちょっと古くない?」
「そ?」
「でも、好きだけど。」
「なら、よかった。」
視線はマンガに向けたままにこり、とだけ笑って、彼は鼻歌を歌い続けながらそれを読む。
私は、丁寧に飴の包み紙を開いて、パステルピンクの中身を口にほおり込んだ。甘くて柔らかな味が、私を単純にも丸くしてくれる。それから、貸してもらったマンガを読みだした。
尚の洗濯物が終わって、「じゃ、また来週なー」とかったるく口にするまで、あと20分。
やっと、いつもの日曜日が始まった気がした。
でも、本当はこの時から少しだけ、違ったのかもしれない。
いつもより、あくびの多い尚。
はなちゃんの話題になると、へらへらと綺麗にかわす尚。
色素の薄い綺麗な茶色の瞳が、少しだけ陰っていることに、わたしはちっとも気がつかなかった。