Prologue and Characters
「かりふぉるにあ・ふらっと」
かわいらしいフォントで、具合よく古びた木の看板にはそう書かれている。
“カルフォルニア”がひらがなであるのが、California州に在住経験のある運営者としてはミソである。「ださい」という苦情を多々頂く中、住人のひとりである女子高校生・水河葵は、
「ここに帰ってくるたびにそのセンスを好きだと思うよ、はらさん。」
と可愛らしいことを伝えてくれた。「なんとも、ほっこりした気持ちになるから」好きでいてくれるそうだ。まじめなしっかり者であり、時に冷静すぎて素直になれない所がある彼女にも、愛らしいところがあることを私はよく知っていた。
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遅ればせながら、はじめまして。
ここ「かりふぉるにあ・ふらっと」の管理人兼運営者をしております、“原ふみ子”と申します。
愛称は“はらさん”。
好きな食べ物はアボカド。好きな場所はビーチで、趣味はサーフィン。
「この、カリフォルニアかぶれが!」とお思いかもしれませんが、
よく分かりましたね、その通りです。
合っているのは、アボカドが好きなことくらいです。ちなみに、苦手な食べ物はもずく。
私のことはさておき、このフラットをまずは案内しきってしまいましょうか。
ここ一帯は古くからある住宅街ではあるものの、合わせて10棟ほどになるこの一画だけは、少しばかり毛色が違うのですよ。
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比較的新しいけれども新しすぎず、かといって古すぎるわけでもなく、ほどよくなじんだ空気が流れるここ「かりふぉるにあ・ふらっと」ができてから、30年ほど。緑の多さとこの区画に入って感じる見晴らしの良さは、なるほど、西海岸の解放感を少しばかり感じなくもない(当社比)。
中心にどん、と構えるのは共有スペースのある一棟。オシャレなこじんまりとした一階建ての平屋で、通称「センター」と呼ばれている。ガラス張りの扉を開けば、まず、運営者兼管理人の座る受け付けデスクが目に入るだろう。こじんまりした一室の右手の扉を開けば、ソファとテーブルのあるラウンジへと通じる。そこには、小さな図書スペースやコーヒーメーカーの置かれた簡易キッチンも併設されている。
少し狭い通路の右手にはトイレット。その奥の扉を開けば、コインランドリーへとたどり着く。丸イスが二つと、忘れ物の週刊マンガ誌。 そこから外へ出れば、運営者の趣味で設置された小さな屋外プールにも通じている。時期的には、ちと寒いのが玉にきず。それでも、ベンチでひなたぼっこをしながらの読書は格別だ。夏になると、幼稚園帰りの子どもたちが友達を引き連れてワイワイと遊び出し、ママたちのちょうどよい憩い場になる。
もちろん、苦情のないわけではない。住人の一人、高石尚が常々難癖をつけてくるからだ。いわく、
「はらさん、確かに、フラット名に違わず“カリフォルニア”らしくはあると思うよ。ただ、あっちとこっちの気候差を考えろ。使えるシーズンが短すぎて、管理費が無駄だろ。」
思わず「ほっとけ」と返してしまったが、冷静な彼のコメントには一理ある。さすがは、マンモス校につきもののイベントサークル、自給の上がる夜間のチェーン・レストランでのバイト、その上忙しいが例年有能なOB・OGを輩出する経済ゼミを器用に掛け持つ彼である。
ただ、である。彼の合理的な器用さでは測れない“風情”と“夢”というものをどうか理解して頂きたいものだ。
「センター」のすぐ隣には駐車スペースがあり、すでにいくつかの車が止まっている。「センター」と駐車場、それらを中心にして、取り囲むようにぐるりと家々が連なる。家々から「センター」へと続く道しるべのように丸石で通路が作られ、隙間に覗く地面には小柄な花々が植えられている。
OL3年目を迎えようとしている“はなちゃん”こと上原はなが小学生の頃には、綺麗に植えられた小さな花を積んで帰る度、母親から「こらこら」と叱られたものである。そんな彼女も、今は仕事に邁進中。もう、野に咲く花を見る余裕もなく、朝からバタバタとパンプスをつっかけて出勤している。けれども、私をみかけると、にっこりと笑いかけて「おはようございます」と花のような笑顔を向けてくれるのは、相変わらずで、なんとなくほっとするものだ。
変わるものと変わらないもの。
この「かるふぉるにあ・フラット」を長年見守り続けて、しみじみと感じ続けてきた。
変った、と言えば、もうひと方。高石尚の弟である高校生男子、高石翔。小学生の頃は、兄の後ろをびくびくと付いて回る大人しい男の子だった。けれども、それはどうやら、この世界のナリタチを、兄の後ろからこっそりと観察していただけだったらしい。中学生まで大人しくまじめに勉強して進学校へと進学すると、とたんに兄とは異なる種類の器用な男子に様変わりした。
兄の尚は、どちらかと言えば女性関係では堅実で、年上彼女・はなちゃんと公認で付き合い続けて早数年である。一方、弟の翔はと言えば、言葉通りの“とっかえひっかえ”である。いつもタイプの違う可愛い子を引き連れるという徹底ぶりで、見ているこちらとしては美男美女っぷりに眼福なのだが、家族としては呆れてものも言えないらしい。
色素の薄い柔らかそうな茶色に染めた髪、軽くゆるめたブレザーのネクタイ、スッとした輪郭に合った黒ぶち眼鏡。こっそりと、彼が裸眼で1.2あるということを教えてくれたのは、彼の元カノジョであった。
もちろん、年頃の男女ばかりがいるわけではない。井上双葉ちゃんは、小学4年生の女の子。年の割に大人っぽい落ち着いた印象であり、丁寧に使われて4年目のランドセルを背負って毎日学校に通っている。
テスト期間中なのか、早々とカノジョを連れて帰宅してきた高石翔にも物おじひとつせずあいさつをしている。「わぁー、可愛い。妹さん?」とカノジョが翔に尋ねているが、「いえ、決して妹なんかじゃありません。」と真顔で答える双葉ちゃんの、「こんな女ったらしの妹でたまるか!」という心のうちが読めるようで、翔は苦笑いしていた。
それも致し方ないことだろう。前のカノジョの時も、前の前のカノジョの時も、双葉ちゃんは運よく(?)翔と遭遇し、同じく「妹」に間違えられている。いい迷惑である。
***
そんな「かりふぉるにあ・ふらっと」の愛すべき住人達。
長女気質な女子高校生、水河葵。
大切な上原家のひとり娘、現在OLの上原はなちゃん。
器用な高石兄弟、尚と翔。
そして、もしかするとこのフラット一のしっかり者、双葉ちゃん。
彼女、彼らが日々暮らすこの「かるふぉるにあ・ふらっと」には、どうやらまた、「変化」の予兆がうっすらと漂っているようです。「諸行無常」とはよく言ったもので、変らぬ姿も気持ちもないのかもしれません。けれども、たとえ思い出のたった一編であったとしても、“変らぬ居場所”として、この「かりふぉるにあ・ふらっと」があたたかな場としてあったのなら、運営者の原としましても、とてもとても嬉しいものなのですが。
そっと、寄り添う“誰か”がいてくれる居場所として。