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理知の魔書24

 サキトは顔を引きつらせながらガーゼを持ってくると、ヒタカにそれを突き付けて起こり出す。

「もう、いきなり何!?信じられない!!」

 鼻血を流す護衛剣士に対して相当引いていた。ヒタカはすみませんすみません!と謝り、応急処置を自分で施す。サキトは自分が原因だというのを気付くはずもない。

 ベルキューズはぼそりと『お前のせいだろ』と呟いた。

 不器用な相手に対し、思わせ振りな態度を見せ弄ぶとは、末恐ろしい子供だ。無意識に誘惑するサキトに、翻弄されるヒタカ。こんな人間達にこれから世話になるのかと不安になる。しかし、こんな間抜けな人間達を見守っていくのは、それはそれで暇潰しになるだろう。

 鼻にガーゼを詰めたヒタカは、サキトに怒られ凹みながら部屋を出ていった。はあ、と溜息をつく主人を、ベルキューズは『罪作りな奴だ』と呆れていた。


 …鳥の鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいるのに気付いたヒタカは、重い身体をゆっくり起こした。頭を振り、妙に居心地の悪さを覚える。片付いていない部屋と、制服のまま寝入っていた気持ち悪さ。しばらくしてから頭が冴えてきて、昨日の事を思い出した。

 鼻血を流してしまって、サキト様から怒られたんだ…と。

 凹んで、そのまま部屋に戻って寝ちゃったんだ。嫌だなぁ、疲れてたからってシャワーも浴びていないなんて。

 醜態を晒した後に引かれたせいで、急激に疲れてしまったらしい。恥ずかしいのとショックで、自棄になったようだ。汗臭さの残る制服を脱ぎ、浴室へ向かった。衣服も洗わなきゃな、と洗濯篭に全て突っ込む。時間を見て洗おうと思いながら全裸で浴室のタイルに足を付けた。

 熱い湯を浴び、石鹸を泡立てる。筋肉質の引き締まった身体を水滴が滑っていき、排水溝へ流れていく。広い背中には、サキトを守る為に付いてしまった過去の傷跡が少し残っていた。

 アストレーゼンで暴漢に襲われた時、彼を庇った際に斬られた痕跡。司聖ロシュの治癒魔法で回復したが、傷跡はまだ消えない。しかし、これが彼と自分を繋ぐ決定的なものになった。自分には何も突出するものはない。だが、他の人間を守る力はある、と教えてくれたのはサキトだった。

 僕を良く守ってくれたね。褒めてあげる。

 そう言って、彼は愛らしく微笑んでくれたのだ。その様子が神々しく見えて、惹き付けられてしまった。周囲の噂では第三王子は我儘で最悪な性格だと言われていたが、何故か靡いてしまった。彼の望む事なら何でもしてあげたいと、跪いて靴の先に誓いの口づけをしたくなった。…一瞬だけだが。

 やはり少し気分屋で、疲れる時は疲れる。

「はあ…今日はしんどいなぁ」

 ゆっくり湯船に浸かりたいが、仕方無い。ヒタカは全身を洗い流すと、水滴を拭いて浴室から出る。バスタオルを収納する戸棚からタオルを引っ張り、そのまま部屋に戻った瞬間、彼は硬直した。

「あ、戻って来たの、クロスレ…」

 何故か、自分の主人が居た。ベッドに腰掛け、普通に。

 対する自分は完全な全裸で、下着すら着けていない。固まり、頭が真っ白な状態になるヒタカに、ベルキューズが『うほ!』と変な歓声を上げる。

『…でけぇなお前!!立派なもん持ってやがるじゃん!!』

 その冷やかしの言葉に、やっとヒタカは顔と全身が火照りだした。サキトも眼前の全裸姿の従者を見て、真っ赤になる。

「ひ…ひゃあああああ!!!見ないで下さいっっ!!!」

 慌てながら前をバスタオルで隠しながらヒタカは叫んでいた。言葉を失って手で顔を覆うサキト。バタバタとクローゼットから下着と服を取り出すと、脱衣所に下がっていった。

 ベルキューズは真っ赤になり固まるサキトの周囲を飛び回り、『ありゃ女を相当喜ばせてたな!』と下品極まりないセリフを吐いていた。喜ばせていたかどうかはサキトには全く興味がない。

「不注意過ぎるよ、もう!ちゃんと着てから出てよね!」

「すみません!まさかいらっしゃるとは思わなくて…」

 何のアクションもなく部屋に入る方もどうかと思う。急いで服を身に付け、部屋へ再び戻る。サキトはようやく覆っていた手を離し、気まずそうな表情で「イルマリネから報告が来たんだけど」と話を切り出した。

 ヒタカはベッドに腰を掛けているサキトの前に座る。それを見て、ベルキューズは完全に下僕じゃないかと思っていた。逞しい体型とは逆に、優しげな顔と性格が噛み合わない人間は初めてだ。

「すみません、俺が真っ先に聞きにいかなければならないのに」

「ううん、イルマリネが部屋に来てくれたんだよ。アストレーゼンから連絡が来て、司聖ロシュ殿が詳しいんだけど、今は宮廷魔導師の宿舎と研究室の改築で手が離せないんだって。代わりに補佐のオーギュスティン殿が話を聞いてくれるみたい」

「ほ…」

「ただ、向こうから来させるのも悪いし、魔法でベルキューズを転移させたらいいんだけどやり方が…」

 隣国にこちらから向かうのもお互いの国の準備などで大掛かりになる。サキトが単独行動に出ようとしても、父王が許可しないだろう。別の方法では魔法の力になるが、術者が記憶していた場所への転移魔法がある。しかし、サキトにはそこまでの力は無かった。

 しばらくして、ベルキューズは『そのオーギュスティンとやらに転移魔法でこっちに来て貰えばいいんじゃねえの』と口を開いた。サキトとヒタカは浮かぶ彼に目をやる。

「ん!?」

『あっちじゃ、かなりの魔法使いなんだろ?単独転移なら出来るだろうよ。何なら俺が引っ張ってやるしな』

 ヒタカは彼の言葉に、すっと立ち上がった。サキトは「どうしたの?」と彼を見上げる。

「先輩に聞いて来ます!あちら側にも問い合わせてみないと」

 善は急げだ。ヒタカはすぐに部屋を出ていった。そんなうまいこといくかなぁ…とサキトはベッドに倒れ込む。出来れば、自分がアストレーゼンに行きたいのだが。

 バサバサと本のページを遊ばせるベルキューズは、サキトに『お前、人の部屋に入る時は声かけした方がいいぜ』と忠告した。

「シャワーだとは思わなかったの。まさか裸で出てくるなんて」

『ははっ、でけぇからビックリしたろ!』

「大人なんだから当たり前でしょ!」

 思い出し、サキトは顔を真っ赤にしながら身体を起こした。冷やかすベルキューズを捕まえたと同時に、部屋の扉が開かれる。

「サキト様!許可が下りました!オーギュスティン様がこちらにいらっしゃるそうです!」

 あっさりとした展開に、サキトは目を丸くしていた。

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