強さの理由9
黙っててよ!とサキトはヒタカに忠告する。主人に黙れ動くなと言われれば、それに従うしかない。だが、これから何をされてしまうのか、凄くドキドキしてしまう。
分かるのは、サキトが自分に近すぎる位置に居る事。緩やかに気配が動くのを感じながら、ヒタカは自分の胸の鼓動や息継ぎが激しくなっていくのを悟られぬよう努めた。
「クロスレイ」
「は、はひ」
「じっとしててよね。すぐ、終わるから」
魔力をあげる、とはどのようにしてなのだろう。ヒタカは身体を強張らせて彼を待っていると、唇に吐息を感じた。まさかと思っていた矢先、そこへしっとりと温かく、柔らかな感触。
そして、入浴後の優しい香りが包み込む。
んん!?と声を上げ、ヒタカが身を捩ろうとするも、サキトはそのまま動かない。全身がかっと火照り、心臓が爆発しそうになっていた。鼻息が荒くなるのを押さえ、早く済ませてくれないかと願っていたヒタカは、不意に身体の奥から何かが軽く弾かれる感覚に陥る。
サキトは目を覆っていた手を外し、硬直するヒタカに魔力を与え終えた後、唇を放す。年甲斐もなく顔面真っ赤な従者を見下ろし「終わったよ」と囁く。
「サキト様っ、こっ、こんな…」
「なあに」
まだ目の前に居る主。年若く、まだ荒れる事の無いきめ細かい肌の支配者は「初めてでもないくせにさ」と恥ずかしそうな顔をし、呆れた物言いをする。
あわあわと触れた唇を手で覆うヒタカ。
「僕より大人なんでしょ。何でそんな反応しちゃうのさ!こっちが余計恥ずかしくなるじゃない!」
「いやっ、ですが…」
口付けしたんですよ!?と言いたかったが、その事実にヒタカは更に恥ずかしくなる。いい大人が眼前の子供に対して、顔を茹で蛸にしながら戸惑う様は何とも情けない光景だ。
みっともなく泣きそうになるヒタカを押し倒したままで、サキトは「これで君からも僕に話し掛けられるようになったはずさ」と告げた。
「へ…」
「何か聞きたい事があったら、すぐに僕に話が伝わるよ。便利でしょ?いつものように、心の中で僕に話しかけてくれればいい」
「はい…」
まだ照れているのか、ヒタカは口を手で塞いだままサキトの視線から顔を反らしたまま。何なのこの子…とサキトは彼から離れると、「まさか全く無いとかではないよね…」と眉を寄せた。
「ち、違います、けどっ…突然過ぎて!!お、俺なんかとサキト様が、そんな」
「………」
真っ赤になりながら胸を押さえ、寝転がったまま思春期の少年のような反応をするヒタカを見ながら、サキトは君と違って僕は初めてなんだけど…と冷めた目で思っていた。
翌日、詰所で休憩中だったヒタカは外の任務を終えて戻ってきたアルザスに近いうちにまた稽古をつけて下さい、と頼んでいた。汗だくの彼は白い制服の上着を脱ぎ捨て「随分とやる気出してきたな」と返す。丈夫さを重視した制服は、やや厚みのある素材のせいで暖かい日差しの元で動けば汗にまみれて煩わしくなってくる。その為、潔癖性のイルマリネは替えの制服を十数着持っている位だ。
他の剣士も数着持っているが、一日使えばすぐにクリーニングに出しているので、余程汗だくにならなければ、二日に一回交換する程度。
「汗飛ぶから部屋で着替えてくれないかな」
無作法過ぎるアルザスに、イルマリネは心底嫌そうな顔を見せていた。まあまあ、と彼は自前のタオルで汗を拭う。
「時間見つけて相手してやってもいいけど、何かあったのか?」
「いえ…先輩の戦い方を思い出して、どう踏み込んだり立ち回ったらいいのか実戦で模索してみたいんです。やっぱり、俺はまだまだ足りない事が多くて」
自分の力が足りないのを、ヒタカは自覚していた。
アルザスの機敏さ、立ち回りと力強さを吸収したい。一番高い能力を持つ彼と同等の力をつけなければ、確実にサキトを守れないと思った。
「どうしたの、クロスレイ?」
急に言い出したヒタカに、イルマリネは不思議そうに問う。よりによって、一番やかましいアルザスを頼るとは。今まで散々こき使われ、怒鳴られていたのに。
「俺の力が凄ぇってのがこいつの頭に入ったらしくてな。参ったな、今更気付くとか」
「君には聞いてないけど」
アルザスの言葉をイルマリネはすかさず遮る。ヒタカは照れながら「力付けないといざとなったら困ると思って」と答えた。
「サキト様をお守りする仕事を大事にしたいんです」
その言葉に、イルマリネは納得する。そして美しい顔を微笑みに変えると、「その気持ちは大事だよ」と言った。
「それがあれば、君は更に強くなれるはずさ。アルザスだけじゃなくて、他の力の強い誰かに教えを乞うてもいい。強くなるのに理由はいらないけど、君が強くなればサキト様も喜ぶと思うよ」
落ち着いたイルマリネの意見を聞きながら、ヒタカはサキトの言葉を思い出す。
僕を守ってくれなきゃ許さないよ、と。
大混乱していた自分から唇を離した時に、そっとサキトが口にした言葉。彼の期待を裏切る訳にはいかない。その為にも、更に貪欲にならなければ。
頑張ります、と言ったヒタカの目の光が、以前より強くなっているのをイルマリネは感じた。何がきっかけなのかは分からない。しかし、あの気まぐれなサキトの近くに居る事で、ヒタカも刺激されているのだろう。
真逆な性格の二人は、知らぬうちいい具合に噛み合っているようだ。それはサキトに振り回されていた周囲の人間にとっても、喜ばしい事だった。




