魔導師オーギュスティン29
大木の手前で炎の魔法を放ったまま維持しているオーギュの傍にサキトとヒタカが着地すると、大木はその炎を吸収し始めた。緑色の光は風を巻き起こし、炎と絡めて勢力を増幅させていく。
「…これはいけませんね」
オーギュは舌打ちする。こちらからの魔法を逆に利用されては、却って不利になる。取り込まれた炎は、風と混ざりあいまるで台風の形へと変化していた。
魔法の詠唱を止め、どうするべきかを頭の中で思案する。
『ムカつくのよ人間のくせに!!今すぐ死ね!!』
「かなり怒ってますが、クロスレイ殿何かされたんですか?」
「えっ…ただ葉っぱを失敬しただけですけど…」
サキトはヒタカにしがみついたまま、嫌そうに「それじゃないの?」と見上げた。彼の表情に困惑気味のヒタカ。
『大人しくしてればいい気になって!この辺を全部燃やしてやるわ!全部消えてなくなれっ!!!』
そうしている間にも、強風に巻かれた炎はこちらに向かって走ってくる。少女の高笑いと共に。
『全員黒こげよ!あっははははは!死ね死ねぇっ!!』
オーギュはすかさず魔法壁の準備をするが、強風を纏う炎の速度が激しい。間に合うか、厳しい所だ。しかしやってみるしか防ぐ方法は無い。
『燃えておしまいっ!』
甲高い笑い声と轟音がこちらに押し寄せる。暴風と熱波が三人を襲い、まともに呼吸すらしにくくなってきた。眼前に迫りくる回転する炎、焼け焦げた匂い。猛烈な熱と、風が視界を遮り逃げ場を失う。
しっかり地面を踏み締めていても、強風の煽りを喰らい気を抜けば飛ばされそうになりそうだ。
『大人しく焼かれてしまええっ!!』
サキトはぎりっと奥歯を噛んでいたが、甲高い笑い声が癪に障ったのかヒタカに抱きついたまま上を見上げる。オーギュが魔法壁を張った後、それに被さる形で新たな壁を生成させながら、相手に向けて怒号を放った。
「…うるさぁあああああああい!!!!」
ヒタカは反射的に「ひいっ」と怯え、その体躯に似合わぬ情けない悲鳴を上げる。身に付いた飼い犬根性の成せる技だ。
オーギュが作り上げた魔法壁が、サキトの作り上げたバリアに重なり分厚く強化される。轟音と同時に突き進む炎は、三人を一気に包み込んだ。
炎はドーム型のバリアを撫で、壁を壊して焼き付くそうと攻撃の牙を向いている。視界が赤く染まり、暑さで息苦しくなる中、ヒタカにくっついていたサキトは更に追い討ちをかけるように魔法の詠唱を始めた。
立て続けに吹き荒ぶ暴風で、オーギュの身に付けていた眼鏡が飛んできた石礫によって亀裂が入る。くっ、と呻きながら眼鏡を投げ捨て、「どうにか反撃しないと」と呟いた。
「さ、サキト様…」
一方で怯えて主人の様子を窺うヒタカ。その主人は、苛立ちながら「お仕置きが必要だねぇ」と毒づく。稀に見せてくる年齢に似つかわしくない妖艶な顔を目の前にし、ヒタカは全身をぞくぞくさせ、甘美な吐息を漏らした。絶対的君主の足元に跪きたくなる衝動を必死に我慢する。
変態的な反応を隠しきれないヒタカの横で、どう抵抗したらいいのかと思案するオーギュ。そんな彼にサキトは冷静に大丈夫だよと制した。
「弾き飛ばしてあげる」
右の親指をぺろりと舐め、サキトは炎に囲まれた周囲をちらりと見た後再度詠唱を始めた。オーギュは彼の身体から異質な魔力が更に増幅していく様子をその身に感じる。
強い魔法が使えない、と本人は言っていたが、感情に左右されて魔力が増減されるのだろうか。
『なっ、何…なんなの』
反撃の余地は無いはずだ。少女の声に動揺が見えた。炎はバリアを撫でるが、焼き付くされた様子が見えない。逆に、風向きがこちらに向きはじめているような気がする。当初受けていなかった熱波が、少しずつ自分に向かって流れているのだ。
人間が作り出す魔法壁の持続性は脆いはずだった。自分が知る限りでは。自分らのように、精霊の持つ魔力の方がずば抜けて優秀だと自負している。あんな小さな人間の魔法を受けたとしても、所詮蚊に刺されるようなものだと。それなのに。
轟音と共に渦を巻きながら炎が逆流する。風向きが変わり、炎がこちらに向かってきた。ひい!と悲鳴を放った。
『嘘、嘘でしょ!?火がこっちに!?』
ショックを受け、その巨大な身体を後ずさりさせる少女の頭の中に、サキトの声が響いた。
「(面倒な子は嫌いだよ)」
『あ…や、焼かれ…焼かれる!!やめてぇえ許してえっ!!』
弾き返された炎は一気に木を燃やし始めた。幹が焦げ、枝が炭になり葉を焼いていく。悲痛に叫び声を放つ少女に、サキトは冷静に告げた。
「(幻影を解いて。この大木も、結局君が作った幻影でしょ)」
逆流した炎に全身を巻かれた巨木は、サキトの言葉に我を取り戻すとその身を変化させる魔法を解いた。燃え盛ろうとする巨木は、その身を光の粒子に変えた後、緩やかに大気へ消えていく。
凄まじい轟音を立てていた炎も同時に消滅し、三人を保護していたバリアもスッと効力を失っていった。
「…あっ…木が無い!」
ヒタカはサキトを支えながら、目の前に確かに存在していた巨木を探そうと周囲を見回していた。胸元に居るサキトはぐったりと彼にしがみつき、「もう居ないよ」と返す。




