魔導師オーギュスティン22
一方でまだかなあ、とぼやくサキトは木の切り株に腰掛けながら月の光が差し込む頭上を見上げていた。葉の隙間から降り注ぐ光は、見る度に幻想的な気持ちにさせてくれる。ひんやりとした空気と、霜が降りてきたのか周辺の葉に小さな滴が光っていた。
寒いねぇ、と呟いた後に不意に口癖のように続ける。
「こういう時にスティレンが居ればいいのに。おちょくってると暖まってくるし」
近くて遠い隣国に居る少年の事を思い出しながら彼は足をぷらぷらさせていると、透明な姿の獣は『ふむ』と唸った。話を聞いている限り、とにかくサキトは少年剣士が気に入っている様子だ。
『随分お気に入りなようだな』
「そりゃそうさ。あの子はからかいやすいからね」
『今は遠征中らしいからな。ヴェスカとリシェも一緒だから、しばらくは戻ってこれまい』
「そのままこっちまで来てくれたらいいのに」
日常の生活が退屈なせいで、彼らが羨ましいのだろう。もう少し関われるような環境になってくれればいいのだろうが、サキトの場合はわざわざ国を跨がなければならないのが辛い所だ。
ファブロスは彼に同情しつつ、『伝言は伝えておこう』と言った。
「うふふ、じゃあお願いしようかな。さっさと戻ってきてってさ…」
言い終える直前、サキトは草むらの奥で妙にぼんやりするものを目にした。
「…ん?」
『どうした?何か居るのか』
切り株からひょいと立ち上がり、サキトはその気になる方向に数歩進み出た。ファブロスは危ないぞと注意しながら、彼が「何か光ってるね」とその方に指を指し示す。鼻先を向けたその前に、青白い輝きを放つ場所があった。不審そうな様子を見せつつ、『危険だ。そこで待っていろ』とサキトに命じた。
しかし彼は「大丈夫だよ」とさっさと前を進み始める。
『お、おい!危険だぞ』
あまりにも不用心すぎる。サキトの後を追いかけながら、草むらを掻き分け進んだ瞬間。ずるっと地面を滑る音と同時に幼い悲鳴が響く。
「わぁ!!」
『…ほら、言わんこっちゃない。危ないから待ってろと言ったのに』
緩んだ地面の泥濘に足を滑らせ、サキトは尻餅をついてしまった。折角の綺麗なお仕着せが泥で汚れてしまっている。ファブロスは呆れ、尻餅をついたままの彼に大丈夫かと声をかけた。サキトはうん、と返しながらゆっくりと立ち上がると、自分の泥塗れの服を見下ろした。
ぼたぼたと泥の欠片が落ちていくのを見て、あーあと溜息混じりに苦笑する。
「イルマリネに怒られちゃうなぁ」
『こういう場に居るのだから仕方あるまい。下がっていろ』
「いいよ、もう。このまま見にいこ!」
どうしても見てみたい様子だ。ファブロスはむうと唸ると、致し方あるまいと呟いた。何かあったら自分が守ればいいだけの話だ。ぼんやりと光る正体を確認しないと気が済まない性分なのだろう。
泥だらけのサキトと並びながら草むらを掻き分けていくと、やがて風変りな草が数本だけ雑草に混じっているのが見えた。ファブロスは目を見開きながら、『これだ』と一言漏らした。
幻想的な輝きを称え、静かに地面から生えている魔法の草。月の光を吸いこむようにそこに存在していた。小さな鈴蘭のような白い花を咲かせていて、引っこ抜くのは若干忍びない気がしてくる。
『蛍霊草。オーギュが探していた魔法の草だ。まさかこんなに都合よく見つける事ができるとは』
「本当!?良かった、早速これを引っこ抜いて持って帰ろ!」
『いや、待て。いきなり引き抜くのは』
ファブロスの声を無視し、サキトは魔法の草に手をかけると、突如周辺に霧が湧いた。ファブロスは上空を見上げ『お前はもう少し注意深さを学習しろ!』と叫ぶ。眼前の蛍霊草の上から靄が出現すると、サキトの前に広げた手の大きさ位ある人型の妖精が出てきた。
幼く愛くるしい顔立ちをした、真っ白いワンピースを身に着けた少女の妖精。サキトよりも年下っぽく見えた。纏っていたベールをひらひらさせ、サキトの周囲を巡回しながら怒った顔を見せている。
ひ!と反射的に声を上げたサキト。数歩下がり、驚いた顔をしながら「何なの」と文句を言った。下手なお化け屋敷よりも驚いた様子だ。
『何なのとはこっちのセリフだわ!いきなり引っこ抜こうとするなんてなんて非常識な人間なのかしら!親の顔を見てみたいもんだわね!この野蛮人!!物事には順序ってもんがあるのよ!草に対してもちゃんと気を使って頂戴!!』
透明な蝶の羽根を背中につけた少女の精霊は、その白い顔を真っ赤にしながらサキトに怒鳴り始める。呆気に取られる彼を後ろに退かせつつ、ファブロスは突然姿を見せた妖精を見上げた。魔力の気を感じ取ったのか、妖精は『ん?』と視線がした方に目をやる。
そしてつり目がちの目を見開くと、『あなた様は!』と叫んだ。
『ん?…はて、会った事があったか』
『ふぁ、ファブロス様じゃないですか!』
またそんな都合良く、とファブロスは思ったが、ここまで来たのであればもう何でもいい気がしてきた。
「知り合いなの、ファブロス?」
高貴な生まれなのにこんな小さな妖精に野蛮人扱いをされて不服そうなサキトは、彼女とファブロスを交互に見ながら問う。少女はふん、と無粋な人間を見下ろし『このお方は精霊の中でも高位に属するお方だからね』と何故か得意げに答えた。




